南宋の朱熹は儒教の新しい学問体系を再構築しました。これは朱子学として日本に伝わり江戸時代に武士の学問となり大きな影響を与えました。朱熹が賦した有名な漢詩、「偶成」を紹介します。
少年易老學難成
一寸光陰不可軽
未覚地塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老ヒ易ク 學成り難シ
一寸ノ光陰軽ンズ可カラズ
未ダ覚メズ地塘春草ノ夢
階前ノ梧葉已ニ秋聲
若者を諭した詩です。時間は矢のように過ぎ去るものなので、夢を見ている時間はない。少しの時間をも無駄にすることなく勉学に励むようにと言っています。
さて、藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を読んでいましたら。隠居した三屋清左衛門の言葉として、残日(ざんじつ)とは「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」から採ったとありました。
この言葉の出典を調べましたら「史記列伝」の「伍子胥(ごししょ)」にあるとの事です。
また、「徒然草」の百十二段にもあります。
一生は雑事の小節に障(さ)へられて空しく暮れなん。日暮れ途(みち)遠し。吾が生、既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下すべき時なり。
「蹉陀」はつまづいて倒れること、ぐずぐずして時機を失うことです。
我が身につまされるような文です。古典は、人生において時間が大切であることを教えております。
少年易老學難成
一寸光陰不可軽
未覚地塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老ヒ易ク 學成り難シ
一寸ノ光陰軽ンズ可カラズ
未ダ覚メズ地塘春草ノ夢
階前ノ梧葉已ニ秋聲
若者を諭した詩です。時間は矢のように過ぎ去るものなので、夢を見ている時間はない。少しの時間をも無駄にすることなく勉学に励むようにと言っています。
さて、藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を読んでいましたら。隠居した三屋清左衛門の言葉として、残日(ざんじつ)とは「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」から採ったとありました。
この言葉の出典を調べましたら「史記列伝」の「伍子胥(ごししょ)」にあるとの事です。
また、「徒然草」の百十二段にもあります。
一生は雑事の小節に障(さ)へられて空しく暮れなん。日暮れ途(みち)遠し。吾が生、既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下すべき時なり。
「蹉陀」はつまづいて倒れること、ぐずぐずして時機を失うことです。
我が身につまされるような文です。古典は、人生において時間が大切であることを教えております。