山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

風土記の丘のこと

2007-06-20 05:56:57 | くるま旅くらしの話

茨城県には石岡市という所に常陸風土記の丘というのがあります。一度だけ訪ねたことがありますが、広大な施設であり、とても全部を見て廻ることはできませんでした。

風土記というのは、その土地の風土、つまり、地誌や物産、文化その他の情勢などについて記したものをいう訳ですが、一般的には奈良時代に書かれた古風土記(出雲・播磨・肥前・常陸・豊後)のことを指すことが多いと広辞苑に書かれておりました。私の頭の中には、風土記と言えばこの古風土記しかありませんでした。

旅をしていると、時々「風土記の丘」という案内標示板を目にすることがあります。今まではそれらの全てを素通りしていました。というのも、風土記というのは、古い遠い昔の神話のようなものであり、何やら難しそうで、よく理解できずそれらが今日にどうつながっているのか見当もつかないことのように思われ、平気で敬遠していたわけなのです。

今回、栃木県那珂川町(旧小川町・馬頭町が合併)と湯津上町(現在は大田原市に合併)にある那須風土記の丘資料館に寄ったのは、古い時代を訪ねる練習のようなつもりだったのですが、良く考えてみると、「那須風土記」というのがあったのか知らん、という疑問が残ります。風土記というものが、一体幾つ書かれているのかよく覚えておらず、那須にもあったのかな、などと思いながらの訪問でした。

那珂川町の方にある小川館というのが本館らしく、立派な建物が建っていました。館内に入ると、いきなり縄文人の竪穴式住居を復元したものがあり、いつもだと陳列されているだけで、その使い方の実際が判らない土器や石器などがどのように使われていたかを知ることが出来るようになっていました。人形も置かれていて、なかなかリアルに再現されています。古代の人々の暮らしぶりは、現代の今の我々からは想像つかないほど厳しいものだったに違いありません。

その次のコーナーは古墳関係の資料、そして次が律令時代に関係する資料でした。ここで、その昔那須には官衙(かんが)が置かれていたのだというのを初めて知りました。官衙というのは役所のことです。つまりはこの辺一帯が、その昔の那須の地の行政の中心地だったわけです。それ故に那須の与一などという人物が、この地から登場したわけです。この資料館もその昔の官衙跡近くに造られており、礎石などが残されているのを知りました。縄文の昔から、この地一帯は、人が住み、営みをし続けてきた所なのだということが良くわかりました。

比較的近くに生まれ育ちながら、今頃になって初めてこのようなことを知るというのは、真に怠慢なことだなと思いました。那須風土記などというものは無くても、那須の風土というのは古来よりあるわけで、この資料館は、それらの資料を保存し、展示、紹介しているのだと気づいた次第です。

これから先の旅では、風土記の丘というような案内板があったら、必ず立ち寄って訪ねようと考えています。それにして、もこのような現代に暮らしていると、遠い昔のことを知るというのは難しいものだなと実感しています。先ずはその古風土記というものをとにかく読んで見なければならないなと思いました。旅に出ると、結構宿題も多くなって、忙しくなります。(笑)

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