レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『怖い絵』

2007-07-27 15:24:11 | 
by中野京子、朝日出版社。新刊。副題が「名画に塗り込められた恐怖の物語」。私が買った大型書店では、「美術エッセイ」の棚だった。
 いろいろな意味での「怖い」がある。『我が子を喰らうサトゥルヌス』のように見るからに惨たらしい絵。ダヴィッドの『マリー・アントワネット最後の肖像』のように作者の悪意が怖ろしいケース。ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』は、バレリーナに対する当時の偏見を作者も無批判に持っていることを感じさせるのが怖いと解釈されている。
 アルテミジア・ジェンティレスキの『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』は、己の醜聞(厳密に言えば被害者であったのだが)にも開き直ったように凄惨な光景を描いてのける画家の度胸を筆者(中野さん)が賞賛しているあたり、読んでる私も小気味良さを感じる。
 題材として私が関心を持つのは、コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』。(ローマ小説で、オクタヴィアヌスにこれの比喩を使った例があるので。その場合ゼウスはカエサルである、もちろん。) 同じ題材のレンブラントも載っている。こちらは一昨年、上野のドレスデン展で見た。目玉展示の一つだった。失禁すらして泣き叫ぶ赤ん坊の絵を、カタログでは、この題材に含まれるエロティシズムへの風刺だと説明してあった。--『怖い絵』では、作者が赤ん坊を失くしたばかりだったので、同性愛要素は入らず、親の悲しみが主題だと説明している。そういう事情は初めて知った。
 大神が美少年に懸想して、鷲に化身して連れ去る、--神話の衣を剥いでみれば、明らかに犯罪である、言うまでもなく。(だいたいあの神々は怪しからんことを山ほどしている。) そこを美しく描いてしまうことの危険、現代でも子供を犠牲にした性犯罪があとを絶たないことに思いを致してこの絵は怖ろしい、というわけである。
 ガニュメデスの心理をどうとらえるかでも様相は違ってくるだろう。当人の心を問うこともなく連れ去ろうとする神に対して、拒絶や怒りを見せるガニュメデス、そんな絵があってもよかろうに。


 取り上げてあるブロンツィーノ『愛の寓意』は、『エロイカ』ファンにとっては複雑な懐かしさを抱かせる絵だ。第1話はこの絵から始まる(「まるで春画のようだ」なんて言われていたな)。しかし、少佐の登場から『エロイカより愛をこめて』は真に始まったと見做す、たぶん多くのファンは、あのあたりはなかったことにしてしまいたいのではなかろうか・・・(私はそうだ)。
コメント (4)
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