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戦後左翼史 その35 1950年 コミンフォルム批判 党分裂 地下潜行 北京機関 朝鮮戦争

2017-01-07 10:11:21 | Weblog

いいなあ!と思っている番組。「ブラタモリ」(NHK)、浦沢直樹の「漫勉」(NHK・Eテレ)、みうらじゅん、いとうせいこうの「新見仏記」(BS12)、不定期ながら宮沢章夫の「戦後サブカルチャー史」、コンサのサッカー、野球は千葉ロッテ戦。ラヂオは、毎朝通勤時間に聞く「すっぴん!」(NHK)。歌い手もタレントも知らず、ブームにも乗り遅れている自分を楽しんでいます。

 

◎1950(昭和25)年 「50年問題」 コミンフォルム批判 党分裂 地下潜行 北京機関 朝鮮戦争      

(★印は日共関係)

*(*は僕の考え)いわゆる日共「50年問題」は、1950.1.6コミンフォルム批判から始まり、1955.7.19六全協までの5年間であり、党史の「闇」となっている部分である。現在の党史では、正式な機関決定がないまま、分裂した一部の党員が党中央の活動を勝手に行ったとされており完全に抹殺している。都合の悪いことは無かったことになり、自己に都合の良いことだけを上書きするような歴史を本当の歴史というのだろうか。今からでも、当時何がどう考えられて、どのように行われたのか、真摯な問い直しをすべきと考える。

★1.6 コミンフォルム、日本共産党の平和革命路線(*野坂理論)を批判

★1.12 共産党、コミンフォルムへの「所感」を発表

*(れんだいこHPに学ぶ)党中央委員会政治局は「『日本の情勢について』に関する所感」を発表し、「野坂理論の欠点を認めるが、実践で克服ずみ」と反論。 コミンフォルム批判に対する反対派(所感派)は、徳田球一、伊藤律、野坂参三ら党中央執行部、批判受容派(国際派)は宮本顕治、志賀義雄。しかし、1.17人民日報はコミンフォルム支持を表明、1.19所感を撤回、野坂自己批判。

*当時は、本店が一枚岩(中ソ一体)にあって、支店の方針を批判したら、その権力の前に支店は従う以外の選択肢は無かったのだろう。ここには、平等や公平を旨とする社会主義の理念と、この党間のヒエラルキー構造の自己矛盾があった。

★2.9 京都市長選、社共共闘で高山義三当選

2.9 米上院議員マッカーシー、国務省内の共産主義者排撃を演説(「赤狩り」開始)

*(れんだいこHP)共和党のマッカーシーは、アメリカ国務省に57人の共産党員がいると演説。マッカーシー旋風が始まる。200余名追放処分。

2.14中ソ友好相互援助条約調印

*(れんだいこHP)中国側:周恩来首相兼外相、ソ連側:アンドレイ・ビシンスキー最高幹部会全権代表、中ソは蜜月時代にあった。

*日共の武装について合意していたとの説もある。

3.8 全学連、『祖国と学問のために』創刊

★3.16 参議院在外同胞引揚特別委、徳田球一の対ソ要請「反動は帰すな」(*抑留者の中で)をめぐり徳田喚問

★4月 竹内好「日本共産党に与う」(『展望』)、対馬忠行「スターリン主義の批判」(『朝日評論』)、『マルクス=エンゲルス選集』刊行(大月書店、全23巻、~52.3)

4.20 京都府知事に蜷川虎三当選(*以後連続7期当選)

4.21 日本炭鉱労働組合(炭労)結成

★5.1 共産党、50年テーゼ草案発表

*(れんだいこHP)徳田(所感派)は、「当来する任務は、国際独占資本の支配から民族を解放し、これと結合して従属的状態のもとに、軍国的帝国主義を復興しようとする日本の反動勢力を一掃して人民の民主政府を樹立し、社会主義の達成に前進することである。それを為し遂げるためには人民民主主義を通らなければならない」とした。打倒すべき権力として、天皇制、封建的土地所有制(地主)、独占資本をあげた。志賀、宮本、神山、蔵原、亀山幸三、袴田、春日庄次郎、遠坂良一等はテーゼに反対し排除された。この結果、党中央は事実上分裂。

5.2 東北大で大学レッドパージを説くイールズの講演会を阻止

★5.5 日本共産党、東大・早大の学生細胞解散を指令

*(れんだいこHP)分派活動、挑発的行動が解散処分の理由。5.6全学連書記局細胞にも解散指令。安東氏は、「戦後共産党私記」で、この時期(3,4月頃)力石と武井が宮本(反中央・国際派)と連絡を頻繁にとっていたことを明らかにしている。6.27党中央は、武井昭夫、安東仁兵衛など38名の学生党員を除名。(早大=10名=七俵、水野、鈴木雄、堀越、本間、猿渡、坂本尚、大金、今井、西山.東大=12名=戸塚、高沢、安東、木村、力石、武井、横瀬=堤)。

5.8 日立争議、5,555人解雇をめぐりスト

★6月 宮本顕治・百合子『十二年の手紙』(筑摩書房)

6月 反戦ビラ配布による検束者多数、反戦学生同盟結成

★6.6 マッカーサー、共産党中央委員24名(*全員)の追放を指示

*(れんだいこHP)徳球、野坂、志賀、伊藤律、春日正一、神山、春日庄次郎、袴田、長谷川浩、伊藤憲一、亀山幸三、紺野、岸本茂夫、蔵原、松本一三、松本三益、宮顕、佐藤次、志田、白川晴一、高倉テル、竹中恒三郎、遠坂寛、野坂龍の24名。さらにアカハタ編集委員17名(聴涛克巳主筆.高橋勝之編集局長等)を追加。追放を予見していた主流派9名の中央委員(徳球、野坂参三、志田重男、伊藤律、長谷川浩、紺野与次郎、春日正一、竹中恒三郎、松本三益)は地下に潜行。6.7椎野悦郎を議長とする(8名:輪田一造、杉本文雄、多田留治、鈴木市蔵、聴濤克巳、河田賢治、谷口善太郎)臨時中央指導部(臨中)を確立。伊藤律は、6月中旬小松雄一郎(2代目臨中議長)の手配で、東京・恵比寿の秘密アジトに潜行。8月に徳田、11月に野坂、12月に西沢、1951年10月に伊藤が中国に脱出し在外指導部「北京機関」を作る。

6.25 朝鮮戦争勃発 6.27国連安保理、武力攻撃撃退の国連軍派遣を決定(*韓国援助決議採択)

★6.26 マッカーサー、『アカハタ』の30日間停刊を指令、7.18無期限停刊

*(れんだいこHP)朝鮮戦争を南朝鮮の侵略行為(李承晩側の越境事件)として偽りの報道をしたという理由

*1970年代になってからも当時の平和委員会・民青は南が先に攻めたと言っていた。

★6.28 共産党民族対策部、祖国防衛委員会設置

*(れんだいこHP)朝鮮戦争に対応するため、祖国の防衛と組織の防衛強化を目的とする軍事活動機関(責任者慮在浩)。

7月 井上光晴「書かれざる一章」(『新日本文学』

7.3 全日土建鶴見支部の幹部、武器輸送を妨害したとして逮捕、三菱汽船の安芸浦丸でも朝鮮への出航拒否

7.11 日本労働組合総評議会(総評)結成、7.25総評緊急評議員会、北朝鮮武力侵攻反対・国連軍支持・戦争介入反対声明

*(れんだいこHP)組合内の「民同派」が中心になりGHQの指導の下、産別会議に対抗し結成。18組合、3,704,400名で発足。議長・武藤武雄(炭労)、副議長・長谷武麿(全逓)、松浦清一(海員)、事務局長・島上善五郎

★7.24 GHQ、新聞協会に共産主義者の追放を勧告

8月 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」(『前衛』)

★8.30 全学連緊急中央執行委員会、大学レッドパージ反対闘争を宣言、10.5レッドパージ粉砕全学総決起大会

8.30 政府(*GHQ?)、全労連に解散命令

9.26 全逓全国大会、組織2分割(全逓、全電通)決定

10.1 日中友好協会設立

10.11 中国人民解放軍、チベットに向け進軍開始

10.25 中国人民義勇軍、朝鮮戦線に参戦

*(れんだいこHP)中国人民解放軍(林彪将軍)18万が「抗米援朝保衛祖国」のスローガンの下に参戦。中国軍は鴨緑江を渡り、戦局は逆転し、米軍は再び38度線の南に押し返された。

12月 宇野弘蔵『経済原論』上(下52.3)岩波書店

12.10 合成化学産業労連(合化労連)結成

 

 

 

 

 

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