チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

秋の北東北旅 ~その4~「三陸鉄道リアス線」後編

2022-09-18 11:07:26 | 旅行
9月18日(日)

 「北東北の旅」の最終日。三陸リアス線をさらに南下して気仙沼を目指します。

 5時過ぎに目をこすりながらカーテンを開けると、
  鮮やかな日の出
  

 おかげさまで、4日間、最後まで天気が崩れませんでした。

 浪板海岸駅8時55分発。大船渡の盛(さかり)駅行きです。
  二輌編成で来ました
  

  走り出して一つ目の駅
  

 井上ひさしですね。「吉里吉里人」でしたっけ。それに、次の駅の大槌には、港の湾内に「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった小島があるということで、カメラを構えましたが、

 大槌の港も高い防潮堤ができていて、よく見えません。 
  こんな具合に
  
  

  あの歌、若い人は知らないでしょうね。
  「丸い地球の水平線に
   何かがきっと待っている
   苦しいこともあるだろさ
   悲しいこともあるだろさ
   だけど僕らはくじけない
   泣くのはいやだ、笑っちゃお
   進め、ひょっこりひょうたん島
   ひょっこりひょうたん島・・・」

 不思議ですね。子どものころ、テレビの前で何気なく口ずさんでいた歌が、現に被災地になっている土地の島が所縁となって、何十年も前にできていたのですから。

 列車が大槌を発車すると、まもなく釜石市に入り、次の駅は鵜住居(うのすまい)駅。
 釜石といえば、ラグビー日本選手権7連覇の偉業を果たした「新日鉄釜石」の記憶が鮮明ですが、3年前のワールドカップを機にでき上がった釜石の「復興スタジアム」。その最寄り駅なのです。

 進行方向左側。
  駅の手前で見えました
  

 なんか、朝、列車に乗ってからここまで、少ししんみりした思いに耽って車窓を眺めていましたが、浪板海岸から30分ほど、やがて列車は釜石の駅に。

 駅の南側、いかにも釜石らしい
  製鉄所の偉容
  

 この辺りというか、大槌辺りから南のほうは典型的なリアス式海岸で、駅は入り江になっている奥にあって、駅と駅の間は山というか半島というか、列車はそれを抜けるトンネルを走り続けます。

 釜石から1時間弱で、完全試合を達成した、あの佐々木明朗君の出身地の大船渡市に入って、

 三陸リアス線の終着駅、
  盛(さかり)駅に到着
  

 到着ホームの反対側は、かつての東北本線、一関駅へ向かう大船渡線のホームなのですが、今は線路が撤去され舗装されています。

 スムーズにバスに乗れるよう、
  一段低くして
  

 線路のあった所にバスを走らせるという新交通システム。称して「BRT(バス・ラビット・トランジット)」とか。
 ということで、盛駅から気仙沼駅まではバスに揺られてということになります。

 「リムジンみたいなバスが来るのかな」と思いきや、
  ちょっとがっかり
  

 降車ボタンもあって、ほぼ普通の路線バスという感じでした。

 途中、「奇跡の一本松」で有名になってしまった陸前高田も通りますが、今回はバスの中で黙礼して先を急ぐことにします。なにしろ、便数が少ないもので。

 その陸前高田市にやって来ました。
  空っぽの集合住宅
  

 屋上まで水に浸かったとかいう
  米沢商会ビル
  

 そして、海のほうに
  奇跡の一本松
  

 訪れる人が多いのでしょう。「奇跡の一本松」のすぐ手前に「東日本大震災津波伝承館」という施設ができていて、辺り一帯は「津波復興祈念公園」としてきれいに整備されていました。
 大きな「道の駅」といった感じで、あまりの立派さに目を見張りましたが、これからは、修学旅行生をはじめとして、犠牲者の慰霊と復興の祈念のために、多くの人が訪れるのでしょうから、それ相当の施設ができることは良いことなのかもしれません。


   運命の悪戯まさか鰯雲  弁人


 さて、陸前高田を過ぎて間もなく、バスは高速道路の三陸自動車道に入りました。そうなんですよ、さっきのシートベルトもない乗合バスがですよ。たしかに、今、三陸自動車道はどこも無料になっているのですがね、さすがにびっくりしました。
 仕方なくじっと身をかがめていると、高速を出て気仙沼の町に入り、最後の2~3㎞でしょうか、再び旧大船渡線の専用道を通って気仙沼駅に着きましたが・・・。
 大船渡からの気仙沼の間、震災の被害はきっと相当なものだったのでしょう。「BRT」と謳っていますが、バスがかつて線路があった専用道を走ったのは、最初の15分くらいと最後の数分だけでしたから。
 途中でバスが一般道を走った区間、陸前高田市内もそうですが、おそらく鉄道のあった所は壊滅的だったのでしょう、その様子が容易に想像されます。

 そして、いま降り立った気仙沼。思えば、ここは津波の被害もさることながら、漁船の火災から広がった大火の被害が甚大だったなと、3.11の夜のテレビ映像が今でも目に焼きついていて蘇ってきます。

 とりあえず港へ向かって、
  お寿司屋さんでお昼ご飯。
  


   島国や秋の旅路は海海海  弁人


 お土産も買って、あとは、今回の旅の最後のローカル線、一関まで1時間20分の「大船渡線」の車窓を楽しんで東京へ帰ります。

 気仙沼発、一関行き
  二輌編成でした
  

 そして、〆の列車の一関からの新幹線、平日なのに、夕方だったからでしょうか、満席でした。
 JR東海のドル箱は東海道新幹線とよく聞きますが、かつて、明石との往復でガラガラの時が何回もありましたがね。
 つい、「JR東日本の新幹線も、けっこう儲かっているんだ」と思いながら東京に帰ってきました。



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