細川頼之(よりゆき)の漢詩、七言絶句です。
海南行
人生五十愧無功
花木春過夏已中
満室蒼蠅掃難去
起尋禪榻臥清風
人生五十功無キヲ愧(は)ヅ
花木春過ギテ夏已(すで)ニ中バナリ
満室ノ蒼蠅(そうよう)掃(はら)ヘドモ去リ難シ
起(た)ツテ禪榻(ぜんとう)ヲ尋ネテ清風ニ臥(が)セン
「訳」
すでに自分は五十を過ぎているのに、さしたる功績もないのはかえりみて恥ずかしい。
今は花咲く木々も春のよそおいを終えて、夏となり、その夏も、はや半ばとなった。わが人生も、はや盛りも過ぎたことを痛感する。どこから来るのか、青蠅どもが部屋一杯に飛びまわり、うるさく人にたかり、払っても追い払うことができない。一つ、このあたりで、ここから立ちあがって、部屋のそとで座禅椅子のあるところを探し、清らかな涼しい風に吹かれながら、その上で横になることとしようか。(小人の満ちているうるさい政治の場を去り、静かな田舎の役人として気楽な余生を送りたい)
細川頼之(1329―1392)は南北朝時代の武将です。足利尊氏傘下の武将。読書を好み、和歌をよくし、また禅を修めました。尊氏に従って転戦し、武功がありました。51才の時、幼い主君、義満(尊氏の子)と不和となり、功を立て難いと悟り、領国の讃岐に帰りました。海南とは四国、讃岐を指します。蒼蠅は詩経にもある語で、にくむべき人、小人のことです。
上記の「海南行」からは陶淵明の「帰去来の辞」や「歸園田居五首」が連想されます。
南北朝時代は戦乱の世でしたが、細川頼之など、漢詩に造詣のある武人が少なくないということです。
吟剣詩舞振興会 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」
海南行
人生五十愧無功
花木春過夏已中
満室蒼蠅掃難去
起尋禪榻臥清風
人生五十功無キヲ愧(は)ヅ
花木春過ギテ夏已(すで)ニ中バナリ
満室ノ蒼蠅(そうよう)掃(はら)ヘドモ去リ難シ
起(た)ツテ禪榻(ぜんとう)ヲ尋ネテ清風ニ臥(が)セン
「訳」
すでに自分は五十を過ぎているのに、さしたる功績もないのはかえりみて恥ずかしい。
今は花咲く木々も春のよそおいを終えて、夏となり、その夏も、はや半ばとなった。わが人生も、はや盛りも過ぎたことを痛感する。どこから来るのか、青蠅どもが部屋一杯に飛びまわり、うるさく人にたかり、払っても追い払うことができない。一つ、このあたりで、ここから立ちあがって、部屋のそとで座禅椅子のあるところを探し、清らかな涼しい風に吹かれながら、その上で横になることとしようか。(小人の満ちているうるさい政治の場を去り、静かな田舎の役人として気楽な余生を送りたい)
細川頼之(1329―1392)は南北朝時代の武将です。足利尊氏傘下の武将。読書を好み、和歌をよくし、また禅を修めました。尊氏に従って転戦し、武功がありました。51才の時、幼い主君、義満(尊氏の子)と不和となり、功を立て難いと悟り、領国の讃岐に帰りました。海南とは四国、讃岐を指します。蒼蠅は詩経にもある語で、にくむべき人、小人のことです。
上記の「海南行」からは陶淵明の「帰去来の辞」や「歸園田居五首」が連想されます。
南北朝時代は戦乱の世でしたが、細川頼之など、漢詩に造詣のある武人が少なくないということです。
吟剣詩舞振興会 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」