yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

日本の電話のさきがけ

2010-03-09 07:05:25 | 文化
明治時代、日本に電話機が導入されるきっかけを作ったのは、アメリカに留学した二人の日本人留学生でした。それは金子堅太郎と伊沢修二でした。
電話機はアメリカのベルが1876年に発明しました。当時、ハーバード大学で学んでいた
日本人留学生、金子堅太郎と伊沢修二は二人だけでそれを試みに使ってみました。その結果
日本語の会話ができることを確認して大変感動しました。そこで早速、明治政府にそれを報告しました。この情報を受けて工部省は翌1877年にベル電話機を2台輸入し、通話実験を行って性能を確かめ、早速、電信局製作所で国産第一号の電話機を作り、実用化に踏みだしました。そして早くも1890年には東京、横浜間で電話サービスが開始され、1899年には東京、大阪間の長距離市外通話が始まりました。このように、アメリカで発明された電話をいち早く実用化したのは日本が最初でした。そのきっかけを作った二人の日本人留学生の活動も特筆すべきものでした。このような素早い対応に明治時代の気分がうかがえます。

ところで金子堅太郎(1853-1942)は元福岡藩士で、維新後、岩倉具視の欧米使節団に随行してアメリカに渡り、ハーバード大学で学び、帰国後、伊藤博文内閣で農相、法相などを勤めました。またセオドール・ルーズベルト大統領とは大学で同窓であったため、日露戦争当時に対米外交に当たり、アメリカを動かして日本に有利な対ロシア講和条約を結ぶのに尽力しました。
伊沢修二(1851-1917)は高遠藩士の父を持ち、秀才の誉れ高く、上京して大学南校(現、東京大学)に学び、その後、文部省に出仕してアメリカに留学しました。マサチューセッツ州の師範学校で音楽教育法を学び、帰国すると日本の近代音楽教育を指導し、東京音楽学校(現、東京芸大)の初代校長も勤めました。卒業式の定番として有名な「仰げば尊し」は彼の作詞、作曲と言われています。
高田達雄 「電磁波のすばらしい世界」 電気学会
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする