yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

脾肉の嘆(ひにくのたん)

2010-10-04 06:45:56 | 歴史
「三国志」の話です。後漢末、劉備玄徳は曹操との戦に敗れ、荊州の牧(ぼく)であった劉表のもとに一時、身を寄せていました。ある時、劉備は自分の内股の肉(脾肉と言います)が厚くついているのに気付き、愕然として涙を流しました。それを不思議に思って見ていた劉表に向かって劉備は言いました。「自分は、かつて、来る日も来る日も馬に乗って戦っていたので、内股の肉はありませんでした。しかし、今では馬に乗らないため、内股に贅肉がついてしまいました。月日は瞬く間に過ぎ、老いが忍び寄ろうとしています。しかし、私は何の功業もたてていません。それが悲しいのです。」  このように平和で安らかな日が続くために手柄を立てる機会が無いことを「脾肉の嘆」と言います。この後、劉備は曹操のもとを脱出して、隠棲していた臥龍(がりょう、諸葛孔明のこと)を三顧の礼をもって迎え、孔明が唱える天下三分の計を実現させ、蜀の国を興し、曹操の魏と孫権の呉に鼎立して三国の時代を開きました。
 旧制高校生はこうした歴史に精通していたのでしょう。金沢の第四高等学校を代表する寮歌
「南下軍」はこのことをふまえて次のようによんでいます。
嵐狂へば雪降れば
いよゝ燃え立つ意気の火に
血は逆巻きて溢れきて
陣鼓響きて北海の
「健児脾肉を嘆ぜしが」
遂に南下の時到る
第四高等学校生は、この寮歌を歌いながら四高六高戦(六高は岡山)に向けて攻めこんで行きました。この時、四高柔道部で大活躍したのが正力松太郎氏だったということです。
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