5月9日は栗塚誕生日につき、今日明日はこの話題。
『新選組血風録』、司馬遼太郎原作、昭和40年 1965 放映の連続テレビ映画。東映。脚本:結束信二 主演:栗塚旭。
5年後の『燃えよ剣』と、製作者・出演者がかなり重なっているので、姉妹編、少なくともイトコくらいの関係にある。名作との呼び声高かったが、モノクロというハンデゆえに、再放送されにくいと言われており、有志による上映会がいくらか行われていた。東京で上映されたのは、1979年、私は中3の秋だった。その筋では有名人なのでお名前を出してしまうが、横山登美子さんによる「新選組の映画を観る会」の第1回が中野で催された。この時は『血風録』の1-3話。原作は短編集であり、新選組の歴史を網羅しているわけではない。だからこのドラマーー厳密には「映画」なのだかこう言っておくーーは、結束脚本のオリジナル部分がかなりはいっている。第1話『虎徹という名の剣』は、原作にもある。池田屋というクライマックスからはいってフラッシュバック、お約束な始まり方を見事に生かして、鮮烈なキャラ描写にもなっている。2話『誠の旗』は全くのオリジナル。まだ新選組も結成初期。誠の旗の製作を依頼した土方に、染物屋の女将が想いを寄せるがやがて悲劇に終わる。女将は芹沢に手籠めにされて自殺。その憤りを胸に秘める土方、内心の闘志をナレーションで語りながら、テーマソングのイントロが盛り上がっていき、「花の吹雪か血の雨か 今宵白羽に散るは何」と歌に突入。酒席で暴れる芹沢をよそに黙然と、冷ややかに杯を干し続けるーーラスト。か、かっこいい・・・。端正このうえなく、清潔で凛々しく可愛く上品、そういう栗塚旭によるクールな土方像、そして重厚で緻密なドラマ、美しい音楽、細やかな演出、魅力ある出演者たち。激動する時代に自ら飛び込んでいく戦う男たち、そして巻き込まれていく庶民の哀歓。この、庶民の哀歓とは結束ドラマの普遍テーマである。
それはともかく。第3話では、芹沢一派が粛清される。その旨会津藩邸に報告し、見送られながら出て行く土方の前に、芹沢に逆恨みから手籠めにされて気のふれた商家の女将が現れて、彼を罵る。罵倒に黙って耐える土方。そしてナレーション。「凄まじい倒幕佐幕の時代の戦いがこれから始まる。新選組はその先陣を切るために立ち上がる。だが、その新選組は、数え切れぬ人々の痛ましい犠牲の上に作られたのだ。その新選組を、俺はいま動かそうとしている。それが俺の悔いのない生き方だと信じているからだ。理屈はいらない。この剣が飾り物かどうか、俺がこの命を燃えきらせた時、決まる」--ここで主題歌へ。「花の吹雪か血の雨か」「明日はこの身が散らば散れ 燃える命に悔いはない 月に雄叫び血刀かざし 新選組の旗は行く」--完。
言葉で伝えることが難しいが、めまいのするようなカッコよさだった。
これが上映会の記念すべき一回目のこと。その後についてはまた明日。
付記。私は修士論文(リメイクして学内の雑誌に載せてデビューとするのが慣例である)で、上記第3話の『昏い炎』のタイトルを借用した。これではなにがテーマかわからないので、それは副題で表現した。内容と合っているから使ったのだが、「ロマン派的形容矛盾」だとほめられた。
『新選組血風録』、司馬遼太郎原作、昭和40年 1965 放映の連続テレビ映画。東映。脚本:結束信二 主演:栗塚旭。
5年後の『燃えよ剣』と、製作者・出演者がかなり重なっているので、姉妹編、少なくともイトコくらいの関係にある。名作との呼び声高かったが、モノクロというハンデゆえに、再放送されにくいと言われており、有志による上映会がいくらか行われていた。東京で上映されたのは、1979年、私は中3の秋だった。その筋では有名人なのでお名前を出してしまうが、横山登美子さんによる「新選組の映画を観る会」の第1回が中野で催された。この時は『血風録』の1-3話。原作は短編集であり、新選組の歴史を網羅しているわけではない。だからこのドラマーー厳密には「映画」なのだかこう言っておくーーは、結束脚本のオリジナル部分がかなりはいっている。第1話『虎徹という名の剣』は、原作にもある。池田屋というクライマックスからはいってフラッシュバック、お約束な始まり方を見事に生かして、鮮烈なキャラ描写にもなっている。2話『誠の旗』は全くのオリジナル。まだ新選組も結成初期。誠の旗の製作を依頼した土方に、染物屋の女将が想いを寄せるがやがて悲劇に終わる。女将は芹沢に手籠めにされて自殺。その憤りを胸に秘める土方、内心の闘志をナレーションで語りながら、テーマソングのイントロが盛り上がっていき、「花の吹雪か血の雨か 今宵白羽に散るは何」と歌に突入。酒席で暴れる芹沢をよそに黙然と、冷ややかに杯を干し続けるーーラスト。か、かっこいい・・・。端正このうえなく、清潔で凛々しく可愛く上品、そういう栗塚旭によるクールな土方像、そして重厚で緻密なドラマ、美しい音楽、細やかな演出、魅力ある出演者たち。激動する時代に自ら飛び込んでいく戦う男たち、そして巻き込まれていく庶民の哀歓。この、庶民の哀歓とは結束ドラマの普遍テーマである。
それはともかく。第3話では、芹沢一派が粛清される。その旨会津藩邸に報告し、見送られながら出て行く土方の前に、芹沢に逆恨みから手籠めにされて気のふれた商家の女将が現れて、彼を罵る。罵倒に黙って耐える土方。そしてナレーション。「凄まじい倒幕佐幕の時代の戦いがこれから始まる。新選組はその先陣を切るために立ち上がる。だが、その新選組は、数え切れぬ人々の痛ましい犠牲の上に作られたのだ。その新選組を、俺はいま動かそうとしている。それが俺の悔いのない生き方だと信じているからだ。理屈はいらない。この剣が飾り物かどうか、俺がこの命を燃えきらせた時、決まる」--ここで主題歌へ。「花の吹雪か血の雨か」「明日はこの身が散らば散れ 燃える命に悔いはない 月に雄叫び血刀かざし 新選組の旗は行く」--完。
言葉で伝えることが難しいが、めまいのするようなカッコよさだった。
これが上映会の記念すべき一回目のこと。その後についてはまた明日。
付記。私は修士論文(リメイクして学内の雑誌に載せてデビューとするのが慣例である)で、上記第3話の『昏い炎』のタイトルを借用した。これではなにがテーマかわからないので、それは副題で表現した。内容と合っているから使ったのだが、「ロマン派的形容矛盾」だとほめられた。