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都市論 吉本隆明ノオト その2

2015-04-26 09:35:45 | Weblog

 アへ首相が訪米し、どのようなメッセージを表明するか、国内よりも海外メディアが注目したい。(内田樹氏のHPで海外メディアの論調がわかる。)アへは、言葉のトリックでかわすことができると読んでいるようだが、人から信頼を得るためには口先だけではだめだということ彼は今までの人生から学んでこなかったようである。問われているのは、言葉ではなく、彼の思想であり心である。戦後70年談話を待つまでも無く、このGW訪米で諸外国から総スカン情況になる可能性がある。

 都市論

 吉本隆明は群れない。孤高の人である。敢えて他者に異論を唱えることで、自分の思想の独自性は、自身の言説商品を売るために差別化しているようにも見える。

 *(*印は僕の感想部分)吉本は都市論から脱資本の可能性を示唆し、「人工都市」がそれを実現するという。氏のイメージのヒントになったのは、つかしん(兵庫県尼崎市)だと辻井喬(堤清二)との対談で述べている。(『吉本隆明「五つの対話」』新潮社1990年刊)

 現在の情況からの脱出(脱資本)の可能性は、第3次産業が主体を占める高度資本主義社会の段階になって可能となった。もうひとつの可能性は、森林と草原、砂漠と海原というアフリカ的段階である。第2次産業である製造業が発達した西欧的都市やアジア的段階においての可能性はない。

 *「つかしん」は、20数年前にセゾングループによって開発された大型ショッピングモールの走りである。吉本の人工都市のイメージは、巨大な建築物に何万人も暮らし、それがひとつの都市として生産から消費まで完結するというものである。僕のイメージでは、アフリカ的段階の例として、アラブ首長国連邦のドバイ、トムクルーズのミッションインポッシブルなどで砂漠の真ん中に超高層ビルが並び立つ人工都市を思い浮かべる。

 一方で、吉本はこう述べる。脱資本をどのようにするか。人工的な脱資本の方法は、既にソ連、東欧、中国において失敗した。脱資本の条件は、国家を開き、国家の軍隊を持たず、他国の干渉をしない。

 *国民国家の黄昏を唱えている僕も「国家を開く」という点が重要だと考える。ただ、「つかしん」のようなモールはその後イオンやアウトレットなど続々とできているが、国家を超えるものにはなっていない。ドバイも国家間の経済的な利害が複雑に錯綜する都市であり、国家を開いていくものになるかは未知数である。吉本の独創的な着眼点は誰も及ぶことはできないが、氏のイメージに現実は未だに追いついていない。否、氏の予想が外れたといっていいであろう。

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