真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「少女縄人形」(昭和58/製作:幻児プロダクション '82. 12作品/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:望月六郎・吉本昌弘/企画・製作:才賀忍/撮影:高井戸明/照明:山口一/編集:菊地純一/助監督:石川均/監督助手:望月六郎太/撮影助手:牛島昭・新山信人/照明助手:佐藤才輔/車輛:竹林紀雄/製作進行:広木隆一/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/音楽:PINK BOX/効果:内田音響/出演:風かほる・杉本未央・渡辺さつき・佐藤靖・新井真一・荒井三郎)。企画と製作の才賀忍は、中村幻児の変名。セカンド助監督の望月六郎太は何でまた、わざわざ太なんて蛇に足を生やしたんだろ。脊髄で折り返すタイミング的には、「家族ゲーム」でデビューする宮川一朗太より今作の方が半年弱早い。
 土の上でクラウチングスタート、結構劇的な鈍足で走る佐藤靖の、タイムを風かほるが計測する。懲りずにもう一走りする大学生の苗字不詳シロー(佐藤)に、妹で女子高生のアヤコが頑張つてねと声をかけブルーバックにタイトル・イン。ちなみにアバンの記録が、とてもそんな速さには映らない100m11秒6。
 同じ大学のガールフレンド・ユキヨ(渡辺)とホテル街に入るシローを、制服姿のアヤコが目撃。難もない代りに特徴のない馬面、けれどお乳より寧ろ御々尻が素晴らしい三番手が初戦の火蓋を切る。ユキヨでなく、シローの左乳首九時の方向にある黒子を抜いてみせるカットに、含意でもあるのか訝しんでゐると、ユキヨに触れられたシロー曰く、アヤコにも同じ位置に黒子があるとのシミラリティ。当時の水準を知らないが、現代医学では個々の黒子に遺伝性は認められてをらず、この場合も単なる偶さかにさうゐないのはさて措き、当然、その事実を知つてゐる不自然を突かれたシローは、子どもの頃云々と言葉を濁す。一方、アヤコは二人が入つたホテル「京都」の表で、あやとりしながら兄が出て来るのを待つてゐたりする、補導されるぞ。ところでこの兄妹、母親の再婚を理由に、戸建の実家で二人暮らししてゐるのが割と根本的な謎方便。
 配役残り杉本未央は、その後恐らくシローと顔を合はさずアヤコが帰宅すると、家の前でもぢもぢ挙動不審にしてゐる同級生の文子。新井真一はシローの友人でアヤコに気のある、仏文の木村アキラ。多分ユキヨも同じ、シローの学部は不明。もう一人名前が残る、荒井三郎が曲者。登場順でいふと四番目、杉本未央の前。「京都」前でアヤコに接触を図り、煙たがられる「お嬢さん遊ばない」氏の荒井三郎が、誰あらう若かりし荒井晴彦の変名。少なくとも当時、中村幻児と近しい距離にあつたらしい。
 数は少ないものの、ex.DMMでも見られないブツがザッと見渡した感じ新旧二三十本は入つてゐると思しき、楽天TVで中村幻児昭和58年第一作。普通に生活してゐるだけで何となく貯まつて行く、ポイントで賄へるのも便利。レコメンドに、一々踏まないとタイトルの判らないサムネが散見される点を除けば、サイトの使ひ勝手も悪くない。
 文子が郵便受けに投函してゐたシローへのラブレターを、アヤコは目を通した上でしかも破棄。元々男として見てゐた兄に対し、文子の名を騙り恋文通り越した、より実践的なテレフォンならぬレターセックス紛ひの艶文を送り続ける。ヒロインが他人を偽り、直截禁忌に触れるまでには踏み込めない、血族二親等に劣情もとい恋情を綴る。それなりに凝つた大筋に加へ、アヤコが二通目では自分で撮つたパーツ単位のポラロイドを同封する。撮影風景含め実にピンクらしい見事な趣向まで繰り出すにしては、今ひとつ盛り上がりに欠くのが解せない一作。アヤコの手筈で、シローは文子と初めて会ふ実デート。文子の趣味がアヤコが書き散らかした自慰と、本人が本当に書いた編物。凄まじく擦れ違ふシークエンスなどもう少しは面白い筈なのに、如何せん弾まない。もたつく手際の悪さが目につく絡み共々、責はあくまで演出部に求めるのが筋かともいへ、男主役を筆頭もしくは底とする、総じて俳優部の覚束なさは否み難い。シローがユキヨに貸した児童心理学のノートに、件のエロポラが挟み込まれてあるのなんて全く以て無駄な悶着。良くも悪くも三番手ならではの気軽な便利さで、渡辺さつきの二回戦にはどうとでも入れる。目に留まつた自撮りと、シャンプーを取つて貰ふ風を装ひ、洗面台込みの脱衣場にて見せつけられた生乳。黒子を鍵に、ラブレターの秘密にシローがほとんど辿り着く件はあと一手の詰めに欠き、重ねて挿入される赤々とフィルタのかけられた兄妹二人きりの遊園地メモリーは、過剰な情緒を優先したのか説明不足で宙に浮き気味。文中一人称―の主体―が文子からアヤコへと明確に揺らぐ、少なくとも視聴者ないし観客目線では激しく不安定か不可解な四通目にまんまと唆されたシローが、家に誘き寄せた文子を平然と強姦。アヤコも帰つて来る事後には笑つて追ひ返す、無造作な凶悪さは何か、要はこの家族の血筋か。へべれけな導入も厭はず濡れ場の手数には富む反面、主演女優と二番手折角のオッパイを二枚四山擁すにしては、吸ひきれない舐めきれない揉みきれない、格好のエモーションを鷲掴みし損なふ不満は色濃い、即物的にもほどがある。結局、呆然とはいはないが唖然としたのは、申し訳程度に最終盤木に縄を接ぐ「SM ロリータ」(昭和59/監督:影山明文/脚本:知らん/主演:早坂明記)に劣るとも勝らない、壮絶な羊頭狗肉ぶり。昭和のへべれけさで木村がアヤコを、シローは文子を手篭めにしこそすれ、凡そ狭義のサドマゾ的なメソッドなんて一欠片たりとて何処にも垣間見えさへしない。全体“縄人形”なる大仰な公開題の、所以や果たして如何に。と首を傾げるか頭を抱へてゐたところ、よもやもしや、万が一。不調法につき、個々の所作に何某か隠喩でも込められてゐるのなら測りかねる、アヤコが常時嗜むあやとりに由来するといふか、力づくで付会させるモチーフではまさかあるまいな。縄もクソもない、糸である。
 一点興味を惹いたのが、文子の信書をアヤコが開封する際の、風かほるの独白。“ちよつと悪い気もしたのですが、お兄ちやん宛の、文子の手紙を読んでしまつたんです”。“読んでしまつたんです”ぢやねえだろ、といふ刑法第百三十三条的なレイジは兎も角。量産型娯楽映画的には原典を曾根中生昭和48年第六作「ためいき」(脚本:田中陽造/原作:宇能鴻一郎《『週刊新潮』連載》/主演:立野弓子)に求め得る、宇能鴻一郎調モノローグ、縮めてウノローグが十年後の昭和末期に於いて依然、平然と有効性を保つてゐるリーチの長さに感心した。あるいは、女の声で“何々なんです”といふだけで、自ずとウノコーを連想させる支配力の侮れない強さとでもいふべきか。

 何気にラストが衝撃的、何故かスローモーションみたいに見える不思議なフォーム、なほかつ劇中遊んでばかりゐたにも関らず、何時の間にかシローのラップが驚異の一分近く短縮。遂に十秒台に突入してのけるのが、実は劇中最大のツッコミ処。


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