yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

江戸町奉行

2010-11-01 06:59:33 | 歴史
江戸時代の初期、武士は当時の人口の約7%を占めていました。ところが日本の人口が増えていくにつれて、武士の人口は5%程度にまで減ってしまいました。減給処分などで予備役に入った武士がその半数もいましたので、当時の官僚、幕府と各藩の役人を合わせても、ほぼ人口の2、3%しかいませんでした。
江戸町奉行所は、北町と南町奉行所が交代でやっていましたが、江戸の町を常時巡回していた定町廻り(じょうまちまわり)は南、北を合わせても12人という極めて少ないものでした。当時の江戸の人口は約100万人、そのうち50万人が庶民という町でしたから、現代の東京都に比べて桁違いに行政のコストが安かったと言えます。
因みに、19世紀初めにロンドンにスコットランドヤードと呼ばれるロンドン警視庁本部が出来た時のロンドンの人口は6、70万人で、そこに約4000人の警察官が配置されたといわれています。片や江戸町奉行所の「お巡りさん」はわずかに12人です。「お上はあまり余計なことをいわないで、皆に任せておけばうまくいく」と、いうのが江戸時代の発想だったそうです。徳川恒孝(つねなり)氏が言っているように「江戸時代、お上の威光は、ほどよく、そこそこに発揮され、普段はほどほどの管理で、行政の実務は町や農村の主だった人たちに任せてしまう」ものでした。
 また養老孟司氏はこれに同調し、「あらゆるものを目で見える尺度で測ろうとする警察的な発想をする社会が、江戸の社会と比べて得なのか損なのかを、もう一度考える必要があります。」と言っておられます。
       養老孟司、徳川恒孝著 「江戸の智恵」 PHP研究所
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