真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「お嬢さんのONANIE」(昭和61/製作・配給:新東宝映画/監督:北川徹/脚本:北川徹・矢嶋周平/撮影:長田勇市/照明:三好和宏/音楽:坂田白鬼/編集:菊池純一/助監督:生田聰・小島東/撮影助手:斉藤幸一/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化工/出演:田口あゆみ・水野さおり・関麻里亜・牧村耕次・下元史朗)。助監督の生田聰が、総監督で記載されてゐたりするjmdbの凄いパワープレイ。
 ローションでヌッルヌル通り越してダッラダラの、田口あゆみのワンマンショーで轟然と開巻。カメラが何となく寄つてみたり引いてみたり、おもむろな感じでVHS題「テレフォンクラブ お嬢さんのオナニー」、ではなく、平然と公開題ママでのタイトル・イン。いい加減といへばいい加減、グルッと一周して晴れ晴れしいといへば晴れ晴れしい。閑話休題、ここで北川徹=磯村一路の気概が大いに買へるのが、田口あゆみが両手で自分の乳を揉み、即ち手が二本とも塞がつてゐる状況に於いてすら、他者の存在は事もなく等閑視した上で田口あゆみの体にあたかも神の祝福かの如くローションを降り注がせてみせる、確信犯的な姿勢どころでなく至誠。エロいだろ、どエロいだろ、それでいいんだよ!事実的な些末に囚はれることなく、脇目も振らず真実に突つ込んで行く決然とした態度は断固として正しい。
 中途で画は街景に移り、牧村耕次のモノローグで「私が彼女の声を初めて聞いたのは、テレフォンクラブの個室の中でした」。テレクラのイントロダクションを軽く掻い摘んで、フレーム内には先に下元史朗が飛び込んで来る。広告代理店勤務の川村か河村宏一(牧村)は、昼休みに先輩の加藤ヒロシ(下元)に誘はれ二人でテレクラの敷居を跨いでみる。仕事終つてから行けよといふ脊髄で折り返したツッコミ処は強ひて兎も角、川村を誘つた加藤の言ひ分が、広告マンたる者常に時代の最先端にゐなくてはならないとする牽強付会。午後仕事が始まる、時間切れ寸前で田口あゆみと繋がつた川村は、無防備にも自宅の電話番号を投げる。恐らく休日の後日、彼女の明子(水野)も遊びに来てマッタリしてゐる川村の部屋に、田口あゆみから電話がかゝつて来る。
 配役残り関麻里亜は、川村が何とかかんとか漕ぎ着けた田口あゆみとの待ち合はせ当日。田口あゆみの眼前で、先に川村とランデブーする女。と、いふことは。ヒロインと逢瀬の約束を交した男主役を偶さか強奪する逆ナンパ、とかいふ凄まじい三番手の投入。恐らく苦心の末の結構な無理筋を、のちに川村と田口あゆみが―当然濡れ場込みで―その日のエピソードに話の花を咲かせる形で案外スマートに収斂させてのける、地味に強靭な論理性が素晴らしい。
 jmdbを鵜呑みにするに、磯村一路が新東宝限定で使用してゐた変名である北川徹の、昭和61年一本きり作。調べたところ、既に観るなり見たもの含め、磯村一路a.k.a.北川徹は量産型裸映画ラスト八本がex.DMMで見られると判明、ぼちぼち拾つて行かう。
 ピンクと買取系ロマポ、一般映画の別を問はず一切素通りして来た磯村一路の名前にチョロ負かされるでなく、前原祐子主演の「変態」(昭和62)がエモーショナルにクッソどエロいのを除けば、これまで北川徹にはさしてピンと来てはゐなかつたものであつた。が、大いに評価を改める要を感じた一作。電話口ではアグレッシブに淫蕩な癖して、いざオフで会ふ段ともなると案外身持ちが堅く、遂には体調を崩しさへする。バーチャルな体験により重きを置く松岡裕子(田口)の造形は、時代を考慮するに一層な先進性をピンク映画の枠内に上手く取り込んだ様が煌めかんばかりに秀逸。反面、裕子に感化され川村もやがて生身の体液交換を放棄するに至る顛末は、必ずしも非の打ち処のない説得力を有してゐる訳でもない。今回目を引いたのが、先に触れた謎主体にローションを降り注がせる確信犯的な姿勢ないし至誠に加へ、尺八に際しては開き直つて張形を使用する潔い実用性と、更には川村の側から執心する会ふ会はないといつた他愛ない遣り取りの間も寸暇を惜しまず、女優部三本柱誰かしらの裸を載せ続ける執拗なまでの周到さ。何はなくとも、あるいは何が何でもな、シンプルに腹の据わつた煽情性が出色。重ねて、関麻里亜との一夜を―ふんだんな絡みも通して―振り返る、電話の中で川村が「また会つて呉れるね?」と問へば、裕子は「まだ会つてなんかいないは」。てな塩梅で漸く初めての対面、川村が加藤の名を借り銀行員と素性を偽る一方、裕子は矢張り銀行員である実際の職業と本名とを伝へる。己は棚に上げ偽名を疑ふ素振りの川村に対し、「とりあへず私がつけた名前ぢやないは」。川村は銀行の通用口から名札をつけた制服姿で出て来る裕子を目撃、「本名だつたんだね」といふ言葉に返しては、「ホントのこといつちやいけないの」。全篇を通してそこかしこで唸る、洗練された詩情。質的にも量的にも圧倒的な女の裸で埋め尽くしておきながら、なほその先で何て洒落た映画なのかと素直に感動した。前述した、必ずしも非の打ち処のない訳ではない落とし処といふ面を踏まへるに、映画総体としては手放しで激賞するに値する傑作ではよしんばないにせよ、実は比較的作品に恵まれてゐるやうな気がしなくもない田口あゆみにとつても、代表作の一本に数へられるのではなからうか。何気ない裕子の一言一言が一々台詞回しが超絶で、田口あゆみの口跡は斯くも見事であつたのかとこの期に震へさせられた。


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