ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ひとりじめ

2017年12月22日 | ノンジャンル
忘年会シーズン、深夜の帰宅の時に、凍えそうな
星空を見上げれば、あの日を思い出す。

結婚前、その日は二人ともそれぞれの勤め先の
忘年会で、それが終わってから会うことにしていた。

彼女のアパートに行くとまだ帰っていない。
合鍵など持っていない頃だ。

もちろん携帯などない時代である。

酒の酔いと痛いほどの寒さが身に染みて、
半ば眠りそうになっていた。

なぜかその時は、いつまででも待っている
つもりだった。

やがて帰ってきた彼女は、私の蒼白な顔を見て、
雪山でもあるまいに、凍死すると思ったのか、
抱きかかえるように部屋に入れ、いきなり私に
抱きついた。

寒い中帰ってきた彼女の身体も冷えていたが、
必死で私の身体をさする彼女を見て、一緒に
なるなら、こいつとだなと思った。

口下手な私が、プロポーズ代わりに歌ったのが
この「ひとりじめ」という曲である。

今もこの曲を歌う時は、あの時の緊張が蘇る。

歌い終わると、彼女は笑って、ひとこと言った。
「いいわよ」と。





雨ニモマケズ

2017年12月20日 | ノンジャンル
一年を振り返るこの時期、心の銘に照らして、
どれほど具体的に動けたろうか。

母親の遺訓
「他人の事をとやかく言っているうちは
 まだまだ全然ダメ。」

院長先生の遺訓
「これからも坦々と。」

恩師の遺訓
「いくら他人を下げたとしても、自分は一歩も
 上がっていない。」

「雨ニモマケズ」のモデルとなった人は、自身の
信念のまま、何があろうと東奔西走の行動の人で
あったらしい。

四衆への礼拝を行とした不軽菩薩のような
人だったのであろう。

聖人君子然とした人であっても、批判や中傷が
自身に向けられると、豹変する人がいる。
君子は豹変するといったところか。

であれば、彼は君子ではなく、人に寄り添う菩薩で
あったろう。

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

心を閉ざして、自身の世界に引きこもっていた
わけではない。
その真逆で、常に人に接し、行動した人の事である。

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ

その人のようになりたいという願望ではなく、
その生き方を、自身の生き方としていきたい
という覚悟である。

雨ニモマケズ

雨に勝つなどとは言っていない。
負けずに、自身の生き方を貫いていくという
ことなのである。

私もまた、今年と同じく、明年も負けずに
生きていく。





負け癖

2017年12月18日 | ノンジャンル
勝ち負けという言葉は好きではないが、
アルコール依存症について敢えて用いるなら、
それは、アルコールに対して負け癖がついて
しまったという事である。

アルコール至上主義となって、その支配下にある
患者は、無力であり、負け組である。

地位や財産、社会的信用、家族、そして自身の命に
代えてでもアルコールを摂取しようとしてしまう。
つまり、アルコールに負け続けていくのである。

そこで、医療なり自助グループなりの支援を得て、
初めて勝つのが断酒である。

過去も現在も、そして未来も負け続けるべき者が、
初めて勝ったのであるが、負け癖は消えたわけ
ではない。

支援によって勝ち続けることは可能である。
そしてそれはやがて勝ち癖となっていくだろうが、
それでも負け癖が完全に消えることはない。

一日断酒とは、飲むか飲まないかの一日勝負である。
これに勝つことを積み重ねていく中で、勝ち癖が
身につく。

一日とはいえ、勝負は常に一瞬である。
目の前の一杯、いや、手にした一杯に口をつけるか
つけないかの一瞬の勝負である。

それに口をつければ、たちどころに昔の負け癖が
よみがえる。

スリップとは、失敗ではなく、その一瞬の負けである。
お酒に関して言えば、この負けが、すぐに次の勝利に
つながることは稀有である。

我々の勝利とは、この一瞬の勝負に負けない
ことである。

そして、その負けない積み重ねが、
やがて勝ち癖へと昇華されていく。

勝ったり負けたりは世の常だが、我々の場合は
それが生死の問題に達する。

負け癖があることを受け入れて、今日あるやも
しれぬ一瞬の勝負に負けないこと。
そして今日を自分なりに精一杯生きること。

これが一日断酒なのである。





本気

2017年12月17日 | ノンジャンル
今年は1月からトップギアで走り出したせいか、
昨年末から一気に一年が過ぎたかのようで、
年末を前に呆然としている。

記憶を辿っても、一年がすっ飛んだかのようである。

そのほとんどの時間を費やしている仕事は、
一年を振り返る時、結局は業績でしかないし、
無論のことながら、それが評価の対象である。

どれほど苦悩し、奮闘努力したとしても、業績の
伸びないこともあれば、それがそのまま業績に
つながる場合もある。

感慨としては、すっ飛んでいった一年だったが、
幸いにも苦労が報われる年となった。

業績に関係なく、自身の一年を振り返って、
旧年よりまた一歩前進の年にできたかを省みる
時期でもある。

それは、自分の本気がどれほどあったかを計る
ことでもある。

本気になったことしか、自分の身にはつかない。
成長と前進は、本気の異名なのである。