山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第108回>

2018-09-10 06:48:45 | くるま旅くらしの話

【今日(9/10:月)の予定】 

 道の駅:いなかだて → 未定(晴天の田んぼアートを見るため、もう一日ここに滞在するかも)

【昨日(9/9:日)のレポート】 天気:雨

<行程>

 終日道の駅:いなかだてに滞在(道の駅 ⇔ 温湯温泉)

<レポート>

 朝歩きに出かけようとしたら雨が降ってきた。昨夜も時々雨音がしていたようだが、夢うつつに聞いていたようだ。外に出て見ると、どうやら今日は終日の雨らしい。空がそのような顔をしていた。こりゃ、山越えで十和田の方へ行っても危ないし、景色を見るどころじゃないという事態になるなと考え、ブログに記載して発信したばかりの予定を直ちに変更して、今日は終日ここにいて旅の疲れを癒すことにしようと決める。世に、舌の根も乾かぬ内にという話があるけど、自分の予定に対する豹変ぶりも相当なものだと自嘲するばかりである。

 それでも傘をさして少しばかり付近を歩いたのだが、この道の駅は弥生の里とも呼ばれており、弥生時代の数多くの水田跡の残る代表的な遺跡である垂柳遺跡がある場所である。すぐ傍に埋蔵文化財センターと博物館があって、それらの様子を詳しく知ることができる。5月にも寄っているので、今年は二度来たことになる。弥生時代といえば、米作りが始まったことでもたらされた縄文を脱却した時代であり、これは北海道には存在しない。本土で育った人の大半は、日本国の歴史の中で、古墳時代の前は弥生時代が当たり前と学び信じている人が殆どだと思うが、北海道で育っている人には弥生時代に対しては、やや違和感を覚えてもおかしくないのではないか。米作りがこの国の文化を大きく変えたということの意味を、今回北海道を旅して深く学んだような気がする。

 この田舎館村では、発見された垂柳遺跡のことをとても大切に扱っており、米の文化の大切さを伝える一つのイベントとして、田んぼアートなるものを毎年開催している。何種類もの米を巧みに植え育てて、田んぼの大地にまさにアートというべきテーマに基づいた絵を描き出すのである。会場が二つあって、第1会場は町役場に隣接する田んぼであり、もう一つはこの道の駅に隣接する田んぼである。この村での田んぼアートを嚆矢として各地で田んぼアートが開催されているけど、自分はこの地のものを凌ぐほどの作品を見たことがない。今年の作品はまだ見ていないので、明日の楽しみである。

 朝の歩きで、第2会場の傍を通ったのだが、何が描かれているのかは判らなかった。手塚治先生の漫画の登場人物だということだが、どのように描かれているのか楽しみだ。田んぼには何種類かの米が植えられて、微妙な色合いで植えられているのを見て、これは大変な事業だなと思った。一株の失敗も出来上がりには大きな影響を及ぼすのだから、それまでの管理は相当に厳しいに違いない。

その会場の田んぼの先を少し行くと遊稲の館というのがあったが、ここが何をする建物なのかは分からない。ただその周辺に20種類を超すと思われる様々な品種のコメが植えられた田んぼがあって、それぞれの名前の書かれた立て札が並んでいた。白い色から黒っぽい色まで、それから丈も高いものから極低いものまで、稲というのはこんなに多くの仲間を持っていたのかと驚かされた。ここに植えられている分は、もしかしたら来年の苗を育てるためのものなのかもしれないなと思いながら、それぞれの稲たちの姿を写真に撮った。

 車に戻る頃になると雨が少し本格化したようだった。朝食に久しぶりにご飯を炊いて、卵かけご飯を味わう。このところいい加減な食事ばかりしているので、これからは少しちゃんとしたものとしなければならない。今朝はそのスタートというわけである。先ほど田んぼの中を歩いてきたので思うわけではないけど、やはり日本人は米が一番だ。つがるロマンを食べなければならないなと思った。

 さて、今日はすることは何もない。ただ、温泉には入りたい。少し離れた場所に温湯温泉があるので、少し経ったらそこへ行くことにして、邦子どのがフリーマーケットのようなものを見に出かけていたので、その間ちょっと眠ることにした。10時過ぎに目覚めて、邦子どのも戻ってきたので、温湯温泉へ。10分ほどで着いて、早速温泉に入る。シャンプーも石鹸も無いけど、たった250円で、古来からの良質の湯を味わえるのだから、まことにありがたいことである。1時間ほど浸って、旅の疲れの欠片を何枚かを流れ落として、車に戻って再び道の駅に。良い湯だった。そのあとはビールで一杯やって自分は寝床の中へ。邦子どのは鍵を紛失したなどと大騒ぎの後、見つけ出したようで、安堵して静かになり、フリーマーケットの中に紛れて行った。

 15時過ぎに目覚めて、まだ邦子どのは戻っていない。昨日買った枝豆を茹でることにした。茹で上がって一段落した頃ようやく邦子どのが戻ってきた。このマーケットには何度か来ており、顔なじみの人もいるらしく、その人に再会したことを興奮しながら報告されるので、些か辟易した。ま、嬉しいことは誰にでも話したいものなのであろう。我慢も肝心。

 雨は依然として降り続いている。だんだんと暗くなって来て、今夜は長い夜になりそうである。いつまでもここに滞在しているわけにはゆかないのだが、田んぼアートを見るのはやはり晴れの時が良かろうと思うので、晴れるまで待ってもいいかなと考えている。いずれにしても明日は天気次第である。

コメント
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