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菅 直人が一針6000票で比例復活

菅 直人“一針6000票”の同情票

 

真剣に演説しても反応が薄い、通行する有権者に握手を求めても誰も応じてくれない。どんなに失政をしても、一切責任を取ってこなかったツケが思ったより厳しい。

 

俺が原発ゼロを言うのはやはり滑稽なのか?

どの新聞を見ても、俺の落選濃厚の記事ばっかり。

もはや、まともな手段ではこれ以上の得票を見込めない。

 

「本当に落選は避けられないかも知れない」と、

スタッフは毎日お通夜のような雰囲気で、誰もがボーっとしてしまっていた。

 

「落選したら我々の生活はどうなるのだろう?」みんな心の中の不安を隠しきれないで、どのスタッフも悲痛な面持ちの様子だ。

そうした中で13日、ボーッとしていた運転手が自爆事故を起こしてしまった。私は頭をフロントガラスにぶつけ、頭の前部を切ってしまった。大騒ぎの中、救急車で病院に運ばれ都合12針も縫ってただちに選挙の現場に復帰した。

 

 

テレビ新聞で放映、報道され、これの宣伝効果は非常に大きかったようだ。

★★

 

妻伸子が言う「開票作業中は私と菅、あと、息子の源太郎と自宅にいたんです。でも12時前に小選挙区での菅の落選が決まった時点で私は、2階の寝室で布団に入ったのです。

 

ただそれでも源太郎はネット情報で、他選挙区の動向を監視し続け、あの人はあの人でその情報をもとにペンを片手に、ノートを広げて計算、自分の惜敗率を割り出していたんです。

 

すると何時間かして『何だか行けそうだぞ』って声が聞こえたんです」

 

同情を買うため、目立つため、起死回生の自爆事故をうまく起こした運転手は菅一家のい恩人である。給料を倍にしてもいいぐらいだ。12針縫って73942票。ひと針6000票ので惜敗率を押し上げ比例復活という僅差をものにした。

 

伸子さんは「縫合もうまくいきました。怪我の功名ということですね。ウフフ」運転手さまさまだが、ご亭主が民主党大惨敗の大本を作っておきながら、よくおっしゃいますね、って話だ。

 

 

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得度から2年

 

得度から2年

 最終150回

 

警察当局の取り締まり強化を受け、山口組が本部を置く兵庫県や弘道会が本部を置く愛知県、東京都など全国の自治体で『暴力団排除条例』を制定する動きが相次いだ。

 

それら条例のすべてが「暴力団排除」への県民や都民の「責務」、を定めており住宅地周辺の暴力団事務所の開設、さらには暴力団関係者への不動産の譲渡、賃貸、斡旋を禁じている。

 

特に10年10月に成立し11年4月1日から施行された『兵庫県暴力団排除条例』では組長の別宅を「暴力団の幹部が暴力団の活動のために行う連絡または待機の用に供され」る“準暴力団事務所”と定義。

 

新しく開設されたことが確認されれば、県公安委員会が組側に運営中止を命令し、従わない場合は、1年以上の懲役、または50万円以下の罰金が科される。

 

さらには建設業者が暴力団関係者の住居などの建設工事を請け負うことも禁じており、条例が、4月9日の山口組トップ司忍組長の出所を念頭に置いて制定されたことは明らかだった。

 

最近の暴力団排除条例を見ていると、これじゃヤクザや、ヤクザの家族や、知り合いはどこにも住めないし、家も建てられないと言うことだ。

 

当局は相手がヤクザなら(「居住、移転の自由」を定めた)憲法の枠組みを堂々と踏み越えてくるし、社会もそれを容認している。

 

こういう今の日本の風潮は正直いかがなものかって思うよ。繰り返すが、そこまでヤクザをゴミ箱の隅まで追い詰めていいものかね。

 

ヤクザの方は生き残るために必死で一般社会に溶け込もうとしているのに、だよ。ヤクザ自身も組の看板下ろして、地下にもぐって“マフィア”になることなんて望んじゃいない。

 

でもこれ以上追い詰められたら、地下に潜らざるを得ないだろ。マフィア化せざるを得んわな。そうなった時に果して警察は、彼らの実態を把握できるのか?今のように取り締まることができるのか?

 

今の警察の集中取締り、山口組壊滅作戦や、ヤクザをゴミ箱の隅に追いつめる社会の風潮は、ヤクザのマフイア化を進めるだけで、警察庁が掲げる、それから一般の人たちが望む「安全・安心な社会」なぞ、未来永劫訪れないと思うがな。

 

俺が得度してから2年が経った。この間、最澄さん(天台宗の開祖)の「一隅を照らす これ国宝なり」という教えにしたがい、自分なりに仏の道を歩んできたつもりだ。

 

その一方でこんな本も出し、袴田事件の映画(第12章参照)も作り、今回の震災で少しは人の役に立つこともできた。

 

御蔭さまで、ありがたいことに単行本は多くの人に読んでもらえたし、映画も全国36か所の劇場などで上映し、沢山の人たちに見てもらっただけでなく、「モントリオール世界映画祭」(10年、8~9月)という国際的な映画祭に出品することもできて、それなりの評価も頂いた。

振り返ればアッと言う間の2年間だったがこれからも俺はこれまでと変わらず、在野の一僧侶、後藤忠叡として生きていくよ。完

 

元山口組・後藤組組長・後藤忠政

現 天台宗 僧侶・後藤忠叡

 

 

 

 

 

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