チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

さようなら明石、7年間お世話になりました

2015-09-27 10:18:47 | 身辺雑記
9月27日(日)

 思えば、2008年の9月20日に逗子を出立。大津は瀬田の唐橋で一泊して翌21日から明石暮らしが始まりました。
 最初は2年くらいの腹積もりだったのに、明石海峡を前にした快適な毎日にどっぷりと浸かって7年と3日。KAZU君一家のオランダ転居という、逗子に帰る格好のきっかけができて、とうとう明石を去る日がやってきました。

 キリがいいので、来た時と同じように9月20日に明石を発とうかと思いましたが、ちょうどシルバーウイークとかの連休中で身動きが取れませんでした。

 6年前の5連休を思い出します。KAZU君はまだ1才ちょっとでした。あの年も天気が良く、みんなで淡路島と京都の嵯峨野にそれぞれ一泊ずつ、二泊三日の旅行をしたのが昨日のことのようです。

 そんな思い出を甦えらせながら、部屋の片付けと掃除に追われていましたが、今年の連休も毎日秋晴れの好天続きで、見納めの風景を眺めながらの作業となりました。

 毎日ベランダ越しに眺めてきた
  明石海峡
  

 私の部屋は、
  茶色のタイルのマンションの3階でした
  

 そして、いよいよ明石に別れを告げる24日の朝がやってきました。木曜日はゴミの収集日。さっそく最後のゴミを出そうと表に出ると、前日までの秋空がうそのように雨が落ちていました。

 明石海峡大橋にも
  お別れして
  

 荷物の積み込みも完了。それでは
  逗子に帰るとしましょうか
  


   秋雨の町にお暇いざ帰りなん   弁人


 天文科学館の姿も目に焼き付けて
  部屋を後に
  

 山陽電車。いつの日か
  また乗ることがあるかどうか
  

 マンション前の坂道を下ると線路脇に出るのですが、写真の右側の坂道を「グーグル」の「ストリートビュー」で見ると、まるで追いかけるように私の愛車が写っています。5月頃だったか、買物に出る時にカメラを積んだ車に出くわしたので、その時の写真が載っているものと思われます。更新されるまでしばらくはいい思い出になりそうです。

 さて、こうして明石の地を後にしたわけですが、実は、朝から車に入らなかった段箱を郵便局へ持ち込んだり、退去時の必要書類や鍵を不動産屋に届けたりしていたので、出発の時間がかなり遅れてしまい、かなり慌てふためいて、なんとかお昼前に雨の中の高速道路に入りました。

 そういえば、7年前、琵琶湖から明石に来る時も、名神高速は土砂降りだったのを思い出します。今回はそれほどでもありませんが、やはり、雨の中で明石から去って行くことになりました。

 15時過ぎ、
  雨雲に煙る浜名湖に
  

 三ケ日で新東名に入らなかったのは、暗くなってから逗子に着くのがいやで、焼津に宿をとっていたからです。

 今回は、特別に
  露天風呂付きのいい部屋です
  

 焼津の町が
  眼下に
  

 マグロ料理を堪能して部屋に戻ると、夕方の景色が
  夜景に変わっていました
  

 一夜明けても雨は上がらず、港も魚市場も
  雨に煙っていました
  

 宿を出ると、もう
  すっかり彼岸花の季節なのでした
  


   雨に濡れ思ひや同じ曼珠沙華   弁人


 逗子には昼過ぎ、明石を出てから26時間後に到着。さっそく車に積んだ荷物を家の中に運び入れましたが、さてさて、これを片付けて落ち着いた時間がやって来るまでいったい何日くらいかかるのか、思わず溜め息。
 そして、久しぶりの我が家で新聞に目を遣ると、つい先日、勝率を5割にして、まだ優勝の可能性も残っていたカープが知らぬ間に連敗していたらしく、なんと借金が5つに増えていて、またまた溜め息。久しぶりにテレビを見ていると、この日も完封負けで27インニング無得点とか。

 どうも、ちょっとばかり慌ただしくしているうちに、世の中すっかり秋の寂寥感に覆われているのでした。


コメント
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