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俺はもう駄目かも・・・・橋下徹

俺はもう駄目かも…橋下 徹

 日を追うごとにどんどんボロが出てくる・・・・

新聞やテレビが「第三極」と盛んに俺たち維新の会を持ち上げるが、松井府知事は5日に府庁で行った記者会見で「連立で内閣に入ることは考えていない」とこう言いきった。

 「石原慎太郎代表が4日夜のNHK番組で自民党との連立の可能性に言及したこと」を真っ向から否定した。

 俺たち三人(橋下・石原・松井)は国民に媚を売るため、言うことがクルクル変わり過ぎるが、まあ、考えて見れば、三人の中の誰かの政策を実行すれば、結果的にウソをつかなかったことになる。

 たとえば自民党との関係

連立する・・・・・・石原慎太郎

どっちでもいい・・・橋下 徹

連立しない・・・・・松井一郎

 これって、よくよく考えてみると結構いい方策かも・・・

「三人の言うことがばらばらだ」と批判されたら

「いや、一つの政策について、三通りの案がありますので」と逆に宣伝すればいいのだ。

 日刊ゲンダイなどは、「維新の会、代表代行の橋下大阪市長は“実行力”を訴えているが、肝心の政策や方針が毎日のように変わっては有権者は維新の会の何を信じて投票すればいいのか?新聞やテレビがガンガン流している“維新旋風”なんて本当に吹いているのか

甚だ疑問だ」と7日の紙面で疑問を投げかけていたが、実際のところ、大新聞やテレビなどに勝手に維新ブームと煽らせているだけで本当のところは、我々3人でバラバラに有権者へ向けてホラを吹いているだけなんだ。

☆★

 大阪府下2町の町長選挙で維新・民主・自民・公明の四党推薦の候補者が国民の生活が第一の推薦候補者に立て続けに敗れたことがあり、つい12月2日の三重県桑名市の市長選も、

四党が《民主・自民・公明・維新》丸がかりで推薦した現職の候補者が、未来の党推薦の候補者に約3倍の得票差をつけられて完敗した。

 マスコミがどんなに未来の党の支持率を小さく報道しても、実際の選挙になると四党丸がかりでも勝てない。

 もう国民はマスコミの世論誘導。操作に騙されなくなってしまった。

 宮城1区の候補予定者が公示日の朝、家族の反対を理由に立候補辞退した。前代未聞なだけに、これはショックだったなぁ。

 はっきり言って「今は不安だらけ、自信がなくなってきた。ホラを吹き通すのも疲れるよ。柄にもない政治ごとなど一切やめてしまおうか」と本気で考えてしまう。大阪市長へのリコール騒ぎもあるし俺(橋下 徹)は、本当にもう駄目かも・・・

 

 

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3・11震災救援プロジェクト③

3・11震災救援プロジェクト③

139回

 その間、夏井からは逐一、現地の状況が入ってきていたんで、「まず必要なのは大型トラックと水だ。と判断して、地元(富士宮市)の知り合いの飲料メーカーに電話して「10トントラックとそれに積めるだけの飲料水を用意してくれ」って頼んだ。

 二人からは「燃料もない」という報告を受けていたから、

予備のガソリンも用意して、その10トントラックに積み込んだ。それから知り合いに「空いてるトラックねえか?」って片っ端から連絡し、4トントラック1台を確保した。

 それで他の(「G-RISE日本」の)メンバーが都内や、群馬の業者から毛布4000枚と衣類3トン分をかき集め、4トントラックに詰め込んだんだよ。ただその時点ではどこに行くかまだ決めていなかった。

 それで13日の夜に現地から戻ってきた徐と他のメンバーが、現場の情報と、テレビや新聞で集めた情報をすり合わせて、どこに救援物資を持っていくかを検討していたんだが、最終的には俺が福島県南相馬市に決めたんだ。

南相馬市では地震、津波によって、海岸付近はほぼ壊滅状態になり、住民417人が死亡。約1100人が行方不明となり、約5700人が避難生活を余儀なくされた。◎

 被害が大きく避難している住民が多かったということももちろんだが、福島原発の事故で、住民が放射線に汚染される危険もあった。その一方でガソリンも不足している状況だったから、距離のことを考え輸送効率が多分いいだろうとうことで、目的地を南相馬に決めたんだ。

 そのころ夏井は福島を北上していたんだが、急いで引き戻して、先に南相馬に入らせた。それで14日の昼には出発できるはずだったんだが、問題は、寿一に物資を運ぶための通行許可証(緊急通行車両確認標章)の手続きだった。

 通行規制がかかった高速道路の通行にはどうしてもその許可証が必要だと言うんで、徐が14日の朝一番に、家の近くの警視庁竹の塚署で申請したんだけど、「ここじゃあ出せない」って言われたそうだ。

 それで他の(「G-RISE日本」の)メンバーが調べて、「赤坂署なら通行許可証を取れるんじゃないか」ということになって、赤坂署に申請したら、今度は「被災地からの要請を受けたという書類が必要だ」とか言いやがる。地震や津波で電話もつながらず、役場自体が潰れたり、流された被災地にどうやってどうやって要請書を出せっていうんだ?

 この非常時の警察のお役所仕事には「ムカッ腹」が立ったけど、通行許可証を手に入れんことにはどうしようもない。それで夏井が現地で必要な物資を聞きとって、それを他のメンバーが文書にして、赤坂署に再申請をしたんだ。けれども結局、通行許可証の発行に4時間近くも待たされたな。

 それで救援物資を積んだトラックが東京を出発出来たのは、14日の夜の10時だった。 続く

 

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