晴走雨読

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「『資本論』の中におけるマルクスの心情」 その8

2014-04-29 17:46:34 | Weblog

 週末に比べ気温が低くなりましたが、札幌市内で桜が咲いていました。私の毎年の花見は、白石サイクリングロード、万生公園付近の桜のトンネルです。白石区は開花が遅いので、5月10日位でしょうか。

 群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録されることが確実になったということですが、ここでは、「ああ野麦峠」や「女工哀史」で描かれたような負の現実は無かったのでしょうか。日共さんの評価は?

 気になっています、北区の事件。道新は今日も一字も触れず。任意の聴取とはいえ長時間はきつい。弁護士を付けることができるのだろうか。

 

 「『資本論』の中におけるマルクスの心情」 その8

 第13章「機械類と大工業」は、長い章である。第4節「工場」では、(P84)「工場労働がいかなる物質的条件の下でおこなわれているかについては示唆するにとどめよう。人工的に高められた温度、原料の粉塵が充満した空気、耳をつんざく騒音等によって、あらゆる感覚器官が等しく傷つけられる。社会的生産手段の節約は空間、空気、光を奪い、生命や健康を危険にさらす生産過程の諸状況から個人を守る保護手段等を奪った。労働者がくつろげる保養施設など論外である。フーリエが工場を『緩和された牢獄』と呼んでいるのは不当だろうか?」と

 私も、24時間操業の現場で働いた経験がある。当直で仮眠を摂ることが許されていたが、モーターの騒音と振動で眠りは浅く、疲れはとれなかった。また、臭気がきつく、鼻の機能が低下した。今から思うと、騒音を防止するため天井や壁にアスベストの吹付がされていたと記憶する。

 マルクスの時代に比べ、労働安全衛生対策は法的にも整備されてきたと思うが、近年、労働者が物を言わなくなったと同時に労働環境の劣悪化が再び進んでいると思う。

 

 (P88)「彼ら(労働者)の攻撃(ラッダイト運動=機械打ち壊し)を物質的な生産手段自体に向けるのではなく、その社会的な搾取形態に向けることを学びにはなお時間と経験が必要だった。」

 第6節「機械類によって駆逐された労働者についての補償理論」では、(P102)マルクスは、「資本による機械類の使用から一時的に不快なことが生じることをブルジョア経済学者といえどもけっして否定はしない。しかし裏面のないメダルなどどこにあるだろうか!」と叫ぶ。「機械による労働者の搾取は、彼(資本)にとっては労働者による機械の使用と同義なのである。したがって資本による機械使用の現実がどのような状態にあるかを暴きたてるような人間は、機械使用そのものを望まない人間であり、つまりは社会的進歩の敵だとされるのである。」

 私が今の会社に入った30数年前は、事務的な手段は、電卓、簡易日本語タイプライター、青焼きコピー、郵送だったが、その後、ワープロ、パソコン、ファックス、メールと変わり、おそらく同じ事務をする場合の時間は何分の一かに減っているであろう。また、大量のコンピュータによるデータ処理システムも導入され、人は増えなくても業務量は過去よりはるかにこなしていると思う。

 この機械化を私たちはどう捉えたら良いのであろうか。人減らし、合理化、労働強化と考えるべきなのであろうか。私は、同じ時間を費やすならより多くの業務をこなした方が良いと考えるし、大量反復業務に要する時間を短縮した分、労働時間はものを考える業務に振り返るべきと考えてきた。

 

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