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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『反障害原論』 ノオトその4

2010-03-07 17:44:22 | Weblog

Ⅲ 障害差別とは何か
第六章 障害差別はどのようにして生まれるのか?
一節 差別の起源をどうとらえるか?
二節 三つの動詞を巡って
 著者は以下で「差別」を生み出すひとの三つの行為を説明している。

(イ)「囲う」こと
 「私」という言葉の起源として、「ノギヘン」が「囲う」という意味を持つ。この、一人称代名詞から、私有財産制と差別が始まっている。(福岡安則「マルクスを<読む>」(三一書房)からの引用)
 差別は、「異質性嫌悪」から来る。(アルベール・メンミ「人種差別」法政大学出版会)からの引用)

(ロ)「分ける」こと
 ある集団が他の集団を拒絶するー区別する、ある集団から特定の人たちを分ける、ある集団の中で色々分けて、固定化していくことから差別が現れてくる。
 決定と執行の分離が、「精神労働」と「肉体労働」の分離、その固定化が差別に現れる。

(ハ)「比べる」こと
 「比べる」という行為自体の「社会性」、そこに差別が存在する。

第七章 障害差別の三つの性格
一節 方法論(―脱構築する仮措定)としての三つの性格
(a)他の差別事項からとらえた差別分析の問題点
 差別、民族・人種差別、差別意識などの例から、一面的なとらえ方では不足である。著者は、三つの性格(経済的性格、政治的性格、文化的性格)から分析すべき、という。

(b)差別の問題がなぜとらえられなかったのか?
 マルクス主義では、差別の問題を階級支配の道具、政治的な次元の問題としか捉えていない。

(c)方法論としての三つの性格というとらえ返し

二節 三つの生活
(イ)経済的生活
 著者は、「できる」-「できない」は、「労働力としての価値」の序列づけ、経済的性格を土台としており、そこから障害差別が生まれる、という。

(ロ)政治的性格
 障害者差別は、政治的に二つの方向に流れていく。「社会の片隅で迷惑をかけないように生きよ」(排除)と「努力して障害を克服しよう」(統合)の二つである。
 排除は、優生思想という文化的―イデオロギー的性格につながる。例として、ナチスの「精神障害者」虐殺、障害児(胎児)の人工中絶、「障害者」不妊手術、脳死―臓器移植もひとの命の序列化につながる。
 統合は、国家という共同幻想、国民統治のために、国家の慈愛の対象としての「障害者」を融和的に組み込んできた。例としては、皇室は、「障害者」施設や病院を訪問することで、福祉の具現者としてあらわれる。

(ハ)文化的性格 
 文化的性格のひとつには、差別の根拠としての美意識があり、「形態」の問題がある。

第八章 差別形態論
一節 絶対的排除と相対的排除
 著者は、差別とは、社会的に普遍性をもった「上」とされる者から「下」とされる者へなされる何らかの排除である、とする。共同体からの排除は、共同の空間からの排除でこれを絶対的排除と規定する。共同性からの排除は、共同体からの排除を含む文化的排除、これを相対的排除と規定する。
 例として、障害児を普通学校から排除する(絶対的排除)。養護学校、福祉施設に入れる(相対的排除)。相対的排除は差別として捉えにくい。

 差別を類型化すると、(絶対的排除)→「抹殺」「隔離」「排除」「抑圧」「融和」「同化」←(相対的排除)、となる。

二節 排除型の差別と抑圧型の差別
 排除型の差別(絶対的排除)と抑圧型の差別(相対的排除)と言い換える。

三節 差別の型―差別形態論各論
(1)抹殺
 例としては、ナチスの「精神障害者」虐殺、この国の戦時中における精神病院での餓死、近代まで続いていた「間引き」、出生前診断、人工受精における受精卵の選択、遺伝子操作技術など。

(2)隔離
  例としては、施設への隔離、分離教育など。
 「特殊教育の必要性」は、「障害者」を排除―隔離したところで「健常児」のための教育の「効率性―合理性」としてある。
 隔離には、コミュニティを形成するという積極的な面も内包している。

(3)排除
 例としては、法における欠格条項、就職、結婚からの排除、シカト、街づくりでのバリア、テレビなどにおいて手話・字幕が無い情況など。

(4)抑圧
 「障害者」が「非障害者」に近づくように努力しなければならない。

(5)融和
 融和とは、「差異」は「差異」として認め、対立の関係を無くしていこうとすること。

(6)同化
 同化とは、「差異」自体を無くすこと、無くそうとすること。
 例としては、人工内耳、遺伝子工学、リハビリテーションなど。

補節 マージナリティ(境界性)と差別意識


 *私は、その1で、「資本主義社会に対するオルタナティブの可能性、反資本主義の視座を持っているかどうか」と書いたが、「差別」の問題(本書においては、障害者差別の問題)は、資本主義社会においては、労働力商品の価値が問われるがゆえに、その矛盾が最も噴出していると捉えるべきか。
 それとも、「差別」は、歴史貫通的(唯物史観では、原始共産制→封建制→資本主義→社会主義)に存在することなのか。オルタナティブとしてどんな社会構造になっても「差別」は残るのか。
 それは、「公平」とは、「平等」とは、どのようなことか。それは、可能なことなのか、ということに繋がる。
 マルクスは、「能力」と「必要」から「分配」の問題を提示したが・・。
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