晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

不自由な顔をして自由を語るな 情況論ノート第17回

2007-11-22 20:21:36 | Weblog
 夜の営業が続き、風邪をひきながらも何とか持ちこたえた。明日からの3日間は、営業なし。早く風邪を治して、スッキリ走りたいと思う。

 この国が、元気だった頃のポスター。なぜ、よそのお宅の中まで土足で入っていったのでしょうか。

情況論ノート第17回 

 ①「テロとの戦い」から「市民的自由との戦い」の監視体制の視座
 9.11以降、米国においては「テロとの戦い」と同時に、テロリストという顔の見えない脅威を媒介にした「市民的自由との戦い」が展開されている。
すなわち、「テロの脅威」に対して、市民的自由を制限する政策が採択された。(米国愛国者法)
 これは、自由は秩序が守られている状態でこそ享受できるのであるから、秩序維持のためには、多少の自由の制限は止むを得ない、つまり自由を守るために自由を制限するという論理に基づくものである。

 ②「怖れ」から「不安」へのセキュリティの位相転換
 偏在する脅威という言説をばら撒くことによって、自由の宙吊りを可能にする地平が構成されている。
 怖れとは、雪崩や失業など明確な原因を持った脅威であり、対して不安とは確たる原因を持たない漠然とした脅威である。怖れと不安は完全に重なり合っている。
拡散した脅威(テロ、犯罪、感染症、経済危機など)に対してのセキュリティは、安全を獲得したと同時に別の不安全に悩まされる。安全を求めれば求めるほど不安全になっていく、セキュリティを追求する行為そのものがまさにセキュリティを脅かすというセキュリティ・パラドックスが、市民生活を席巻している。

 ③「グローバル・ガヴァナンス」から「グローバル・サーヴェイランス」への統治技術の変容
 テロリストを病原菌、ウィルスに例え、観察(オブザーブ)でも監視(モニター)ではなく、根絶やし、駆逐するという意味を持つサーヴェイランスを用いる政治的意図が見える。



 この国でも、子どもに対する犯罪が報道され、子どもの安全対策が叫ばれている。子どもにGPSを付けて、いつでも居所がわかるようにする。小学生の登下校の安全ため、地域の市民が街角で見守る運動を展開する。

 犯罪防止のため、繁華街には監視カメラを設置する。既に、主要な国道には通行記録がデータ化されるNーシステムが配備されている。

 「安全」と引き換えに「自由」が売り渡されていく。

 反対に、究極の自由社会は、自分の身は自分で守る銃社会。

 私達は、逆説社会で生きている。



「グローバル・ガヴァナンス」(統治)から「グローバル・サーヴェイランス」(監視)へ~米国愛国者法における“自由”の再配置 大賀 哲 を参考にした。
コメント
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