チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

小田原ういろう物語 その2

2008-11-06 23:53:29 | 小田原ういろう
11月6日(木)

 小田原でしか手に入らない「透頂香(トウチンコー)ういらう」という薬の由来を、ここでは、市川家歌舞伎十八番「外郎(ウイロー)売」の見せ場、曽我兄弟の弟の五郎時致が扮する外郎売の口上の中から紹介します。

 ・・・昔、陳の國の唐人、外郎といふ人、我が朝に来たり、帝へ参内の折から、この薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒づつ、冠の透間より取り出だす。因つてその名を帝より透頂香と給はる。即ち文字は、透き頂く香ひと書きてとうちんかうと申す。
 ・・・先ず此の薬を、斯様に一粒舌の上に載せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言へぬは、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風咽喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。魚・鳥・茸・麺類の喰ひ合はせ、其の外萬病即効有ること神の如し。

 いわゆる「仁丹」のような銀色の小粒の丸薬なのですが、今回は、私とこの薬との出会い、そして、その後のかかわりについて述べます。

 1972年、大学を出て教職に就いた年の夏のことです。職場の人に誘われ、十数人で岩手県の早池峰山に登りました。山は素人で、山頂の小屋についた時は疲労困憊、横になったまま夕飯も口にできそうもない気分でした。その時、大磯在住の先輩が「これを飲んでみて」と言って出してくれたのが「ういらう」でした。短時間で気分が良くなり、夕食後にプラネタリュウムよりもきれいな満天の星空を、一行の人たちと一緒に眺めることができました。

 その数年後、東京の母がこんな内容の話をしました。
  「ういろう」という薬を知っているか
  小田原で売っていて、新幹線で買いに行く知人がいる
  箱根の帰りに友人と行ったが、行楽客には売れないと言われた
  神奈川に住んでいるのだから、なんとかして手に入れられないか

 ということで、小田原在住の知人に問い合わせたところ、購入時の心得として、次のことを伝授されました。
  「ふだん、お飲みですか」と聞かれるので、「胃腸薬として重宝している」と答えること。
  「今日は一箱いくらのが買えますか」と聞いて、その日に手に入るいちばん量の多いのを買う。

   これがパッケージ
          
 
 初めて訪れた時は、一箱1000円と2000円のものを売っていました。その後3000円の箱も見るようになりました。1000円の箱しかない時もあり、一人一箱までなので、半日かけて小田原まで出向き、1~2週間分しか買えずに帰ってくることもありました。ある時、店のそばの路地で上着を着替えているご婦人を見かけましたが、きっと変装して再度購入するのだと感心したことがあります。

 初めは、どうしてそんなに売り惜しみをするのかと思いましたが、薬と一緒に渡されるパンフレットに、「原材料が少なく、少量しか作れず、温泉帰りの観光客が土産として興味本位で購入されると、以前から愛用している人の分が不足してしまう」という事情が書かれてありました。
 最近は生産量が多くなったのか、一度に購入できる量も最大3000円二箱までとなりましたし、一箱なら5000円のも買えるようになりました。それでも、いかにも初めてという客には、ご主人とか薬剤師が登場し、来店の目的や現在の体調などを面談した上でないと購入できないようです。

  小田原ういらう本舗(二年前の写真で失礼)
      

 私がこの薬を愛用するようになって30年余りになります。万病に効くという効能書きですが、基本的には整腸剤だと思っています。

 今から十数年前、アメリカ一人旅に出た時、ピッツバーグのホテルで下痢になりました。目的はUSオープンゴルフの観戦でしたが、なんと決勝ラウンド最終日の前日だったのです。フロントに相談しようかと思いましたが、もし病院へでも入れられたら大変と思案している時に、「ういらう」を持参していることに気がつきました。この薬にかけようと服用して横になりました。夜中まで何回かトイレに起きましたが、数回繰り返して飲んでいるうちに腹痛は治まり、翌朝には普段どおりの体調に戻っていました。
  
 それから数ヶ月後に思わぬことがきっかけで、歌舞伎の「外郎売の口上」とかかわることになるのですが、そのお話は、次回「その3」の記事にします。ということで、今回はここまでです。


   小田原の妙薬携へきのこ狩り  弁人

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