鍋の底に穴があいた。
明るいほうにかざしてみると、1ミリくらいの穴が、ぽちっと見える。はるか遠くの北極星のように。
直径16センチのシンプルな片手鍋。2~3人分のおつゆを作るのにちょうどいいサイズ。
ご飯を炊けばおつゆは必ず作るし、煮物や温め直しにも使うから、出番のない日はほとんどない。
ある日、火にかけたらジュウジュウいう音が止まらず、それで漏れていることがわかった。
ひとつの鍋を穴があくまで使ったのは初めてじゃないかな。
いったい何年使ったんだろう。
結婚したとき台所用品は持ってこなかったから、その後に買ったとして、30何年か。
いつだったか、火にかけっぱなしでひどく焦がしてしまい、洗ってもとれなくてグラインダーで削ってもらったことがあった。それで全体にすこし薄くなっていたのかもしれない。それがなければ、まだ大丈夫だったと思う。
「昔は、穴のあいた鍋を直す人がいたんだよね」
そんな話をすると、Mは「へえ~」と言っている。わたしより5歳上なのに、知らないって。
東京と地方都市では違ったのかねえ…なんて思っているうちに、こっちもだんだん自信がなくなってきた。
鍋の穴をふさいだり、欠けたふたのつまみを取り替えたりするおじさんが、リヤカーをひいて家々を回って…というのを、わたしは本当に自分の目で見たのだろうか。
見たとすれば、かなり幼い頃に違いないけれど、もしかしたら話に聞いただけだろうか。
想像力のある子どもというのは困ったもので、体験したことと聞いたり読んだりして想像したことが混じってしまい、年月がたつと自分でもまったく区別がつかなってしまうのですよ。
昔、「賃餅つき」という商売があった。
年の暮れになると、各家を回って、餅をつくのだ。
おじさん二人で、まず、せいろとかまど(七輪、だったかな?)をかついでくる。玄関前で火を起こして、餅米をふかす。
頃合いをみて、今度は臼と杵をかついできて、かけ声も威勢よくぺったんぺったんと餅をつく。
つきあがった餅を丸めるのは家の人で、おじさんたちは次の家へ行く。
「ふかす」と「つく」を絶妙な時間差でこなしながら、通りの端から端まで、一日かけて移動していくのだ。
それは、わたしは見ていない。母から聞いた話。たぶん戦前の話だと思う。
リヤカーを引いて来る屑屋さん、焼き芋屋さん。それはたしかに記憶にある。
お豆腐屋さんは自転車で来た。
生協の配達は、お兄ちゃんが自転車の後ろに大きなカゴを積んで来た。
そのあたりは、もう小学生になっていたから、よく覚えている。背の高いお兄ちゃんは「キリンさん」なんてあだ名がついて、子どもたちの人気者だったもの。
包丁や鋏をとぐトギ屋。これは意外と昔のことではなく、大人になってから、町で遭遇した。もうリヤカーではなくバンに乗っていた。ペットショップから美容師さんが駆け出してきて「お願いしまぁす!」と両手一杯の鋏を渡していた。
「ピーーッ!」と笛のような音を出しながら来るのは羅宇屋(らおや)で、蒸気を通してキセルの掃除をする商売…
待て待て、それ、ほんとに見たの? キセルで一服なんて、時代劇か落語じゃないの?
まあとにかく。
鋳掛屋さんがいなくては、鍋の穴はふさがりませんので、しかたなく新しいのを買いました。
あと30年は大丈夫よ。
エリカ。(ジャノメエリカ?)
南アフリカ原産だけど、冬のさなかに明るい花を咲かせる。
切り花にすると、ぱらぱら、ぱらぱら花が落ちるので、「女中泣かせ」の異名がある…なんて、こういう「植物雑学」も、いつどこで覚えたんだか…
大根、干してます。
本日の「いいね!」
イグルーの作り方
氷を切って作るんだと思っていた。雪のブロックですね。
どんなところでも暮らしていける人間の適応力ってすごいと思う。
もうひとつおまけ。
Baby elephant causes havoc at home
うわぁ、たいへん、たいへん(笑)
わたし、たぶん幼稚園くらいのときに、動物園で象さんにビスケットをあげたことがあって、それがとても珍しく嬉しかったものだから、ずーっと大事に大事に記憶してるんですが、はたしてそれは本物の記憶なのか?(笑)
上の動画よりちょっと大きいくらいの赤ちゃん象で、ほそーい鼻を檻の隙間からひゅるっとのばして、器用にビスケットを…森永のマンナという銘柄まではっきり覚えているんだけどな…