レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「気に入る」の用法

2009-10-06 05:39:22 |   ことばや名前
 ドイツ語の初級で必ず出てくる動詞の一つに、gefallen(ゲファレン)がある。これは、主語が目的語に気に入られていることを意味する、例えば、Das Buch gefaellt meinem Vater. といえば、私の父はこの本を好きだということを表す。主語(本)のほうがむしろ受動であり、なにやら落ち着かなさを私は感じる。(「好む」という動詞もあるけど、それよりもgefallenのほうが先に習う。) そして、ほかにも私が落ち着かなくなるのは、「気に入る」という日本語の正しい使い方はどうなんだ?という問題。たいていはこの動詞、「(~の)気に入る」と書いてある。「気」が名詞であるから確かに、○○は~の気に入る、だと納得はいく。しかしどうもヘンな感じもするのだ。「気に入る」をひとまとめとみなして、「~に気に入られている」のほうが、私個人は抵抗がない。あるいは、「○○は~を気に入っている」。この問題で私がひっかかるのは、上記の4つの格と日本語の助詞とのあてはめにも絡んでくるからなのだけど。
 そういえば、「好き」、「嫌い」、「欲しい」の品詞はなんだろうか、(「好む」、「嫌う」、「欲する」ならば動詞であり、目的語は「を」で問題ないだろうけど、これらは堅苦しくて会話ではいささか不自然な感じさえする)国文法で習ったとしてもすでに忘れた。 「私は~~が好きだ」が本来のあり方だけど私個人は「~~を」好き、のほうが好きだ、間違いとされてきた言い方だけど、という話はまえに書いた。
 国文法、いま習えば当時(中学時代)よりも興味もってのぞめるのだろうな。
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2 コメント

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「言ってる事は解ります」 (gato)
2009-10-06 14:18:08
 日本語はね、「アバウト」なんです。他の言語ではどうなのか実際の運用はよく知りませんが。

 化学の反応式や数式なら、「=」を挟んだ両側は等しくなくてはならない、とか「法則」やその元になる「原理」「定義」が先にあって、その上で、アレとソレならコレって云うのがひとつバッチリ決まってしまう。そして事実、科学的な計測を行えば確かにソレしかない。
 言語の場合は、「法則」や「原理」から出発して発達していった物ではなく、「慣用」から遡って後から「決め事」を作った為に、「文法上、絶対にこうでなければならない」と云う絶対則が作りにくいのです。「こう言う場合もある」「こう言っても通用する」と云う例外則の方がむしろ多く、且つ「好きくない」「写メる」「KY」と云った新しい表言にも寛容で、一種ルール無用の「通じれば良いじゃん」と云う世界です。
 いやむしろ言語コミュニケーションに於いてはこの「通じれば良いじゃん」が大原則だったりします。
 それ故に「解り難い表言」はあっても「明確に間違っている表言」と指摘し得るケースは存在しにくい物ではないかと考えます。

「~を好き~」でも「~が好き~」でも「~は好き~」でも「~に好き~」でも、前後の文脈/ニュアンスで、とにかく「好意を持っている」ことは伝わります。「オマエの言う事はワカラン!」とはならないでしょう。
 むしろ「KY」に類する一連のソレにこそ「オマエの言う事はワカラン!」と言ってやりたい私です。
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所詮は多数派と少数派? (レーヌス)
2009-10-06 19:30:04
 コメントありがとうございます。
 確かに、あとから理屈をあてはめていったものでしょうね。言語に限らず、暮らしを律する法律だってそうなのに違いない。
 もっとも、耳慣れない言い方に接したときに疑問を感じることは忘れたくないと思います。気が付いたら用法や意味が逆転しているということにはやはり私は抵抗したいし。30年まえにはネガティブな意味であった「こだわる」の氾濫がその一例だし、「ヤバっ!」を「おいしい!」で使うことは耳障りです。
 意味を通じさせるということが第一義としても、ほめているのか貶しているのか逆になることはそう簡単に起こってもらいたくないものです。
 
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