山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第21回(最終日)>

2013-06-12 06:05:34 | くるま旅くらしの話

 【今日(6/12)の予定】 

   昨日で旅は終わりとなる

【昨日(6/11)のレポート】

<行程>

道の駅:下賀茂温泉湯の花 →(R136・R414) → 道の駅:天城越え →(R136・R414他)→ 東名沼津IC →(東名道足柄SA)→(東名道・首都高速・常磐道谷和原IC)→ 自宅(帰宅)

<レポート>

 道の駅:下賀茂温泉の一夜は快適だった。トラックの騒音もなく、ただほんの少し風の騒ぐ音が時々聞こえてくるだけだった。ここは海から近く、直ぐ傍を流れる青野川に沿って海風が上って来るらしい。四囲を山に囲まれている感じがするので、それほど海が近いとは気づかなかったのだけど、地図を見たり、町中にあった海抜米の標示板を見たら8m余りとあったので、なるほどと納得したのだった。静かだと眠りは深く、目の覚めるのも早い。0時半頃には眠りは完了し、もう無理だと判断して起き出す。ブログの残りの分を書き足してそれが終わったのは1時半近くだった。夜は常に電源に不安があるので、ソーラー電源の小さな手元ランプを使用しているのだけど、そのリミットはフル充電されていても3時間ほどなので、パソコン使用が終わればもう使わないことにしている。従って、真っ暗となり、1時半過ぎの外も未だ街灯や自販機の照明くらいしかなく、江戸時代なら暗闇の夜なのである。

現代人は本物の夜というものを知らなくなってから久しいようだ。今の時代本当の夜が存在するのは、深い山の中か森の中の一部くらいしかないのではないか。都会の人が天体望遠鏡を買い入れても、それを自宅で見ようとすれば、余計な光が邪魔して、真にやりにくい環境にある。お月さまや幾つかの惑星くらいしか観測できないのではないか。暗闇の夜を知らない現代人は、時間というものを使い過ぎて、そのためにストレスを抱え込んでいるような気もする。旅に出ると、電源に不安のある夜は、日の入りとともに眠り、日の出とともに起き出すという、我らの遠い祖先の暮らしのスタイルに似た時間の使い方となる。恐らく祖先たちは、何か変事を感じた時以外は、夜は眠るものと考え、身体もその通りに反応していたに違いないと思う。しかし、現代人の自分は、昼夜見境もなく眠りたい時に眠るなどというデタラメをやり続けて来たものだから、眠りが足りてしまうと、丑三つ時の深夜でも暗闇に立ち往生をしてしまうのだ。

ブログを書き終えて発信作業を終えてしまうと、灯り無しで出来ることは殆ど無い。外を歩きまわればたちまち不審者となるであろうし、車の中ではても足も出ない。動き回れば直ぐに何かにぶつかり、相棒の非難を受けるのは確実なのである。そのような時にやることといえば、寝禅くらいしかない。寝禅とは、寝床に横たわりながら調心調息を行うことである。本当は床に座って坐禅を行いたいのだけど、床が狭くて座るスペースも無い。座布も用意して持参しているのだが、車の中では使えない。それで寝禅となるわけである。寝床に身を横たえて、静かに呼吸を整える。吸う息よりも吐く息の方により長い時間をかけるようにして、一呼吸の時間を少しずつ長くして行く。1分間に1呼吸くらいになると、暗闇などとの境は無くなって来る。その状態で、まずは今回の旅の振り返りなどをしてみる。初日どこに泊って、それから後どんなコースを辿って、どんな出来事があったのかなどを今日の今まで辿って見るのである。途中で記憶が途絶えて、どこに泊ったのかも思い出せないことなどがあると、呼吸が乱れたりすることがある。そのような時は最初からやり直す。たいていは記憶は回復し、繋がってゆく。未だ大丈夫だなと少し安心する。何が大丈夫なのかといえば、勿論認知症などの侵入阻止機能である。一通り振り返りが終わると、旅の間で印象的だったシーンを拡大する作業に取り組む。食べ物、人物、景色、自然現象などなど、材料の尽きることはない。しかし、これらの作業を最後までやり遂げたことは一度もない。何故ならそれは無限であり、不可能だからだ。そして途中で終わらせる最大の要因は、いつの間にか本物の眠りが再侵入してくるからである。この日もいつの間にか眠り就いて目覚めたのは4時過ぎだった。

既に外は明るくなり出していた。風が強いようで、周辺の木々たちが揺れ騒いでいた。天気はあまり良くないようで、空の一部に青空も見えるけど、雲が悪質だ。昨日の予報では台風が近づいているということだが、まさか未だその影響は受けてはいないだろう。今は基本的に梅雨時なのだから、天気が悪いのは仕方がない。だけど台風などという奴の来訪は勘弁して貰いたいものだ。そのようなことを外に出て、空を見上げながら考えていると、早や散歩と思しき同世代人が、近くの川の堤防に造られた遊歩道を歩いておられるのが目に入った。そうだ、自分も歩きに出掛けようと、昨日貰った町中の観光案内の絵地図を取り出し、準備をする。下賀茂温泉のある南伊豆町は、いつも通過するばかりで、温泉も昨日が初めてだった。町中のことはさっぱり判らない。町を知るための良い機会である。

ということで、それから1時間ほど近くの町中を歩きまわって、朝の空気を胸に入れたのだった。下賀茂温泉のあるこの辺りが町の中心らしく、役場も直ぐ近くにあり、小型ながら大手スーパーなどの店もあって、暮らしに不自由をしないエリアであることが判った。温泉の湯量が伊豆では一番だと聞いてはいたが、町中を歩いて気づくのは温泉を汲み上げる穿鑿井戸の櫓(やぐら)が幾つもあり、湯けむりを上げていたことである。道の駅の近くにもそれがあり、お湯がこぼれ湧いていた。ここは確かに温泉場なのだなと思った次第。普通は名のある温泉場は、道が細く建物が混み入って、車を停める場所を探すのに苦労することが多いのだが、ここはそれが余りないようだ。どのような温泉の歴史があるのか判らないけど、温泉が現代化し始めたのが比較的新しいのかもしれないなと思ったりした。町中を流れる青野川に沿ってあちこちにたなびく湯けむりを見ながら、一回りして車に戻る。

   

道の駅:下賀茂温泉湯の花の近くにある穿鑿井戸。井戸のてっぺんから熱い湯がこんこんと湧きあがり溢れ出ている。このような汲み上げ井戸が青野川を挟んで町中のあちこちに幾つも湯けむりを上げていた。

町中を歩いていたら、地デジのアンテナをつけている家も結構多いのに気づいた。山に囲まれているので、TVはケーブルなのではないかと思っていたので、車のアンテナも手つかずにしており見るのは最初から諦めていたのだったが、これじゃあ見られるのかもしれないと、車に戻って直ぐ設定をして見た。すると驚いたことにスイッチを入れただけでNHK他の受信が出来ていたのだった。何日か前、川根温泉で設定して以降一度もTVを見ていなかったのだけど、同じ静岡県なので、有効だったようだ。相棒も起き出して来て、その後はしばらくニュース画面などを見ることが出来た。

このニュースを見ていて、天気予報を聞いていると、台風が悪さを始めたらく、しかもそれが早まって来ているらしいという話だった。今までの天気予報はネットや携帯からの情報だけだったので、文字や絵ばかりで、それを見て勝手に大丈夫と想像していたのだが、音声で人が話すのを聞くと、やはり説得力があり、その気になってしまう。その話では、これから先台風が前線を刺激して大雨を降らせたり強風の吹くエリアが増えてくるとのこと。しかもそれはこれから自分たちが行こうとしている富士山麓や秩父などの山岳部に大きく影響しているようなのである。週間予報を見ても天気に期待できそうな雰囲気ではないので、このまま旅を続けてもただ風雨を味わうだけとなってしまいそうな気がした。それに山間部は、最近は土砂崩れなどが多発しており、何が起こるか予想もつかない。今回の旅のメインの目的だった相棒の集まりも終了したことだし、思い切って引き揚げようかということになった。自分としては未だもう少しは台風の影響は大丈夫ではないかと思ったのだけど、TVの天気予報の解説者の話を聞いた相棒は、もはやもの凄い勢力の台風がやって来て、猛烈な雷交じりの豪風雨をもたらすかの如き恐怖の受け止め方だった。今日帰るにしても風は大丈夫なのかと、高速道を使って帰ろうといい出しながら、そんな心配をしているのである。こうなると、もはや旅は終りとしなければならない。

ということで、当初は下田公園のアジサイが開花の最盛期を迎えており、それを見ようと考えていたのだったが、それも止めることにして東名道に一番近いと思われる沼津ICを目指しての出発となった。8時である。いっぺんに旅の予定が終りになって、何だかがっかりしたような、満たされない気分が残っている。けれどもこんな時は安全運転がより重要な心がけだと思う。歳をとるとそのような注意喚起は一応出来るようになってはいる。下田の市街を抜け、昨日来た道を少し戻って途中からR414に入り、山を越えて河津桜で有名な河津町の方に向かう。この山越えは大変だった。414という道路番号に恥じない狭い曲がりくねった山道が続き、時々出くわす通勤車両と思しき車との離合に神経をすり減らした。しかし河津町に入り本来のR414に入ると、ここからは天城越えの安心感のある道路となり、名物のループ橋や新天城トンネルなどを通って、今度は下りとなり、昨日寄った道の駅:天城越えで一息入れる。9時を過ぎたばかりで、売店は未だ開店しておらず準備中だったが、昨日買い入れたワサビの茎と葉をもう一束追加購入しようと、相棒が何とか話をつけて譲って貰ったのだった。今日の僅かな目的といえば、この道を通るのだからこれを手に入れて帰りたいということぐらいだった。それが実現できてよかった。

その後は、動き出した人々や車の中にまぎれ、渋滞にも見舞われながら、沼津の市街地に入り給油をした後、ようやく東名道に入る。新東名道の名が並んでいたけど、敢えて東名道を行くことにした。入り口がはっきりしないからである。それに新東名道は御殿場辺りで終わりになるからでもある。ここから先は足柄SAで早やめの昼食をとり、ひたすら高速道を走って、首都高に入り、それを抜けて常磐道の谷和原ICを出て、我が家に着いたのは13時40分だった。高速道は風もなく、雨も降らず、走行に何の支障も無かったけど、こんなに慌てて帰り戻る意味があったのかなと、何だかすっきりしない気分が残った。しかし、その後の荷物の取り出しや片付けに汗を流している内に、そのようなことは皆忘れてしまっていた。とにかく今回の旅は終わったのである。全行程2,644kmだった。

コメント
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