【今日(9/7:金)の予定】
道の駅:真狩フラワーセンター →(D・R5他)→ 函館港フェリー乗り場 → その先未定
【昨日(9/6:木)のレポート】 天気:曇り時々晴れと雨の荒天
<行程>
道の駅:真狩フラワーセンター →(D)→ 真狩湧水 →(D)→ 道の駅:ニセコビュープラザ →(D)→ 道の駅:230ルスツ →(D)→ 真狩フラワーセンター(泊)
<レポート>
いやはやとんでもない一日となった。昨日は台風騒動が夜になってようやく収まり、やれやれという感じで眠りに着いたのだが、明け方近くの3時過ぎに突然携帯のメールが鳴り渡り、何事かと開いて見たら、何と地震が発生したので揺れに気をつけろという主旨の内容だった。思う間もなく揺れが来てしばらく続いた。車の中では大した揺れとも感じなかったが、これはかなり大きな地震かもしれないという感じはした。それで、直ぐにTVをつけて見ると、何と安平町では震度6強だという。昨日の台風では各地にかなりの雨も降っており、何事も無ければ良いがと気になった。しばらく各地の地震の震度などが報道されていたが、その内に厚真町で土砂崩れが発生したとの災害の報道があった。大事にならなければいいがとしばらく報道を見ていたが、その後も同じような内容の繰り返しだったので、しばらく見るのを止めることにした。まだ真夜中であり、災害の状況が克明に解るわけでもなく、夜が明けてからでないと判らないと思った。外に出て見ると、街灯は消えていて、道路の方へ行って見ると信号も消えているではないか。ここは震源からはかなり離れており、震度も4との報道だったので、まさか信号までが停電で消えているとは思わなかった。何だか変だなと思った。
そのあと今日のブログの投稿を終え、しばらく眠ることにした。5時を少し過ぎた頃に知人から電話があって、北海道が大変なことになっているけど大丈夫?との安否を案ずる電話だった。ここは大丈夫との報告をした後、もう一度TVをつけて見ると、まさしく大変なことになっていた。厚真町の土砂崩れは、想像を絶するような規模の山崩れとも言うべき恐ろしい景観が映し出されていた。家も納屋や倉庫なども一気に呑み込まれたような、恐ろしい映像だった。その後も各地で大小様々な被害の様子の報道が続いており、これは一大事件だなと思った。
そのあとも多くの知人や身内からのメールや電話での安否の問い合わせがあり、もはや寝ているどころの候ではなくなった。起き出して対応に迫られる。それをしながら、こんなに多くの人たちに心配して頂けるなんて、自分達は幸せ者だなと思った。9時近くなって、ようやく自分達のひと騒動は収まったのだけど、TV報道で見る被害の状況は凄まじくて、これはもう間違いなくとんでもない大事件だと思った。厚真の山崩れでは40名近くの方たちの行方・安否の確認が出来ていないという。又亡くなられた方も2名を数え、各地の道路状況や家屋の倒壊・破損も数多く発生しているとのこと。札幌市内では特に清田区の状況が厳しいようで、そこに住まわれている知人のことが心配になった。電話をするとご本人と話が出来て、ご無事だと追うことで安堵したのだが、話では本棚が倒れたりして室内はめちゃくちゃの様子だった。手伝いに行くこともままならず、こんな時の歯がゆさを思った。とにかく怪我無しで安全を確保されておられたのが何よりのことと思うしかない。2次災害などが起きないよう祈るばかりである。
そのあとここにずっと居続けるのもムダのように思い、真狩湧水を汲んだ後、まだ残っている訪問予定先の蘭越町や寿都町の郷土館などを訪ねようかとニセコの道の駅まで行ったのだが、何しろ全道が停電中で、全信号が消えている状態なので、道道から国道5号線に入る交差点は警察官が手信号で車の通行を捌いており、このため長い渋滞が出来ており、国道に入るのに10分以上もかかるといった状況だった。この状況を見て、他の場所でも同様な現象が起きていないとも限らないので、今日はやはりどこへも行かずにじっとしていることが肝心かなと思った。
そのまま真狩の道の駅に引き返すのもつまらないと考え、ルスツの道の駅まで行って見たのだが、今日は地震停電のため閉店とのこと。いつもの豆腐屋さんまで行って見たのだが、こちらも豆腐作りなんてとんでもないといった様子で空振りとなる。やはり真狩が一番かと考えて道の駅に戻る。午前中の主な出来事といえばそのようことだった。
午後になって天気は再び不安定になり、晴れて太陽の熱射を浴びるかと思えば、たちまち曇って雨が落ちて来るという、気まぐれがハイレベルな天気となった。もうどこへ行くのも諦めて、ここで過ごす覚悟をする。真狩の道の駅の売店も全部閉まっており、いつもと変わらないのは1カ所ある水汲み場だけ。電気が使えないので、トイレも使用不可の状態。北海道の苫東厚真火力発電所の設備が毀損したということで、今のところ復旧の見通しは立っていないとのこと。その後の報道では、完全復旧までには1週間以上を要するとのことだった。
インフラの中で、今日では一番の基幹となる電力がこの状態で先が見えないというのは、国としても道としても再発防止の重大な課題となるのではないか。信号だけではなく、人々の暮らしのあらゆる面に絶大な影響を及ぼしていることを改めて強く感じた。何しろ、札幌市等では、情報をTVだけに依存している人は、肝心のTVを見ることも叶わず、地震で一体何が起こっているのかも判らないという人が続出しているというのだから、これを防ぐために何をどうすべきかという課題は重要だと思う。そのことを一番に思った。
いい加減な昼食を済ませ、そのあとは少し眠ることにした。相変わらず羊蹄山は雲の中で何も見えず、黒雲がバラバラになって奔っている。こんな時は寝るのが一番なのだ。2時間ほど眠って、16時過ぎに携帯が鳴って目覚める。邦子どのに出て貰ったら、どうやら嫁御と孫たちからだったようだ。夢うつつに聞いている内に目醒めて、正気を取り戻す。外に出て見ると、依然として信号は消えていて、北電の発電復帰は容易ならぬ状況だったというのが解った。本当に一週間もこのままの状態が続いたとすれば、これは前代未聞の歴史に残る事件だなと思った。
同時に11日逢うことになっている九州からのK君夫妻のツアーも、もしかしたら中止となるのではないかと思った。電源の供給がなければ、空港もホテルも機能不全になるのである。電話でそのことを話したら、業者の方では明日の15時までにどうするかを決断するということだったので、自分達の行動もその結果を待って決めることにした。もし会えない事態となるのならば、これはもう旅を切り上げて帰途に就くしかないなと思った。全道が電源が供給不能なこの状態で止まっていても、旅の安全が確保されるのは困難だろうという判断である。
全くとんでもないことになったものである。外の天気は何事も無かったように快方に向かっているようで、雲に隠れていた羊蹄山はてっぺん近くに綿雲をほんの少し巻いて雄大な姿を見せていた。地震のことなどどこ吹く風という、何事も無かったという風情である。大自然というのは、人間どもとは無関係に己の道を行っているのだなと改めて思った。
真狩高校の庭から見た羊蹄山は、何事もなかったように泰然としててっぺんに雲をからませて聳えていた。
消えたままの信号機。どこへいってもこの状態なので、交差点の通行は慎重でなければならない。この状態が1週間も続くというのだから、信じられないというしかない。
その後夕刻になってK君達から電話があり、やはりツアーは中止となったとのこと。このままではここに居ても暮らせるかどうか分からなくなるので、明日は取り敢えず函館まで行って、船便の状況を見て青森に渡るかどうかを決めることにした。何だかまさに竜頭蛇尾というのか尻切れトンボというのか、勢いの消えた尻つぼみの旅になりそうである。