中国・戦国時代、燕の国で昭王は郭隗(かくかい)等に助けられて、王に即位することができました。そこで昭王は次に父と国の仇、斉を討ちたいと考え、そのためにはどうすれば良いかと郭隗に聞きました。それに対する郭隗の答が名言「先従隗始(せんしょうかいし)」でした。これは「戦国策」の燕の部に見られる言葉です。<o:p></o:p>
「先従隗始」とは「王必ず士を致さんと欲っすれば先ず隗より始めよ」という意味です。この郭隗の言葉には続きがあり、「そうすれば、隗より優れた者が、千里を遠しとせずに燕にやって来るでしょう。」昭王は直ぐにはその真意が納得できませんでしたが、やがて郭隗の予言の通り、楽毅という名将が燕に現れ、燕の繁栄の基を築くことになりました。<o:p></o:p>
楽毅は文武両道に優れた名将で、中国でも我が国でも他にあまり類を見ない型の人物だと思われます。強いて言えば、後世の蜀の諸葛孔明が似ているでしょうか。我が国の武勇の源義経と知略の竹中半兵衛を足して、さらにスケールを拡大すると、楽毅像が描けるのではないかと思います。<o:p></o:p>