晴走雨読

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『反障害原論』 ノオトその6

2010-03-21 15:04:40 | Weblog
Ⅳ 障害に関する思想―理論
第一一章 優生思想―「健全者幻想」
(1) 概観
 著者は、優生思想はダーウィンの自然淘汰説、マルクス、エンゲルスの社会の唯物史観(社会の発展法則)、社会進化論、ナチスの障害者抹殺、米国・スウェーデンにおける断種手術に通底している、という。
(2)青い芝の指摘する「健全者幻想」と優生思想のつながり
 青い芝(障害者グループか?)が指摘した「健全者幻想」とは、「健全なるものにあこがれてしまう、とらわれてしまう」というものである。
(3) ゆるやかな優生思想
 著者は、ゆるやかな優生思想としての「障害はないにこしたことがない」という主張をいかに批判するかである、という。

 *私は、この障害者差別の問題の中に、スターリニズム型社会主義の失敗、20世紀型社会主義体制崩壊の根本的な原因が内在していると考える。社会的効率、競争、淘汰の問題である。

第一二章 発達保障論とその批判
一節 そもそも発達とは何か
 3つの発達モデル
(a)子どもの大人への成長
 フィリップス・アリエスは、『<子供>の誕生』(みすず書房1980年刊)で、子どもは近代以前は「小さな大人」としてとらえられていた。近代の成立―資本主義の成立以降、大人になることを発達としてとらえる考え方が起きてきた、とする。 
(b)進化論における下等動物から高等動物への発達
(c)原始共産制―奴隷制―封建制―資本主義―社会主義―共産主義という生産様式の発達
 著者は、エンゲルスによるダーウィン進化論への賛美!を社会と自然の取り違えと批判する。付言すれば、一方のマルクスは、アジア的生産様式の発見など生産様式の変遷が単線的でないことに気付いていた。(*異議なし!)

二節 発達保障論批判
 著者は、発達保障論は、ひとの多くが変遷する筋道を、発達の法則たる「発達の弁証法」として絶対化し、それにあわない者を「障害者」と規定する。「法則にできる限り沿うことが、障害者の幸せであり、障害者の役割だ、その発達を保障するのが関係者の役割だ」として「障害者」に同化と融和を強制する「障害者」への抑圧の論理である、と批判する。
 
三節 発達の弁証法
四節 発達保障論の実践的破綻
 60年代後半以前の障害者運動は、いわゆる関係者の運動として始まり、「障害者がいかに健常者に近づくか、近づくことが障害者の務めであり、それが幸せなのだ」として、いかに教育やリハビリテーションにおいて、発達や回復をかちとるのか、そのことをどう保障するのかというところで問題がたてられていた。その推進者は、いわゆる進歩的な人たちであった。
 彼らは、1979年の養護学校義務化を支持、発達保障の合理性から分離―別学(隔離!)を主張、そして統合教育、養護学校コミュニティ形成論に進んでいる。著者は、差別をきちんとおさえないと、インテグレーションや共生が、融和や同化になると主張する。

第一三章 WHOの障害規定
一節 WHO(世界保健機構)の障害規定批判
 WHOの障害規定ICIDH(国際障害分類)では、①機能障害、②能力障害、③社会的不利

二節 ICIDH-2との対話
(1)概略図と本文の相違
(2)「標準」という言葉について
(3)「パラダイム」について
(4)「環境因子」と「個人因子」の二分法と「因子」概念について
(5)WHOが分析主体となったことの問題性
(6)その他の不備
(7)まとめ










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