山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第17回>

2013-06-08 07:52:21 | くるま旅くらしの話

【今日(6/8)の予定】 

  藤枝市内親戚の家 → 富士宮方面(詳細未定)

 【昨日(6月7日)のレポート】   

<行程>

道の駅:川根温泉 →(K64・R1他)→ 藤枝市内親戚の家(泊) 

<レポート>

 昨夜は夜半から雨が降り出し、明け方ごろは結構な降りとなった。昨日の静岡県地方のニュースを見ていると、雨が少ないため、干上がってしまっている川などがあり、アユの干からびた姿や息も絶え絶えのうなぎの姿などが映っており、例年の半分以下の降雨量しかないとのことだった。やはり梅雨時にはそれにふさわしい雨が降ってくれないと、それぞれの地域の一年の運びが狂ってしまうのだ。特に農業ではその影響が大きい。我々の様なもはや使用済みの如き老人の旅の願望などはどうでもいいことで、ソーラーが雨降りで役立たないなどということは全くの問題外だなと思った。今朝の雨は慈雨といっていいのだろうと思った次第。

 今日は午後に相棒の妹さん宅を訪ねる以外は特に予定はない。昨日はSLの撮影に失敗しているので、もう一度それにチャレンジしようということにした。相棒の方もカメラの扱いを誤ったらしく、折角のシャッターチャンスをものにできなかったと悔しがっていた。特段SLの走りにこだわっているわけではないのだけど、ここに来ると目の前に鉄橋があり、撮りたくなるのは誰でも同じ気持ちになるように思う。SLの通過予定は往路が12時25分ごろ、復路は15時25分ごろということである。もし往路で失敗したら、復路で挽回してもいいかななどと、早くも次善のチャンスまで考えているありさまだった。藤枝の妹さんの家までは、ここからだと1時間もかからない。急ぐ必要は全くない。何もすることがないときは、寝ることにしている。SLの通過の12時25分までには、まだしばらく時間があるので、寝床に入ることにした。今朝は雨の中不足していた水を汲んだりして、結構働いていたので、眠るのを妨げる条件は何もない。すぐに眠りが来て、その後12時近くまで眠った。

 起き出して外に出て見ると、車の周辺がいつの間にか満車近い混み具合となっているのに驚いた。この温泉は相当に人気のある場所なのだなと思った。よく判らないけど、今日はここで何かイベントでも開催されているのかもしれない。また、SLの撮影目的で来られている人も結構多く、平日だというのに昨日よりも多い数だった。今日は昨日とは違う撮影場所を探して、そこに腰を落ち着ける。間もなく予定の通過時間がやって来て、SLの運転手の方もそれを心得ておられるのか、鉄橋を渡る前には必ず汽笛を鳴らしてくれているようで、あの懐かしい声が、シュッシュポッポの音と一緒に聞こえ、近づいてきた。一瞬心が少年のように踊った。ふと気が変わって、構えていたカメラを、動画の撮影に切り替えた。考えて見れば、数枚の写真を懸命に取るよりも動画の方が全体の動きを収めることができるのである。今頃のデジカメには動画の機能が付いており、こんな時に使わなければいつ使うのだと気付いた次第。とっさの判断で、上手く行くかどうかためらいもあったけど、結果的にはこれは大成功で、しっかりSLの進行を収めることができた。怪我の功名的な感じだった。

 SL騒動が終わって、どうするかなと考えていると、俄かに空の雲が増えて暗くなり出した。ポツポツと雨も落ちてきて、敏感な相棒は何処かのエリアでの雷様の音まで聞こえてきたらしい。予報では、そのような気象情報もあったように記憶しているので、これは少し早いけど引き上げ時かなと思い、急ぎ出発の準備をする。14時少し前に出発して、藤枝の相棒の妹さん宅に向かう。今日は昨日来た国道ではなく、大井川の反対の川岸を走る県道を行くことにした。この道の方がトンネルなどがあって、曲がりが少なく車の走行には向いている。ナビだと国道を走らされる可能性があるので、使わないことにした。30分ほど走って、R1のバイパスに入り、あっという間に藤枝へのICを下りる。そこから先は迷うことなく勝手知ったる道をその家に。

 さてさて、駐車場へ車を停めて、家の中に入らせて頂くと、何と、なんと肝心の妹の御方は、病の姿で迎えてくれたのだった。驚いて訊くと、何とぎっくり腰で動けなくなっているとか。何かの拍子でガクンと来たらしい。それを教えて頂ければ、訪問は差し控えたのにと思ったけど、我々の久しぶりの訪問を受けて頂いたことを思い、申し訳もなくありがたいことと感謝する。動けない妹さんに代わって旦那さんがまめまめしく動いておられて、それは我が家と同じだなと思った。

 さて、その後のことは、あまり書かないことにしよう。何にしろ3~4年ぶりの訪問なので、禁酒などは一切放棄して、同類の愛飲者である旦那と一緒にビールから焼酎へと進んで、肴はいろいろ準備して頂いた刺身などに加えて、赤羽の道の駅で手に入れたヤングコーンを相棒が天ぷらにしたものなどを並べて、いやはや今回の旅では想像もしなかった大宴会となったのだった。そして、その後は足腰もおぼろとなり、まさに沈没という結果と相成った次第である。(しかし、これを書いている今は、もういつもに戻っており、心配は御無用。為念。ハイ。)

コメント
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