太陽の道とは北緯34度32分にあたります。これは奈良の写真家、小川光三氏が発見した道で、冬至の日には三輪山から日の出があり、春分の日と秋分の日には二上山(ふたかみやま)の雄岳と雌岳の峰の間に夕日となって沈んでいきます。このラインは全長約200kmもあります。このラインに沿って、太陽信仰の古墳、神社、寺が多くあります。東の端は伊勢の斎宮で、伊勢久留間神社・箸墓古墳(はしはかこふん、卑弥呼の墓ではないかという説が有力)・三輪山・平城宮・二上山などで、西の端は淡路島の女人禁制の石上(いわがみ)神社です。いずれも古代から太陽信仰の跡となっているものです。また、太陽の道に沿って、日置・弊岐・戸岐・戸木・部木・引・疋・曳など、「ひき」又は「へき」と呼ばれる太陽と関係のある地名が多いということです。また、日置が転じて日企(ひき)氏になったということです。「古事記」の「国生みの伝説」によれば、伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が国生みをされた時、最初にできたのが淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)、すなわち現在の淡路島であり、淡路島の人々は、今でも日本最古の島の住人という誇りが高く、また島には太陽信仰の遺跡も多く古い信仰が残っているということです。
内田康夫著 「神苦楽島(かぐらじま)」 文藝春秋
水谷慶一著 「知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく」 NHK出版協会
内田康夫著 「神苦楽島(かぐらじま)」 文藝春秋
水谷慶一著 「知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく」 NHK出版協会