「彩」という字の左側は、「木」と「爪」の象形文字で、人が木の実を摘みとっている形から「選ぶ」という意味をもつ。
右側の三本線は、流れる美しい髪、あるいは長く垂らした髪飾りの形で、「色」をあらわす。
左右を合わせると「多くの色の中から選んでとりあげる」=「いろどる」という字になるそうです。
いまの季節、野山には好きな色があふれていて、選ぶのに迷う。
ナンキンハゼの葉はとりわけ美しいグラデーション。
盛り合わせてみたり…
束ねて窓につるしてみたり。
散っても、枯れても、植物はきれいだな。
この時期の閑猫は、ひまさえあれば落ち葉を掃いている。
晴れた日の昼下がりは、よく乾いた落ち葉の触れ合う音がしゃりしゃりと音楽的で嬉しい。
家の前の道を、あっちからこっちまでずーっと掃いてきて、さて、きれいになった、と振り向くと、そこはすでに落ち葉でいっぱいで、掃いたのは夢だったかしらと思う。
夢うつつで何度も往復しては、集めた落ち葉を積み上げる。
もう、その中にもぐって冬眠しちゃいたい感じ。
木の下にたっぷりと積もった落ち葉を見て、街から来た人が「まあ、大変なゴミね!」と言うのを聞いた。
わたしはこういうものをゴミだと思ったことがない。
木の葉も、小枝も、むしろたべものに近いような感覚だ。
朴の葉は、大きすぎてうまく掃けないので、一枚ずつ手で拾って重ねる。
これはノート。これは手紙。あるいは地図。
街の街路樹のことを考える。
葉が落ちる、実が落ちるといって嫌がられ、鳥がとまるといって迷惑がられる。
それなら、どうして木など植えるのだろう。
日陰が欲しいなら傘でも立てておけばいいのに。
山桜は、赤くなるのと黄色くなるのがある。
下から順に、柿、アカメガシワ、山桜の三段重ね。
このあと柿は赤くなり、アカメガシワは真っ黄色になり、山桜はお先にと散ってしまう。
クサギの実。
がくの赤と果実の藍色の取り合わせが目をひく。
この実は、見た目だけでなく、本当に青い染料として使えるらしい。
残念ながら遠いうえに高すぎて手が届かない。
ヤマハゼ。
車まで落ち葉のおふとんをかけている。
いや、きみは冬眠しちゃ困るから!(笑
ただの橋、です。トロルは出てこないよ。
あ、クレちゃん、みーつけ。
ココダヨ。
本日の「いいね!」
そうそう、写研とモリサワ、だった。
リコピーがゼロックスになり、電話がファクス付きになり、出版社の編集室にMacが登場した頃、わたしも手書きからワープロに、それからパソコンに乗り換えたんだった。
「木苺通信」はまだ原稿用紙で、「黒ねこサンゴロウ」と「アイヴォリー」あたりはワープロ、「シナモン・トリー」「スターズ」のころはもうパソコンで、データ入稿というのができるようになっていた。
ほんとにいろんなことが大きく変わりました。
でも、いまになってアナログレコードや活版印刷が見直されたりしているのは、ただの物珍しさや懐古趣味だけでなく、ヒトの目や耳が本能的に喜ぶものは残るのかな、と少しほっとする。
いまどきウェブサイトを持たない企業なんて、かっこいいじゃないですか。