山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第19回>

2013-06-10 02:34:09 | くるま旅くらしの話

【今日(6/10)の予定】 

  道の駅:伊豆のへそ →(R136)→ 伊豆の国市内・ホテル →(R136・R414)→ 道の駅:天城越え → (未定)

 【昨日(6月9日)のレポート】   

<行程>

道の駅:富士川楽座 →(K369・R1・R414) → 道の駅:伊豆のへそ →(R136)→ 伊豆の国市内・ホテル →(R136)→ 道の駅:伊豆のへそ(泊) 

<レポート>

 旅の間にはいろいろな事件が勃発する。その内容は大小様々だけど、一番恐ろしいのは天災にぶつかることだと思う。その次は事故かもしれない。取り上げればきりがないが、天災の部類に関しては、今迄で一番肝が震えたのは、強烈というか、激烈というか物凄い雷雨に見舞われた時だった。富山湾のブリは有名だけど、そのブリ君たちを驚き慌てさせて湾内に追い込む自然現象がある。冬の雪空の中での雷鳴は、それを知らない関東に住む者には不気味で恐ろしいけど、富山湾のそれはその恐ろしさの塊のような現象らしい。この雷鳴とどろく現象はブリ起こしと呼ばれているとのこと。自分たちが能登を訪れたのは晩秋とはいえ秋だった。能登半島の中島ロマン峠という可愛げな名前の道の駅に錨を下ろしたのだったが、その夜は18時過ぎから猛烈な雨が降り出し、時々大玉の雹(ひよう)などを含ませながら、車の天井が破れ抜けるかと思うほどの大音声を発し、それに雷鳴がとどろき、近くに落ちた雷が何度も何度も地面を揺るがし、車を振動させたのだった。およそ2時間近くその恐怖の時間帯が続いた。まさにこれがブリ起こしなのだなと思った。連続して身近に落雷を感じる恐怖は、光と音の狂乱のようにも思え、この世の地獄を思わせた。しみじみと大自然の脅威のすごさを思い知らされたのだった。我が人生では一番の恐怖の実体験だった。

 前置きが長くなったけど、その大自然の引き起こす現象が昨夜の雨だった。雷鳴は遠くの方で多少鳴っていたのかもしれないけど、雨の勢いはかなりのものだった。能登での経験があるので、それほど驚いたわけではないけど、日中の晴れの穏やかな表情からは予想もつかない大変事だった。くるま旅をする場合どこに車を止めるかという判断はかなり大切で、どこでもいからあまり気にしないというのは、いざという時を考えた場合大いに問題があるように思う。我々の場合は、先ずその土地の全体のロケーションを地図などで確認して、実地に着いてから歩いて周辺の状況を確認するようにしているのだが、絶対といって泊らないよいにしているのは海のすぐ傍にあるような道の駅である。海の近くでも高台ならば時にお世話になることもあるけど、港に隣接しているような場所は敬遠することにしている。また、風の通り道となっているような場所も避けるようにしている。近くに崩落の危険のあるような場所も当然気をつけなければならない。昨夜は富士川の崖の上に造られた駐車場だった。雨は良しとして、地震のことを考えると必ずしも適切な選択ではなかったように思った。反省が必要である。

 昨夜はもう一つ事件が起こった。家にいる時ならまずあり得ないことなのだが、車の旅では油断をしていると時々見舞われる事件である。それは夜中に蚊の攻撃を受けたことである。いつ、どこから侵入したのか分からないのだけど、とにかく夜中に眠気が誘いに来ていい気分の時に「ぷ~ん」という鳴き声は、何とも腹ただしく、いっぺんに眠気を吹き飛ばされてしまう。昨夜は途中でたまらなくなって起き出し、灯りをつけて徹底的に彼らの退治に取り組んだのだが、ゲリラ戦と同じように安易な勝利は難しいようで、ついに夜明けまで彼らの無差別攻撃を回避することはできなかった。このような虫との戦いは、安全衛生上バカにできない重要テーマの様に思う。蚊を退治するということが当面の最重要事項なのだけど、それ以上に恐ろしいのは蚊に刺された後の処理だ。これを安易に考えて手当てを誤り、後で入院に至るほどの大事となったケースも身近に聞いており、たかが虫くらいでなどとは決して思わない方がいい。北海道を旅している時に、実際に虫さされで大事となったという話は何件か聞いており、同じ種類の虫でも、その住むエリアによっては毒性に差があるようで、要注意である。

 冒頭から変なことを書いているけど、今日は実のところ大して書くことがないからなのである。というのも、今日は今回の旅の計画の引き金になっている、相棒の高校時代のクラブの仲間たちが、恩師を囲んで伊豆の長岡の温泉(伊豆の国市)で一泊して旧交を温めるという日だからである。この相棒の予定のために、我々は信州から北陸に抜け、京都の北部から南に抜け近江から奈良を回って、お伊勢さんに寄り、そして東海をうろついてここまで来たというのが実情なのだ。ずいぶんとまあ、膨らませたものだが、こんなことも旅の口実となるのだから面白い。従って、今日は相棒をその宿まで送り届ければ、明日の10時までは無罪放免となるのである。といって、自分に格別の企みがあるわけでもない。ただ一人でゆっくりするだけの話である。

 ということで、道の駅:富士川楽座では午前中一杯過ごそうかなどと思っていたのだが、期待していた富士山の眺望も、朝の内のわずかな時間にぼやっと頂上辺りが見えただけで、さっぱりだった。晴れて空気が澄んでおれば、ここからの富士山の眺望は一級品なのだ。しかしまあ、この梅雨の時期はそのような富士山を期待する方が無理というものであろう。一回り建物の中を巡った後、とにかく伊豆の方に向かうことにした。自分の泊る予定場所としては、相棒の宿からさほど離れていない場所にある道の駅:伊豆のへそというのを考えている。ここはまだ行ったことがないのだけど、トロピカル洋ランセンターなどとかいう施設に併設して造られているようなので、恐らく日中は姦しい場所ではないかと思っている。でも夜は静かな穴場となるのかもしれない。とにかく先に行って様子を見ておこうということにしたのだった。

 相棒の仲間の方たちのチエックインは15時以降ということで、時間もたっぷりあるので急ぐことはない。ということでナビの言うのに従うことにした。長岡のその道の駅に行くには二つのメイン国道があるのだけど、もしかしたらナビはややこしい方を選ぶのではないかと思っていたら、案の定より複雑で時間のかかるルートの方をガイドし出した。ナビに翻弄されるのは良しとしないので、少し気にいらなかったけど、ま、この道も一度通って見ておこうというとで従うことにした次第。R414は海側から入る道で、細い道が続いていた。戸田の方へ行く別れ道から左折して長岡方面へ向かい、12時少し前に道の駅:伊豆のへそに着く。妙な名前だけど、これは恐らく伊豆半島のへその位置に当るということからの命名ではないか。ま、伊豆半島の頭がどこで、足や心臓がどこなのか知らないけど、そんなことはどうでもいい話である。道の駅は、植物園というよりもハワイアンセンター風の歓楽地のような雰囲気の場所のすぐそばにあり、観光バスの立ち寄りルートの一つになっているようで、何台もの観光バスが出入りしていた。車も多くて、やはり日中は賑やかなようだ。15時までまだかなり時間があるので、軽く昼食を済ませたあと、ひと眠りすることにした。昨夜は蚊の無差別攻撃を受けて、熟睡をものにできていなかった。相棒も同じはずなのだが、眠くないらしく数独の本を引っ張り出して熱中し始めた。これがあると他のことを忘れられるというのだから、不思議な人である。自分などは完全アバウト主義者なので、このような数字遊びは苦痛以外の何物でもない。しかし、自分が1時間ほど寝て起き出してみると、相棒もまた数独の薬が効いたらしく、本を手に持ったまま熟睡のご様子だった。ま、たわいもない老人たちの時間の過ごし様である。

 14時半過ぎ相棒を届けに出発する。道の駅からは15分はかかるかなと思っていたが、実際は10分ほどで着いてしまった。仲間の皆さんは皆一緒に車で来られるらしく、まだ到着されていなかった。15時チエックインなので、それまでは待ってみようと、すぐ前を流れている狩野川の堤防を歩くことにした。このホテルのある側の方は伊豆長岡の温泉街となっており、幾つもの旅館やホテルなどの建物が立ち並んでいた。20分ほど歩いて戻ったけど、何時に到着されるかは相棒も判らないというので、それなら自分は先にここを出ることにして相棒を置いて出発する。

 道の駅に戻る前に、持参するのを軽視して読みを誤り少なくなっているTシャツを買わねばならないし、また温泉にも入ることにして、既に行く先も調べ済みである。温泉は大仁温泉にある旅館を予定しており、そこに向かうことにした。走っていると、途中にアピタという大手のスーパーがあったので寄ることにした。自分でこの手の買い物をすることは滅多にないのだけど、窮すれば何とやらである。ポケットの付いているものを探し求めて買い入れる。携帯を入れるので、どうしてもポケットが必要なのだが、それのあるTシャツは少ない。上手く見つけられてよかった。そのあと温泉街の目的の旅館に行ったのだが、着いてみると駐車場が狭くSUNを停める余裕は全くなかった。残念。再度新たな施設を探すのも面倒なので、温泉は明日に伸ばすことにして、道の駅に向かう。15時50分到着。これから先は自分一人の自由時間。但し、何も予定はなく、ブログを書いて寝るだけ。

 夕食はスパゲッティ・カレー。それとトマトと常食の玉ねぎサラダ、それと昨日の余りの黒はんぺん。ビールと焼酎をやっていい気分となるころは、道の駅の構内には車は殆どいなくなり、日中からずっと流されていた中古品のハワイアンの歌も止み、蛍の光の曲が流れていっぺんに静かになった。ここはTVも良く映り問題ないのだけど、見ない方に慣れてきているせいなのか、ニュースを見た後はもういいやという気分になり、寝床にもぐりこんで爆睡となる。

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