レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ローレライ

2007-07-15 14:20:11 | ドイツ
「ローレライ」「ライン河」「やめよう あのケーキ屋は高い」
『エロイカより愛をこめて』番外編『パラダイスPARTY』のワンシーン。ある種のスパイごっこで、合言葉として「ローレライ」と「ライン河」の結びつきが出てきた。すでに25年も昔のことである。『エロイカ』にハマり始めのころで初めて雑誌で読んだのでいっそう思い出深い。

 ライン河をめぐるロマンティシズムを語るうえで、ローレライは欠かせないだろう。ドイツ・ロマン派の主要詩人クレメンス・ブレンターノの小説中の物語詩で登場した。多くの男たちを惑わせることから魔女として訴えられた美女は、恋人に去られた過去があった。司祭の勧めで修道院へ向かうが、その途中で彼の乗った船を目にして身を投げる。この作品が1802年。
 同じくロマン派、ブレンターノとも親交のあったヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの小説『予感と現在』(1815)の挿入詩には、森の魔女として「ローレライ」が出てくる。森の中で美女に声をかける男、からかうように拒絶してみせる女、しかしもう男は罠にかかっている。
 (この『森の対話』はシューマンの連作『リーダークライス』にも含まれている。)
 誕生の際に、男との関係において被害者でも加害者でもあった「ローレライ」は、こうして危険な誘惑者としての面を強めていく。
 そして決定打は、1824年のハイネの『ローレライ』。「なじかはしらねどこころわびて むかしのつたえはそぞろみにしむ」の近藤朔風の名訳で知られるジルヒャーの作曲は38年。ユダヤ人迫害で悪名高いナチス時代の歌の本にはこれが白々しく「作者不詳」として載っていたというのは有名な話である。

 ライン下りは、90年秋と99年夏に2度した。確かに、どうということのない岩山なのだけど。川からはかなりの距離があるので、これで舟乗りに聞こえてくる歌ならばものすごい声量だぞ、とか、美女かどうかなんてわかるもんかい、とツッコミをいれずにはいられない。
 まえに読んだ詩の本に、ハイネにとって女の美とは男を滅ぼすものでなくてはならないのだ、という解釈が載っていた。「ミロのヴィーナス」のように、惑わしはしても差し伸べる腕は持たないとか。ローレライなんてまさに女の中の女、理想の極み!なのだと。
コメント
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