「新・ちくま文学の森 ことばの国」に、
「滑稽新聞」論説 より 宮武外骨
が載っていた。
「今の○○軍○○事○当○○○者は○○○○つ○ま○ら○ぬ○○事までも秘密○○秘密○○○と○○○云う○○て」という具合に、検閲で削除されたように見せた風刺である。明治37年というから、20世紀の始め。
驚いた。
これと同じことを、19世紀にハイネがしているのだ。特にメッテルニヒ体制の下で悪名高い「検閲」、これを逆手にとっている。
ドイツの検閲官たちの ---- ----- -----
---- ------ ----- -------
---- ----- ----- バカヤロー
(これは行の数はでたらめです、でも意味はこんなもの)
1830年代のドイツ語圏で、官憲側で政治的に戦闘的な文学をまとめて「若きドイツ」派と呼び、この名が文学史上も定着しているのだが、ハイネもこれに数えられている。デュッセルドルフ(※)のユダヤ系の家に生まれた「ハリー」・ハイネは、のちにプロテスタントに改宗して「ハインリヒ」に名を変え、「アンリ」・ハイネとしてパリに眠っている。
名前がいくつもあるという事実は、守備範囲の広さと奇妙に合致しているといえるかもしれない。抒情詩、小説、紀行、ドイツとフランスの文化の架け渡しの役目も務めている。
山本有三『女の一生』で、主人公が、息子が左傾しているのではと不安になり、机の上を調べたところハイネの詩集が出てくるので、ハイネといえば恋愛詩としか思わない彼女は安心するけど、夫に話すと、ハイネは革命詩人でもあるから危険だと言う(事実、息子は左翼にはしって家出した)エピソードがあった。
「本の焼かれるところでは、ついには人間も焼かれる」という言葉も残している。そしてハイネはナチス時代の「焚書」の対象であったことはあまりにも有名。そういう時代、彼の『ローレライ』は、「作者不詳」として歌の本に載っていたこともたびたび言及される。
「世界史」のレベルだと、ハイネは「ロマン派」に入れられているが、「ドイツ文学史」の常識では含まれない。むしろロマン派に批判的なのだが、なにしろ一筋縄ではいかない毒舌家の詩人だし、かつロマン的な要素を充分に持つからこそポピュラーになりえたことは確か。作曲されたことも影響が大きいに違いない。上記『ローレライ』とか、シューマンの『詩人の恋』とか。後者の『私は恨まない』、自分をふって結婚してしまった女への想いを詠んでいるのだが、・・・恨んでるぢゃないかすごく。それなりに力強いメロディにインパクトがある。
『四季の歌』の「秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような僕の恋人」はけっこうナゾだ。「僕」の「恋人」というのは多数派の常識では女だろう。ハイネのような女?頭良くて辛辣で恨みがましい、こんなのを恋人にするのはかなり大変そうだぞ。
私が最初にハイネになじんだのは、ドイツ語の授業で『ローレライ』を現代歌手が作曲したものをきかせてもらい、あとで数人の希望者がそのレコード(時代だ)を録音して頂いたことからだった。私はそれをくりかえしきいて部分的にでも書き取り、そして大学の図書館で原書と照らし合わせて探し、つぎに邦訳もそろえた。(一つだけ、いまだに訳の見つからない詩がある。「恋は3月に始まった」で始まる。詩として独立しているのでなく挿入詩なのだろうか?) 三十年戦争を背景にした『酒保の女の歌』は、世の荒廃をよそに大繁盛の、兵隊相手の娼婦をうたったもので、「国や宗旨なんて服みたいなもの(=脱いでしまえばみな同じ!)」とタカラカに吠えていてなんとも迫力。赤子のイエスを訪問した『東方の三博士』は、エキゾティックな趣がある。
この先生が亡くなったときは、このテープをダビングして学生たちに進呈することで供養の代わりにしたのだった。
※ デュッセルドルフの大学は、「ハインリヒ・ハイネ大学」が本名。日本人の感覚だと奇妙だけど、正式名は創設者とか当時の君主とか、その地に縁の有名人からとっていて、通称が町の名前ということがドイツの大学には往々にしてある。
「滑稽新聞」論説 より 宮武外骨
が載っていた。
「今の○○軍○○事○当○○○者は○○○○つ○ま○ら○ぬ○○事までも秘密○○秘密○○○と○○○云う○○て」という具合に、検閲で削除されたように見せた風刺である。明治37年というから、20世紀の始め。
驚いた。
これと同じことを、19世紀にハイネがしているのだ。特にメッテルニヒ体制の下で悪名高い「検閲」、これを逆手にとっている。
ドイツの検閲官たちの ---- ----- -----
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---- ----- ----- バカヤロー
(これは行の数はでたらめです、でも意味はこんなもの)
1830年代のドイツ語圏で、官憲側で政治的に戦闘的な文学をまとめて「若きドイツ」派と呼び、この名が文学史上も定着しているのだが、ハイネもこれに数えられている。デュッセルドルフ(※)のユダヤ系の家に生まれた「ハリー」・ハイネは、のちにプロテスタントに改宗して「ハインリヒ」に名を変え、「アンリ」・ハイネとしてパリに眠っている。
名前がいくつもあるという事実は、守備範囲の広さと奇妙に合致しているといえるかもしれない。抒情詩、小説、紀行、ドイツとフランスの文化の架け渡しの役目も務めている。
山本有三『女の一生』で、主人公が、息子が左傾しているのではと不安になり、机の上を調べたところハイネの詩集が出てくるので、ハイネといえば恋愛詩としか思わない彼女は安心するけど、夫に話すと、ハイネは革命詩人でもあるから危険だと言う(事実、息子は左翼にはしって家出した)エピソードがあった。
「本の焼かれるところでは、ついには人間も焼かれる」という言葉も残している。そしてハイネはナチス時代の「焚書」の対象であったことはあまりにも有名。そういう時代、彼の『ローレライ』は、「作者不詳」として歌の本に載っていたこともたびたび言及される。
「世界史」のレベルだと、ハイネは「ロマン派」に入れられているが、「ドイツ文学史」の常識では含まれない。むしろロマン派に批判的なのだが、なにしろ一筋縄ではいかない毒舌家の詩人だし、かつロマン的な要素を充分に持つからこそポピュラーになりえたことは確か。作曲されたことも影響が大きいに違いない。上記『ローレライ』とか、シューマンの『詩人の恋』とか。後者の『私は恨まない』、自分をふって結婚してしまった女への想いを詠んでいるのだが、・・・恨んでるぢゃないかすごく。それなりに力強いメロディにインパクトがある。
『四季の歌』の「秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような僕の恋人」はけっこうナゾだ。「僕」の「恋人」というのは多数派の常識では女だろう。ハイネのような女?頭良くて辛辣で恨みがましい、こんなのを恋人にするのはかなり大変そうだぞ。
私が最初にハイネになじんだのは、ドイツ語の授業で『ローレライ』を現代歌手が作曲したものをきかせてもらい、あとで数人の希望者がそのレコード(時代だ)を録音して頂いたことからだった。私はそれをくりかえしきいて部分的にでも書き取り、そして大学の図書館で原書と照らし合わせて探し、つぎに邦訳もそろえた。(一つだけ、いまだに訳の見つからない詩がある。「恋は3月に始まった」で始まる。詩として独立しているのでなく挿入詩なのだろうか?) 三十年戦争を背景にした『酒保の女の歌』は、世の荒廃をよそに大繁盛の、兵隊相手の娼婦をうたったもので、「国や宗旨なんて服みたいなもの(=脱いでしまえばみな同じ!)」とタカラカに吠えていてなんとも迫力。赤子のイエスを訪問した『東方の三博士』は、エキゾティックな趣がある。
この先生が亡くなったときは、このテープをダビングして学生たちに進呈することで供養の代わりにしたのだった。
※ デュッセルドルフの大学は、「ハインリヒ・ハイネ大学」が本名。日本人の感覚だと奇妙だけど、正式名は創設者とか当時の君主とか、その地に縁の有名人からとっていて、通称が町の名前ということがドイツの大学には往々にしてある。
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