9月18日(日)
「北東北の旅」の最終日。三陸リアス線をさらに南下して気仙沼を目指します。
5時過ぎに目をこすりながらカーテンを開けると、
鮮やかな日の出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/59/3b37d32943b265488baeb990c378fc81.jpg)
おかげさまで、4日間、最後まで天気が崩れませんでした。
浪板海岸駅8時55分発。大船渡の盛(さかり)駅行きです。
二輌編成で来ました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/fb/aa4b7d67d12990005700435397da64b3.jpg)
走り出して一つ目の駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/7b/193588dcb73da73a457bd59a49794555.jpg)
井上ひさしですね。「吉里吉里人」でしたっけ。それに、次の駅の大槌には、港の湾内に「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった小島があるということで、カメラを構えましたが、
大槌の港も高い防潮堤ができていて、よく見えません。
こんな具合に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/25/aafd73a4ea6bc043ebeeec835868fc87.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/f0/7ac048b1ef2a48c805cfe75a45661895.jpg)
あの歌、若い人は知らないでしょうね。
「丸い地球の水平線に
何かがきっと待っている
苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのはいやだ、笑っちゃお
進め、ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島・・・」
不思議ですね。子どものころ、テレビの前で何気なく口ずさんでいた歌が、現に被災地になっている土地の島が所縁となって、何十年も前にできていたのですから。
列車が大槌を発車すると、まもなく釜石市に入り、次の駅は鵜住居(うのすまい)駅。
釜石といえば、ラグビー日本選手権7連覇の偉業を果たした「新日鉄釜石」の記憶が鮮明ですが、3年前のワールドカップを機にでき上がった釜石の「復興スタジアム」。その最寄り駅なのです。
進行方向左側。
駅の手前で見えました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a4/feacbe6a782c2f74ca98774f664f6e8b.jpg)
なんか、朝、列車に乗ってからここまで、少ししんみりした思いに耽って車窓を眺めていましたが、浪板海岸から30分ほど、やがて列車は釜石の駅に。
駅の南側、いかにも釜石らしい
製鉄所の偉容
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8d/e893b7a9ace1fb9edfda068aa76fa115.jpg)
この辺りというか、大槌辺りから南のほうは典型的なリアス式海岸で、駅は入り江になっている奥にあって、駅と駅の間は山というか半島というか、列車はそれを抜けるトンネルを走り続けます。
釜石から1時間弱で、完全試合を達成した、あの佐々木明朗君の出身地の大船渡市に入って、
三陸リアス線の終着駅、
盛(さかり)駅に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/97/5273ab1006f12bef442380b1094123b3.jpg)
到着ホームの反対側は、かつての東北本線、一関駅へ向かう大船渡線のホームなのですが、今は線路が撤去され舗装されています。
スムーズにバスに乗れるよう、
一段低くして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ab/32616b0bf184fedbb2bd59b04e9e53b8.jpg)
線路のあった所にバスを走らせるという新交通システム。称して「BRT(バス・ラビット・トランジット)」とか。
ということで、盛駅から気仙沼駅まではバスに揺られてということになります。
「リムジンみたいなバスが来るのかな」と思いきや、
ちょっとがっかり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d1/9e840064f0b762e84651196452b2d4b3.jpg)
降車ボタンもあって、ほぼ普通の路線バスという感じでした。
途中、「奇跡の一本松」で有名になってしまった陸前高田も通りますが、今回はバスの中で黙礼して先を急ぐことにします。なにしろ、便数が少ないもので。
その陸前高田市にやって来ました。
空っぽの集合住宅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c2/a9bf4bb49962f60c4ced6c0d2c18bccd.jpg)
屋上まで水に浸かったとかいう
米沢商会ビル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/28/c18d1c3db1a72c5a4039d43d4190232f.jpg)
そして、海のほうに
奇跡の一本松
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/16/83e2761bd683dd7726bbfc3b84d1622f.jpg)
訪れる人が多いのでしょう。「奇跡の一本松」のすぐ手前に「東日本大震災津波伝承館」という施設ができていて、辺り一帯は「津波復興祈念公園」としてきれいに整備されていました。
大きな「道の駅」といった感じで、あまりの立派さに目を見張りましたが、これからは、修学旅行生をはじめとして、犠牲者の慰霊と復興の祈念のために、多くの人が訪れるのでしょうから、それ相当の施設ができることは良いことなのかもしれません。
運命の悪戯まさか鰯雲 弁人
さて、陸前高田を過ぎて間もなく、バスは高速道路の三陸自動車道に入りました。そうなんですよ、さっきのシートベルトもない乗合バスがですよ。たしかに、今、三陸自動車道はどこも無料になっているのですがね、さすがにびっくりしました。
仕方なくじっと身をかがめていると、高速を出て気仙沼の町に入り、最後の2~3㎞でしょうか、再び旧大船渡線の専用道を通って気仙沼駅に着きましたが・・・。
大船渡からの気仙沼の間、震災の被害はきっと相当なものだったのでしょう。「BRT」と謳っていますが、バスがかつて線路があった専用道を走ったのは、最初の15分くらいと最後の数分だけでしたから。
途中でバスが一般道を走った区間、陸前高田市内もそうですが、おそらく鉄道のあった所は壊滅的だったのでしょう、その様子が容易に想像されます。
そして、いま降り立った気仙沼。思えば、ここは津波の被害もさることながら、漁船の火災から広がった大火の被害が甚大だったなと、3.11の夜のテレビ映像が今でも目に焼きついていて蘇ってきます。
とりあえず港へ向かって、
お寿司屋さんでお昼ご飯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/43/b0eccd7bd3ace6491f35b304be919308.jpg)
島国や秋の旅路は海海海 弁人
お土産も買って、あとは、今回の旅の最後のローカル線、一関まで1時間20分の「大船渡線」の車窓を楽しんで東京へ帰ります。
気仙沼発、一関行き
二輌編成でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/00/cbd7d53fc2360376a2b8c9e207380ea9.jpg)
そして、〆の列車の一関からの新幹線、平日なのに、夕方だったからでしょうか、満席でした。
JR東海のドル箱は東海道新幹線とよく聞きますが、かつて、明石との往復でガラガラの時が何回もありましたがね。
つい、「JR東日本の新幹線も、けっこう儲かっているんだ」と思いながら東京に帰ってきました。
「北東北の旅」の最終日。三陸リアス線をさらに南下して気仙沼を目指します。
5時過ぎに目をこすりながらカーテンを開けると、
鮮やかな日の出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/59/3b37d32943b265488baeb990c378fc81.jpg)
おかげさまで、4日間、最後まで天気が崩れませんでした。
浪板海岸駅8時55分発。大船渡の盛(さかり)駅行きです。
二輌編成で来ました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/fb/aa4b7d67d12990005700435397da64b3.jpg)
走り出して一つ目の駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/7b/193588dcb73da73a457bd59a49794555.jpg)
井上ひさしですね。「吉里吉里人」でしたっけ。それに、次の駅の大槌には、港の湾内に「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった小島があるということで、カメラを構えましたが、
大槌の港も高い防潮堤ができていて、よく見えません。
こんな具合に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/25/aafd73a4ea6bc043ebeeec835868fc87.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/f0/7ac048b1ef2a48c805cfe75a45661895.jpg)
あの歌、若い人は知らないでしょうね。
「丸い地球の水平線に
何かがきっと待っている
苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのはいやだ、笑っちゃお
進め、ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島・・・」
不思議ですね。子どものころ、テレビの前で何気なく口ずさんでいた歌が、現に被災地になっている土地の島が所縁となって、何十年も前にできていたのですから。
列車が大槌を発車すると、まもなく釜石市に入り、次の駅は鵜住居(うのすまい)駅。
釜石といえば、ラグビー日本選手権7連覇の偉業を果たした「新日鉄釜石」の記憶が鮮明ですが、3年前のワールドカップを機にでき上がった釜石の「復興スタジアム」。その最寄り駅なのです。
進行方向左側。
駅の手前で見えました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a4/feacbe6a782c2f74ca98774f664f6e8b.jpg)
なんか、朝、列車に乗ってからここまで、少ししんみりした思いに耽って車窓を眺めていましたが、浪板海岸から30分ほど、やがて列車は釜石の駅に。
駅の南側、いかにも釜石らしい
製鉄所の偉容
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8d/e893b7a9ace1fb9edfda068aa76fa115.jpg)
この辺りというか、大槌辺りから南のほうは典型的なリアス式海岸で、駅は入り江になっている奥にあって、駅と駅の間は山というか半島というか、列車はそれを抜けるトンネルを走り続けます。
釜石から1時間弱で、完全試合を達成した、あの佐々木明朗君の出身地の大船渡市に入って、
三陸リアス線の終着駅、
盛(さかり)駅に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/97/5273ab1006f12bef442380b1094123b3.jpg)
到着ホームの反対側は、かつての東北本線、一関駅へ向かう大船渡線のホームなのですが、今は線路が撤去され舗装されています。
スムーズにバスに乗れるよう、
一段低くして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ab/32616b0bf184fedbb2bd59b04e9e53b8.jpg)
線路のあった所にバスを走らせるという新交通システム。称して「BRT(バス・ラビット・トランジット)」とか。
ということで、盛駅から気仙沼駅まではバスに揺られてということになります。
「リムジンみたいなバスが来るのかな」と思いきや、
ちょっとがっかり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d1/9e840064f0b762e84651196452b2d4b3.jpg)
降車ボタンもあって、ほぼ普通の路線バスという感じでした。
途中、「奇跡の一本松」で有名になってしまった陸前高田も通りますが、今回はバスの中で黙礼して先を急ぐことにします。なにしろ、便数が少ないもので。
その陸前高田市にやって来ました。
空っぽの集合住宅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c2/a9bf4bb49962f60c4ced6c0d2c18bccd.jpg)
屋上まで水に浸かったとかいう
米沢商会ビル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/28/c18d1c3db1a72c5a4039d43d4190232f.jpg)
そして、海のほうに
奇跡の一本松
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/16/83e2761bd683dd7726bbfc3b84d1622f.jpg)
訪れる人が多いのでしょう。「奇跡の一本松」のすぐ手前に「東日本大震災津波伝承館」という施設ができていて、辺り一帯は「津波復興祈念公園」としてきれいに整備されていました。
大きな「道の駅」といった感じで、あまりの立派さに目を見張りましたが、これからは、修学旅行生をはじめとして、犠牲者の慰霊と復興の祈念のために、多くの人が訪れるのでしょうから、それ相当の施設ができることは良いことなのかもしれません。
運命の悪戯まさか鰯雲 弁人
さて、陸前高田を過ぎて間もなく、バスは高速道路の三陸自動車道に入りました。そうなんですよ、さっきのシートベルトもない乗合バスがですよ。たしかに、今、三陸自動車道はどこも無料になっているのですがね、さすがにびっくりしました。
仕方なくじっと身をかがめていると、高速を出て気仙沼の町に入り、最後の2~3㎞でしょうか、再び旧大船渡線の専用道を通って気仙沼駅に着きましたが・・・。
大船渡からの気仙沼の間、震災の被害はきっと相当なものだったのでしょう。「BRT」と謳っていますが、バスがかつて線路があった専用道を走ったのは、最初の15分くらいと最後の数分だけでしたから。
途中でバスが一般道を走った区間、陸前高田市内もそうですが、おそらく鉄道のあった所は壊滅的だったのでしょう、その様子が容易に想像されます。
そして、いま降り立った気仙沼。思えば、ここは津波の被害もさることながら、漁船の火災から広がった大火の被害が甚大だったなと、3.11の夜のテレビ映像が今でも目に焼きついていて蘇ってきます。
とりあえず港へ向かって、
お寿司屋さんでお昼ご飯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/43/b0eccd7bd3ace6491f35b304be919308.jpg)
島国や秋の旅路は海海海 弁人
お土産も買って、あとは、今回の旅の最後のローカル線、一関まで1時間20分の「大船渡線」の車窓を楽しんで東京へ帰ります。
気仙沼発、一関行き
二輌編成でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/00/cbd7d53fc2360376a2b8c9e207380ea9.jpg)
そして、〆の列車の一関からの新幹線、平日なのに、夕方だったからでしょうか、満席でした。
JR東海のドル箱は東海道新幹線とよく聞きますが、かつて、明石との往復でガラガラの時が何回もありましたがね。
つい、「JR東日本の新幹線も、けっこう儲かっているんだ」と思いながら東京に帰ってきました。