東京渋谷は、駅ビル商店街、「ヒカリエ」やスクランブル交差点などで有名になっています。金王(こんのう)八幡宮という神社もあり、境内に金王桜があります。渋谷の歴史は大変古く、鎌倉時代に桓武平氏の秩父氏から分かれた相模渋谷氏の領地があったことに由来します。現在も三十六代当主の渋谷重光氏がご壮健です。
ところで、渋谷氏の先祖に渋谷金王丸(こんのうまる)がいました。17歳で源義朝に従い、「保元の乱」に出陣しました。「平治の乱」の後、出家して土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)と名告り、義朝の霊を弔いました。後に源頼朝から義経追討の命を受けて、文治元年(1185)に心ならずも義経の館に討ち入り、勇ましい最期を遂げました。頼朝は金王丸の忠節を偲び、鎌倉から桜を移植して「金王桜」と名づけました。これが今も渋谷金王八幡宮にあるそうです。傍らには松尾芭蕉の句碑もあります。
しばらくは 花の上なる 月夜かな
金王桜は一つの枝に一重と八重の花が咲く珍しいもので、渋谷区指定の天然記念物になっています。
また、金王丸の忠義の物語は、江戸時代に歌舞伎や浄瑠璃の演目になり、日本中に広まりました。
ところで、渋谷氏の先祖に渋谷金王丸(こんのうまる)がいました。17歳で源義朝に従い、「保元の乱」に出陣しました。「平治の乱」の後、出家して土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)と名告り、義朝の霊を弔いました。後に源頼朝から義経追討の命を受けて、文治元年(1185)に心ならずも義経の館に討ち入り、勇ましい最期を遂げました。頼朝は金王丸の忠節を偲び、鎌倉から桜を移植して「金王桜」と名づけました。これが今も渋谷金王八幡宮にあるそうです。傍らには松尾芭蕉の句碑もあります。
しばらくは 花の上なる 月夜かな
金王桜は一つの枝に一重と八重の花が咲く珍しいもので、渋谷区指定の天然記念物になっています。
また、金王丸の忠義の物語は、江戸時代に歌舞伎や浄瑠璃の演目になり、日本中に広まりました。