レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

小説『十月の馬』 1

2006-05-26 06:25:06 | Colleen McCullough
副題が『カエサルとクレオパトラの物語』になっているのは看板に偽りあり、パトラの出番はそんなにはありません。エジプトにポンペイウスを追ってきたカエサル、しかし彼の首を見せられて嘆き、犯人たちへ怒る。
 パトラはカエサルに、神々の意志を盾にして迫ります。カエサルはロリ趣味ないので、やせっぽちの体を抱くことは正直苦痛、なんて描写があります。たいていクレオパトラは小柄で豊満なイメージがあると思うのですが、マクロウのこの設定はけっこう意外。
 荒れた街を見て、神殿を再建しようと熱心に言うパトラに対して、まず市民の食と住まいが先だ、とアドバイスするカエサル。根っからの王族でどこか感覚のずれたクレオパトラ、こういう描き方は私は嫌いじゃありません。ここではカエサルxパトラというよりも、パトラ→カエサルといった感じで、彼女のほうが断然のぼせています。簡単にカエサリオンをつくってしまって、あとで彼女は妹をつくってめあわせなければと思うけど、ローマ人のカエサルにとっては、自分の子同士の結婚なんておぞましいからつくらないように留意します(どうやって?)。暗殺のあと、念願かなわず身ごもらなかったパトラは、プトレマイオスかユリウスの血の男を捕まえて子を産もうと計画。オクタヴィアヌスに狙いをつけて招待しようとするが、物見遊山の旅をする気はないと拒否される。まー朴念仁!と思ってほかを考えるのでした。・・・・・・なるほど、これがあとでアントニウスにはしる動機に結びつくのですな。あれだってユリウスの血縁者だし。

 この本の半ばでカエサルは暗殺されて、後半はオクタヴィアヌスが主人公となります。バカのくせにしゃしゃり出てくるアントニウスと張り合いながら、見かけと遠いしたたかさで立場を固めていく。暗殺犯たちを一掃して、アントニウスとの次の戦いを腹におさめている時点で幕。後書きで、「ここで終わらないと永遠に終われない」と書いてますが、塩野さんのように対アント&パトラ戦の勝利までやってくれてもよかったのに。
 美貌の描写は相変わらずです。
、「そして彼の華やかな髪の房!「豊かな髪」を意味する「カエサル」なんて名前の男にとって、頭の薄くなっていくことは良からぬ運命だ。彼は髪を失わないだろう、父親のたてがみを受け継いでいるならば。彼の父と私はいい友だちだった、だから、オクタヴィウスが私の姪と結婚したときは嬉しかったものだ」     
 「豊かな、軽く波打った黄金の髪を少し長くして、唯一の欠点である耳を隠している」 「眉毛と睫毛は濃い色」 「明るい輝く灰色の目」は温かみがあるが、心のうちをのぞかせていない、とか、胸板や肩の細さに不安を感じて、エジプトから連れてきた医者に相談しようとかカエサルは思ってます。情事相手の女たちに対して根が薄情らしいですが、少なくともオクタに対しての心遣いは本物に思えます。そしてここでは、オクタの側からもカエサルへの崇拝は激しいです。だからこそ、暗殺犯たちへの憎悪も激しくなるのですが。そしてクレオパトラに対しても、カエサルを取られたみたいに感じて嫉妬する。エジプトの神々が動物の頭をしていることにひっかけて「獣の女王」なんて呼んでます。
 心配性な母アティアの反対を押し切って、スペイン遠征中のカエサルのもとに赴いたオクタは、ここで受付(?)にいたアグリッパと対面する。(意訳)男らしくて軍人らしくてカッコイイ!と思うオクタ、アグのほうでは「アレクサンドロスタイプだ」と思う、「彼の語彙では、男に美しいという表現はなかった」。この作品でも、アグは世話焼きな役どころです。あとで、対ブルートゥスの時期、船酔いで弱ってる状態のオクタを、兵たちに対して、「彼が災いを身に引き受けているから我々は酔わずにすんでいるんだ」とうまいことだまくらかしてくれたりする。頼もしい奴です。
 この話で一番のかわいそう大賞は、ペディウスでしょう。二十歳にもなっていないのに強引に執政官になったオクタ、身内のペディウスを同僚に選ぶけど、彼はそもそも気乗りしてなかった。粛清の企てに怯えて反対するけど逆に脅されて自殺する。そしてキケロを始めとする多くの犠牲者。こういう展開のあとなので、上流夫人たちからの税の取立て案が、ホルテンシア率いる婦人たちのデモンストレーションによってつぶされたというエピソード(塩野さんの『ローマ人への20の質問』で紹介されてる話ですね)はむしろ息抜きに見えます。
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『ダイヤモンド・ガイ』文庫化

2006-05-25 10:44:32 | マンガ
 かわみなみ『シャンペン・シャワー』は、「ララ」に83~86年に連載された。南米の国エスペランサで、ジャングル育ちの少年アドルがサッカー選手として活躍するコメディ。私はこれを愛読はしたが、サッカーファンになったわけではやはりナイ。影響の受け方にも相性というものがあると思う。
 アドルよりも、敵チームのコンビのマルロ&アンドレのほうが人気が出て、本編終了から間もなく、彼らの過去の番外編が描かれた。本編は「花とゆめ」コミックス6巻本で出たが、なぜかこの『ダイヤモンド・ガイ』は未収録のままだったのだ。2002年に、ワールドカップ便乗で『シャンペン・シャワー』が文庫化されるとなって、では『ダイヤ~』もついに併録されるのか!と期待した、そしてそうはならずにがっかりしたファンは多かったに違いない。私もその一人である。あれから4年、またWCがめぐってきて、再度のチャンス。この文庫を知ったとき、やはりという気持ちの次には、100ページしかなかったのに、なにを併録するんだろう?という考えだった。
 『ダイヤモンド・ガイ』は、本編より10年まえに幕を開ける。13才のアンドレはマルロ18才のデビュー戦を見てすっかりファンになり、5年後に同じチームに入り、新たな同居人 を探していたマルロと一緒に住むようになる。マルロが八百長をもちかけられていると知って動揺するアンドレ、マルロの真意は?--結局、マルロを崇拝するだけでなく自分の方針を持つことによっていっそう互いの必要さを確認したという、ある種の読者にはたまらない物語であるが、ヨコシマモードなしで読んでも良い話である。
 『すすめエスパーニャ!』は、確か「ララ」作家たちの短編アンソロジーに載ったもの。スペイン愛国者の青年たちが、国際交流のために世界にスペイン語を広めようと遠征に出る大笑いモノ。サッカーの場面はやはりあるので、ここにはいっていたことには納得。
 さて、いちばんたくさんのページを占めていたのは『一輪の花』に始まる『花田兄妹シリーズ』。男子高校生花田咲也は後輩高柳に実は片想い、しかし高柳は男子高を嫌ってわざと悪さしまくって自らを退学に追い込む、咲也は告白もできずに失恋。妹のさくらはヤオイ好きで、同人誌を作っている。彼らの家に、ホームステイで日英ハーフのゲイ少年佐藤が来て、咲也の親友に惚れて咲也を困らせる。・・・このシリーズ、BL誌に場を移して『大きな栗の木の下で』として続いたが、そこまでは今回入ってない。同性愛を「異常」視も当然視もせず、やおい嗜好もヘンタイと決め付けるのでなく、暖かい視線でマジメに考える姿勢が好ましかった。途中で雑誌の講読をやめたのでどこまで進んだのか記憶が曖昧である。
・・・それにしても、これらを入れるとは思い切ったなかわみさん・・・。サッカーものとして手に取るお初の読者も予想できただろうに。
 一つだけ毛色の違う『はあどぼいるどカフェ』については別に述べる。

 私はコミケで、かわみさんを拝見したことはある。マンガでの自画像と近かった。洋画ジャンルだった。
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ジンギスカンでいくつか

2006-05-25 10:31:55 | 歴史
 ジンギスカンについて私はほとんど知らないが、関連していくつかの話題。

 『義経伝説と日本人』という本を読んだ。平凡社新書、森村宗冬。
 曰く、義経の不幸は本人の現実認識不足のためであった。鎌倉時代に文芸で復活。室町時代末期に「判官びいき」という言葉の発生。蝦夷地へ渡ったとか、大陸で清王朝の祖になったとかだんだんエスカレートする。シーボルトが「清王朝」説を通詞からきいて、勘違いからジンギスカン説を言い出す。明治・大正にジンギスカン説が高まり、論争にまでなる。
 筆者は、「判官ひいき」とは、時代の波にのれなかった敗者による感情移入で、被害者意識や自己正当化で、冷静さを欠いた後ろ向きな感情だと批判している。私はここまで否定的ではないが、敗者に対しての過度の思いいれは賢明でないという考えはある。敗者に同情するだけならばまだしも、勝利者が悪者にされることが不当だと。
 先日の『ニッポン人が好きな100人の偉人』でも、義経は上位にはいっていた。頼朝はナシ。「頼朝の裏切り」って言い方不当だろ!

 今年の教育テレビの「ドイツ語会話」で、70年代の歌『ジンギスカン』が出てきた。有名らしいが私は初めてきいた。英語で知られているが元はドイツの歌。ワイルドな英雄としてモンゴルの民がうたわれている。塩野さんの『男の肖像』の北条時宗の章には、モンゴルといえばヨーロッパの歴史の中では恐怖の的であったように書かれているが、荒々しさが魅力に見えるという面もあるのだろうか(井上靖が「匈奴」を好きなように)。 

 日本とモンゴルの合作映画『蒼き狼~地果て海尽きるまで』が製作されるらしい。原作は井上靖『蒼き狼』と森村誠一『地果て海尽きるまで』だそうで(前者しか読んでないが)、だいぶ性質の違う作家から二つで大丈夫なのだろうか?それに、本タイトルと副題の場合、一方で風情を狙うならば、片方で具体的な内容を示したほうがわかりやすいのではないかと思うのだが(私が論文書く時はそうしてる)、これは両方とも詩的だ。外国では単に『ジンギスカン』にされたりしてね。
 とりあえず、この際だからまた読むか、と『蒼き狼』を買ってきた。

 1,2年前、新聞の投書欄に、モンゴルから来ている人が、「ジンギスカン」という料理の名称を変えてほしい、と書いていた。現地の人々がイヤだというならば考えてもいいけど(と私は思うけれど)、「もし日本の偉人が外国で料理の名に使われていたらどう思うでしょうか」という問いかけに対しては、・・・いえ、別にイヤじゃないよ、と答えるかな。「ジンギスカン」を食べる人だって、それがモンゴルの英雄の名であることくらい知っているだろうし、料理が悪い印象に結びついているわけでもない。「トルコ風呂」の例とはだいぶ状況が違う。この主張あのあとどうなったのだろうか。今年改めて脚光を浴びたりするだろうか。

 ところで私は「ジンギスカン」食べたことありません。同じヒツジでもトルコ発祥の「ケバブ」ならドイツでお馴染みだったけど。
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小説『ルビコン』その2

2006-05-25 10:01:14 | Colleen McCullough
<ガリアの庶子>

 『十月の馬』で、カエサルがガリアでの子供をちらっと思い出す場面がありますが、これが登場しています。ヘルウェティ族長の娘で、夫に理不尽に離縁された女がカエサルのもとにいついた感じで、彼女を夫は石女と罵ったけど、さっさと身篭って男児を産んでしまいます。
 リアノン(本名は違うけど発音しにくいのでカエサルはこう呼ぶ)は、息子をオルゲトリクスと自分の父から名づけるけど、あとでローマでもカエサルの勢力を知って、その跡継ぎにしたいと言い出す―――という、つまり、多くのクレオパトラものにおける彼女と同じ過ちを犯しています。カエサルはこれを拒否し、いずれ息子は母の国に帰して、そこの王となるように勧めます。「おまえはローマ人でもなくカエサルの妻でもない」と言って。
 でも彼女はそれが納得できません。 「私は王の娘なのに」 「ガリアでは、跡継ぎ息子を得るために複数の妻を持つのに」
 それで、よりにもよってセルウィーリアに手紙を書いて説明を求めるんですよ。するとセルウィーリアは望みに応じて教えます。ローマ人にとってはローマの血こそ重要で、蛮族の王女だろうと意味ない。実の息子がいなくたって養子をもらえばすむこと、という説明がなされます。「私は彼の娘を産んだのよ、別の男の妻だったからやはりカエサルの名前を名乗れなかったけど」と書く彼女の心には「息子を産んだからっていい気にならないことね」という気持ちがあるに違いありません。「あなたはただの間に合わせでそれ以上でも以下でもないわ」―――こういうことは、カルプルニアがクレオパトラにも言ってやれることですね(ところでこの辛辣な手紙にリアノンは、「セルウィーリア、呪ってやる!」と激怒してました)。
 のちに、カエサルと敵対するガリア人によって、彼女は殺されて、息子(当時5才)は連れ去られてしまいます。彼らはこの子を奴隷の身分に堕としてやって報復すると言っています。以後、カエサルは一切追及せず、消息不明です。

<おばコンのカエサル>
 ところでこの庶子オルゲトリクスの容姿は、カエサルのおばユリア(マリウスの妻)に似ているという設定になっています。「これはカエサルの心を溶かすに充分だった」
 『十月馬』で、カエサルはオクタヴィアを見て、おばユリアを思い出して優しい気持ちを刺激されています。マザコンだけでなくておばコンでもあるようです。『ルビコン』では、姪アティアもこのユリアに似てると描かれています。アティアは金髪碧眼の美人設定。オクタヴィアの目は「アクアマリン」、こういう設定考えるのをきっと作者は楽しんでますね。
 私は、オクタの金髪設定を特権的なものと感じているので、あまり使ってほしくありません。母や姉はいいけど、カエサルの金髪は抵抗あります。カエサルは血縁ではあるけれど、スエトニウスの「黒い目」描写があるので、髪もダークと私は思っておきます。

<熱い女たち>
 マクロウさんのこの作品群、激しい女がたくさん出てきます、そして、熱い夫婦も多いです。意外なことに、カトー×マルキアもで、ほとんど一目惚れで燃えあがってしまう。カトーは、自分があまりにマルキアを愛しすぎていることを恐れるがために(彼女なしでは生きていけないということを否定したくて)、ホルテンシウスの求めに応じて譲った、というふうに描いてあります。で、ホルテンシウスの死後、せめて、法の定めた10ヶ月待てというフィリップスを強引に説き伏せて(その10ヶ月に間にカエサルとの戦闘になってしまうかもしれない、いまのこの時期を逃せないと言って)即座に再婚してしまうという、かなりヘンなヤツです。カルプルニアとマルキアは仲良しで、しかもそれぞれ夫をたいへん愛しているという、これまた奇妙な人間関係です。この交際について、カトーも「男の世界と女の世界は違う。カルプルニアは立派な婦人だ」と全然とがめてません。
 猛女のフルヴィアも、この巻ではクリオとクロディウスに死別しています、でもその都度たいへん愛し合ってます。アッティクスは、「不貞の願望のない珍しい女」と賞賛していますよ(そんなに珍しいんかい…)。
 結婚したのは『十月の馬』でですが、マルクス・ブルートゥス×ポルキアもたいへん熱烈です。ヨメをグーで殴り倒すセルウィーリア、そして殴り返すポルキア、並じゃない。シリーズ後半のヒロインは、最も印象の強い女をヒロインというのなら、たぶんセルウィーリアでしょう。カエサルも彼女を、性格の悪い女だと思ってますが、でも相性がいいんですよね。
 もし、『十月の馬』のあとまで描かれたら、オクタ×リウィア、アントニウス×オクタヴィアはどう描かれたのだろうと気になります。
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ソノラマ文庫ありがとう!

2006-05-24 17:35:43 | マンガ
今月買ったソノラマ文庫の新刊は、『とってもひじかた君』3巻、『はるか遠き国の物語』8巻。『とっても~』の巻末裏話は、当時のキャラクターグッズなどについて。懐かしい。ノートは買った。論文のためのメモに使ったのでいまでも持っている。イメージアルバムも買ったなぁ、声の主演は堀秀行だったな。
 来月の新刊予告になんと、吉田弥生『マジカル・ダイナマイト・ツアー①』、川崎苑子『ポテト時代』!おお~~、ありがとうソノラマ文庫!元々の出版社でなくても読者にはどうでもいいことなんだ、名作が復活するならばかまわんこと。それにしても、前者の作家はいまここの雑誌で描いているからわかるけど、後者はいま専らあおば出版なので、いきさつが謎だ。いいんだ、出してくれるなら。

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レーヌス艦隊

2006-05-24 17:28:45 | ローマ
 部屋の整理をしていたら、メモが出てきた。

1枚は、

レーヌス艦隊
アウグストゥス時代に創設
ドルススがゲルマニアでラエティー、ウィンデリキー、ケルスキーらを征服し、北海を探検していたころ。レーヌス艦隊を率いて、現在のミュンスター付近にいたゲルマニアの強大な部族ブルクテリーの海賊とBC12にアミシア(エムス)河口で戦って討ち取った。

なんの本からの引用か覚えていません。

 もう一つは、大学で借りて見たビデオ、たぶん『ルーブル美術館』の「ローマ」から。
「アウグストゥスの心の友であり有能な武将アグリッパ。剛直さと内に秘めたエネルギーがうかがえます」
「アウグストゥスが心から愛したただ一人の女性は3番目の妻リウィアでした。気品あふれるルーブルの名品です」

 やはり大学で借りたビデオ、ドイツ語での歴史か美術史のローマ編で、アウグストゥス像を「老齢にあってもなお年齢を感じさせない美しさ」とかなんとか言っていて、(塩野説によると)若作り政策がみごとに成功しているな、あはは、と思ったものです。
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小説『ルビコン』その1

2006-05-24 17:23:33 | Colleen McCullough
 オーストラリアの作家、Colleen McCullough(以下、「コリーン・マクロウ」と表記します)には、『Masters of Rome』と総称される6部作があります。共和制末期のローマを舞台とした大作で、たぶんその前半はマリウスやスッラが中心になっているのでしょう。そして4作目である『Ceasar's Women』からはカエサルが主人公。そして私はドイツの知人のおかげで、5冊目と6冊目の独訳を入手しまた。
5冊目『Caesar--Let the dice fly』の独訳の題はわかりやすく、『Rubikon』です。だから、ここでの通称も『ルビコン』にいたします。(6冊目の『The Otober Horse』は、『十月の馬』と直訳しておきます) 原書は97年、独訳は98年、そしてペーパーバッグが2000年です(なお、『十月の馬』は原書2002年、独訳04年、まだハードカバー)。
 いずれも、私の読んだのは大長編の中のごくごく一部の拾い読みです、でもそこから報告です。

<クレオパトラ>

 5巻目の内容は、BC54年11月ブリタニアから始まり、エジプトでポンペイウスが殺されるとこまでです。いろいろな点で、ああ続刊へのヒキなのか、と思える点があります。クレオパトラはちらちらと出ていて、ファラオたる自分とつりあう男などいないと思っているけど、「西から来る神」の存在を予言されています。なお、ビブルスの息子マルクスがパトラと会見していて、それについてカトーに手紙で報告していて、彼女の鼻に言及。「男の顔にあるなら立派な鼻だが、女にはナンですな」という感想です。
 マクロウ版では、クレオパトラは はっきり言って不器量、プルタルコスの評価よりも点が辛いです。それでも少なからず人を惹きつけているので、これはこれでたいしたものです。

<オクタヴィアヌス>

 彼の出番はこの巻ではちらちらという程度です、直接の登場は3回、言及されるのが3回。いずれも、たいへん美しく賢い子であることが強調されています。
 最初のは、カエサルへのセルウィーリアの手紙。フィリップスの館でアティアに息子(当時9才)を紹介されたとき。

「美しさに息をのむほど」
うちのブルートゥスがこんな容姿だったら、ユリアはポンペイウスに嫁ぐことを承知しなかったことでしょうね」(※)
「あなたが、自分の息子だと言っても信用されるでしょう」

 マクロウさんは、カエサルの容姿についても美化150%なので、この二人の容姿もけっこう似てる描写になっても無理がないのです。
 ほかの2箇所は、

・フィリップスのところで彼の娘、マルキアがカトーと話す場面で、父の後妻アティアの連れ子たちを話題にする場面。当時オクタ6才、でも「知恵は60歳」(ほんとは「16才」の間違いってことはないでしょうか)で、たいへんきれいな子だとマルキアが言います。
・カエサルが、ルキウス・カエサル(アントニウスの伯父。アントの母ユリアの度胸で助かる人。マクロウ版ではカエサルとけっこう仲が良い)に対して、姪の息子を、たいそう賢い子だと評します。

 で、実際にカエサルと 会ってるのが2回。継父のところでほかの客たちがカエサルを話題にしている場面で一回、ここが初登場です。
 カエサルの関係者(?)が集まっていて、オクタが落ち着き払ってカエサル賛美の意見を述べるので、ピソが、13才の子供が教師のような口をきいて生意気なっ、と思います。そのあと、「彼は美しい、美しすぎる!こんなに気取っていても、彼はたぶん1年後には愛人を持っているだろう」と思ってます。「愛人」が(独訳では)男性形であるところがなんとも~(ただし、この予言は的中しません、念のため!)。 原書をお持ちの方は確認してみて下さい。
 カエサルと会った場面では、
「思い出したぞ、おまえは私の姪孫だ。大きくなったな。まえに会ったときにはまだやっと歩けるくらいだった」
「むしろ貴方の息子でありたいです」
「私の息子になりたいか?それではおまえの継父が気を悪くしないかな」
「そうですか、ルキウス・マルキウス?」
「かまわんよ、私には実の息子が二人いる。おまえは喜んでカエサルにあげよう」
 なんて会話がなされます。このとき13才です。

 ※マクロウのこのシリーズでは、マルクス・ブルートゥスはカエサルの娘ユリアに夢中で婚約までするのですが、ユリアは彼に気がなく、結局政略、ゆえに解消。このことをマルクス・ブルートゥスは深く恨んでいるという設定です。
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転生で性転換

2006-05-22 14:22:56 | マンガ
 正攻法でない歴史ものとして、転生ものというテがある。現代人としてのキャラクターと過去のその人と重ねて、「歴史もの」を敬遠する読者をなんとかなだめて読ませる手段かもしれない。
 ある少女マンガサイトで知ったことだが、某ホラー誌に、土方歳三の生まれ変わりの女の子と沖田総司の生まれ変わりの男の子という設定の作品があったらしい。私は数年前に真崎春望(さなざきはるも)の、タイトルを忘れたが、この二人の現代転生設定は読んだことがあるが、これは両方男だった。沖田が剣道高校生は当然として、土方が作家というのはなんだか笑えた。
 10年以上まえ、レディコミ『ジパングに恋をした』(長浜幸子)は戦国からの転生キャラだった。積極的な社長令嬢が見合いをして相手と意気投合、しかし、謎の美青年が彼女に近づく。彼は告げる、彼女は前世で織田信長、彼は森蘭丸で、愛し合っていた二人を光秀の謀反が引き裂いた、そしていまの婚約者が光秀だと。しかし彼女は元光秀のほうを選ぶので蘭丸は暴挙に出る。・・・はっきり言ってこの蘭丸ってストーカーに見えた。かなりのドロドロ。
 やはり同じころに、BoysLoveジャンルの『蘭丸純情伝』byほたか乱 もこの三人の転生だった、ただしこれは全部男で三角関係のありようが違うけど。そしてドタバタ。

 コミックスの新刊コーナーで、『眠るアクアマリン②』by藤田和子 が目についた。藤田和子は読んだ作品はごく少ないけど好みの絵である。説明によると、主人公がアーサー王の生まれ変わりという設定。2巻で完結している。それで買ってみた。カレンは日本人なのになぜかアクアマリン色の目の持ち主。英国貴族の兄弟に拉致され、ウェールズの「王の湖」へ封印をめぐる旅に赴く。
 この兄弟(血縁なし)が金髪と黒髪でまさにこれも少女マンガのセオリー(レディコミだけど、一応)。黒髪男が本命で、こちらがランスロットの生まれ変わりだと。回想での、二人が背中合わせで敵とチャンバラして「私が道をつくる 王は走れ」はかっこいい。・・・ところで、あの~、ギネヴィアは?元アーサーの女と、元ランスロットの男が結ばれるという展開っていったい・・・。
 いまが男女カップルものだと、男から女への転生がありがち。BLなら、女から男(受キャラ)という設定も不自然ではなさそうな感じがする。
 性転換というモチーフも少女マンガにしばしば見られる。男から女へのほうがたぶん圧倒的に多い。私もこのほうが想像力をそそられる。
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小説『アントニウス』と凶行

2006-05-22 14:16:52 | Allan Massieのローマ史小説
  さて『Antony』。語り手はアントニウス本人と、そして語りを記録しているギリシア人秘書のクリティアスの二重構造です。もう最期も近いころからの回想(これは『カエサル』と同じ)で、その追憶はカエサル暗殺後に始まるので、その点『アウグストゥス』の前半と重なっってます。しかし、同じ事柄を語っているのにスレがある度合いはこの2冊(AuとAnt)がいちばん大きい。なんといってもオクタのキャラがすごい。可憐なまでの容姿と、臆病さと、粛清の冷酷さと、それでいて「少年のような魅力」で接してくる、媚態とすらいえる態度(ひえ~~)。クリティアスは、「本当に主を魅惑していたのは、クレオパトラではなくオクタヴィアヌスだった」と言い切ってます。そんなだから、「アウローラのように美しい」オクタヴィアが弟によく似ていることは「当惑」かつ「魅惑」と受けとめられるのです。登場する女たちの中で最も美しくて誠実なのは明らかにオクタヴィアです。 その妻を捨ててクレオパトラに(パルティア遠征の援助を求めるためと言ってますが)再びはしってしまい、決定的にオクタ(それまでにもなにかと悶着はあったけど)と決裂して言い訳するアントはまるで、浮気を重ねて離婚届け残して出て行った妻となんとかよりをもどそうと悪あがきする男のよう・・・

  さて、以前ここで『アウグストゥス』報告をしたとき、「一番驚いたこと」はここでは書けないと伏せていましたが、暴露します。『カエサル』で言及した「イスパニアでの凶行」とはーーアントニウスにオクタが襲われてます。最初に出てくるのはAuでのこと、BC23に大病で死にかかったことは史実ですが、うなされてる時にかつての悪夢が蘇るという文脈で。彼の天幕に酔ったアントニウスが乱入してきて、抵抗むなしく奪われたという事件がたいへんトラウマと化しております。いったいどういうつもりなんだアントニウスめ、と当然気になってきます。
次のTでは当然このことは出てきません。
Cでは、議論の席でオクタに負けて、カエサルもそれに同調したことでアントが腹を立てたことがきっかけのような感じでした。この犯行のあとでオクタは泣いてデキのことろに来るのですが、デキはそのまえにアントから、オクタがカエサルの愛人だと吹きこまれていていて疑惑と嫉妬にかられていたので冷たくあたります。かわいそう・・・と怒った私は、続く場面でローマに帰ったデキが妻の不貞現場にかちあうのがザマミロでした。
 そしてこの事件についてAntでは、こういう噂がある、と秘書がコメントしています。・・・知られていたのか。
 3作での描き方のくい違うところはあって、『Au』ではオクタの複雑な片想いのように見えて、『C』ではアントがいじめていて、『Ant』では逆にアントがまるでファム・ファタルのようなオクタに翻弄されています。想像を多少補えば、アントはオクタを意識していた、オクタはアントの馴れ馴れしい粗野な態度に反発と魅力を感じていた(知性は明らかに評価してないあたりが笑えるのですが)ということになりそうです。オクタの「カップリング」相手候補のうちで、しゃくにさわるけどアントが一番見栄えがするんですよね、絵になる組み合わせでしょう、こういう「カップリング」が「デフォルト」になるのはすごくイヤですけどね、なんといっても正統派は(自主規制)


  まっしーレポはこれで一区切りします。

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小説『カエサル』

2006-05-22 14:12:02 | Allan Massieのローマ史小説
  『カエサル』は、ルビコンから始まり、語り手はデキムス・ブルートゥス。当然ながら戦争とか政治談議とかありますが、そういう部分を私はけっこう飛ばしています、不届き者。ではなにを熱心に読んだかといえばもちろんオクタの描写です。ここでは「オクタヴィウス」と表記、そしてはっきりとカエサルの「甥」です。(すると、息子のないカエサルが彼を跡継ぎにというのはごくあたりまえのこととされている。)(『ティベリウス』の人物紹介でもカエサルをアウグストゥスの「おじ」としてあるけど、どうぜ直に登場しないからどうでもよい。ほかの本では大おじ) キケロ宅の晩餐会でデキはオクタに出逢います。、

「話していたのは、まだほとんど少年で、髭をあたったこともないような若者だった。華奢な、しかし均整のとれた体つきをしていた。明るい灰色の目、可愛らしい弓なりの唇。明色の髪が左目の上に垂れていた。」「少年は食事の間、長い睫毛の下で私に一、二度目を向けて、私を知っているように微笑した。」

そしてデキは彼に強烈にのめりこんでいきます。
美しく聡明な、そして情をかわすときにもどこか醒めたものを感じさせる少年としてオクタは描かれます。色香で男を悩殺(死語?)することもできれば、それに頼らず理性・知性で勝負もできるという。カエサルのイスパニア遠征に二人も同行しますが、そのまえに、もう子供ではないからという理由でオクタはデキと狭い意味では別れます。そしてイスパニアでおきた凶事(これについては後述)。ギリシアへ行ったオクタとデキは距離を置いた文通関係、そしてデキの周りは暗殺へと向かっていく、コトのあとでデキはオクタと手を組むことを申し出るが、デキよりもアントニウスよりもキケロよりもしたたかなオクタは当面はキケロやアントを味方につけておくので拒否。やがて孤立したデキは最後にまたオクタに手紙を認めてエンドマークです。
 これではまるで小説のテーマに沿ってないですが、私の説明では仕方ありません、あしからず。デキはほかにも、妻とかクロディアとかクレオパトラとかにもふりまわされていますが、公平に見てもオクタがいちばん印象が強いと思いますよ。「クロディアでさえ、恋する男を苦しめることで彼を凌がなかった」ときます。
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