山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第113回(最終回)>

2018-09-15 03:36:11 | くるま旅くらしの話

【昨日(9/14:金)のレポート】 天気:曇り

<行程>

道の駅:常陸大宮かわプラザ →(R118・K)→ 道の駅:かつら →(R123)→ 城里町ショッピングモール → 水戸北IC →(常磐道)→ 谷和原IC →(R294他)→ 自宅

<レポート>

 昨夜は遅くなって雨が降り出し、その後断続的に朝まで降り続いていた。この分だと今日は雨なのかと、帰宅後の荷物の取り出しなどを考えると少し憂鬱な気分となった。しかし、朝方になると雨は止んで日差しも見えるようになってきたので、これなら大丈夫かと少し楽な気分となった。

 常陸大宮市は平成の大合併で出来た人口4万1千人ほどの町で、自分が育った場所でもある。道の駅のある場所は、自分の育った集落からは4kmほど離れているのだろうか。まさかこんな所に道の駅ができるなんて夢にも思わなかったというのが正直なところである。常陸大宮かわプラザと名づけられた道の駅は、清流久慈川の少し曲がった場所にあり、元々この辺りの川岸は竹が密生していて、川の流れなど見えなかった場所なのだが、その竹を伐採して巧みに地形を活かした道の駅の設計となっている。販売されている地産品や生鮮品なども生産者と販売者との連携がまあまあうまくいっているようで、活気が見られるのは嬉しい限りである。ここに泊るのは3度目だろうか。夜間の騒音も少なくて、まあ、茨城県の中では上位に属する道の駅ではないかと思っている。

 旅も最後の日となった。そのまますんなり帰る前に、我が親友に会って簡単な旅の報告をしておかなければならないと考え、水戸市郊外の城里町にある道の駅:かつら迄お越し頂くことになった。当初は自宅近くまで行ってと思っていたのだが、市内中心部では適当な駐車場も無く話もできないので、少し離れているけど出向いて頂くことにした。彼とは高校1年生以来の知人で、大切な親友である。旅の始まりからずっとブログをウオッチしてくれているので、内容は凡そご存知なのだろうと思うけど、お互い顔を見ながら話すのは又格別なものなのだ。

 10時に出発して、途中実家にある畑の様子を見ながら、道の駅:かつらに着いたのは10時半頃だった。間もなく親友の安夫妻も来られて、再会を果たす。この道の駅では話をできる場所がないので、彼が予め見つけていてくれたショッピングモール内の喫茶場所へ移動する。それから2時間余り旅の話やらであっという間に時間が過ぎてしまった。話は尽きないけど、改めてご夫妻が我が家に来て頂けるということで、楽しみをあとに残すこととなった。。13時頃に出発して、水戸北ICから常磐道に入り、谷和原ICまで走って、我が家に到着したのは14時20分だった。

 これで旅は終わった。全日程112日、全走行距離11,235kmの旅だった。

 孫たちがいるかと思ったら、不在だった。そのあとは荷物の運び入れに1時間ほど汗を流す。2階が住まいなので、何度も繰り返す階段の昇降は、老人には厳しい運動となるけど、まだ大丈夫である。一番重かったのは、旅の間に集めた資料や冊子で、膨れ上がった書類袋が5つもあり、加えて本なども数冊あって、運びながらこれらをどう整理するか、これからの楽しみと苦しみを思ったりした。

 17時頃にようやく孫たちが戻ってきた。それからは大騒動となった。驚いたことに下の孫娘はドレスなどで着飾っている。どうしたのかと思ったら、何と今月から幼稚園に通っていて、今日はお誕生会があったのだという。半年も早い入園と聞いて、まあ、そのような仕組みがあったのかと、もう一度驚かされた。上の子も大はしゃぎでまとわりついて離れず、久しぶりのジジバカをしばらく堪能した。

 そのあとは、もう何もする気が起こらず、北海道で買ってきたインカのめざめのジャガイモを茹でて食して夕食とし、一杯やって直ぐに寝床の中へ。全ては明日以降の課題である。やれやれ、どっこいしょ、である。

コメント
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