山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

佐渡行の楽しみ(前楽)

2015-05-17 05:19:26 | くるま旅くらしの話

 6月には、佐渡へ行って心の浄化を図ることにしています。心の浄化などと大げさな話ですが、時には旅に出て静かな出会いを楽しむのもいいんじゃないかということです。まだ出発までには少し時間がありますが、もうかなり前からこの佐渡行を楽しんじゃっています。その一部を紹介しましょう。

 佐渡ヶ島には2006年の4月28日から5月3日まで6日間滞在したことがあります。この時はTVの取材を受けての旅でしたので、最初の二日間は落ち着かない時間でした。取材から解放された後の4日間は、島内の主な観光地などを訪ねていろいろ感ずることがあり、今度来るときには6月頃がいいなと心に決めたのでした。というのも、佐渡の神社などを訪ねると、その多くに古びた素朴な能舞台が設えられていて、大きな松の絵などが描かれているのを何箇所も見ました。能のことはとんと無知で、どんなものか全くといっていいほど解らないのですが、これだけ能の舞台を備えた神社があるのだから、一度じっくりと鑑賞させて頂ければ、何か気づくことがあるに違いないと思ったのです。その時に聞いたのが、能の上演は、田植の終わった頃に神社に奉納されるということで、6月の時期が一番多いという話でした。

 それから早や9年が経ち、今回ようやくそれを実現する機会がやって来たというわけです。今年は夏の北海道行を諦めることにしており、その代わりに少し早目の旅をしたいと考えていたのですが、佐渡行はそのタイミングにぴったりなのでした。調べてみると、6月の能の上演は、6回ほど予定されており、その内一度だけ同じ日に重なるものがあるので、5回しか観ることが出来ないのですが、毎週1回は観ることができるのですから、どんなに無知で鈍感な自分でも、能尽くしの一カ月を送れば、少しは得るものがあるに違いないと目論んでいる次第なのです。

 江戸時代の天領佐渡は、金山の存在が最も有名ですが、現在は既に廃鉱となっており、その跡が観光スポットの一つとなっているだけです。前回訪れた時はそのような罪人をこき使った暗い坑道を覗くのは忌避して、訪ねはしませんでした。閉所恐怖症の気のある自分には、どうも深い穴などに潜るのは苦手なのです。石見銀山遺跡を訪ねた時に、一度だけ勇を鼓して坑道を歩きましたが、もう二度と歩きたくはありません。佐渡には、そのような暗い場所などではなく、もっと明るく素晴らしい世界がたくさん広がっています。今回はそれらを能鑑賞と合わせて存分に楽しみたいと思っています。

 佐渡は一国です。現在、島の全ての市町村が合併して佐渡市となりましたが、これは佐渡が本来の姿に戻ったことになるのではないかと自分は思っています。佐渡は面積が東京都の約半分の大きさ、周囲が260km余りで、日本の本土4島を除けば、沖縄本島に次ぐ大きな島ですが、実際に佐渡に行ってみると、四囲が海というだけではなく、山あり、川あり、平野あり、の優れた一国であることを実感します。古代に定められた領制国においても、佐渡は一国と定められていますが、同じ隠岐や壱岐、対馬などと比べて、はるかに一国を実感できるように思います。

 佐渡ヶ島は、古来流人の島としても有名ですが、流人とは往時の権力者の意向に反したり、従わなかった人たちが殆どで、人間的には権力側にいた人よりも優れた力を持った人も多かったのだと思います。いわゆる島流しの刑に処された人の全てが犯罪者だと考えるのは軽薄な誤りであり、佐渡や八丈島などにはその人たちがもたらした文化が、磨かれて根づいているのを見出だすことが出来ます。佐渡ではその代表的なのが能なのでありましょう。鎌倉時代に能の大成者として名高い観阿弥・世阿弥父子の世阿弥が佐渡へ流され、その時に佐渡に能という猿楽文化を根づかせたのでありましょう。能を知らない自分でも世阿弥の「風姿花伝」くらいは読んでおり、芸道の深さというものをそれなりに考えさせられたものでした。佐渡への流刑者は、鎌倉時代以降に急増しているようですが、江戸時代は金山に従労させる本物(?)の犯罪者が多かったようです。詳しいことは佐渡へ行ってから能鑑賞の合間に博物館や民俗展示館などを訪ねて調べてみようと思っています。

 ところで、今回の旅の日程ですが、出発は6月1日と決めています。5月の末に房総方面へ3日間ほどの小旅行に出かける予定があり、それとつなげることも考えましたが、一応一旦家に戻り、改めて出発することにしました。その日が待ち遠しい現在なのですが、今回の佐渡行には能の鑑賞以外にも幾つかの楽しみが付随しています。

 先ずは、往路です。家を出発したら、高速道などを利用して日光に向かいます。そして日光の手前北部からは会津西街道(R121)を行くことにしています。今回は是非とも会津若松の探訪をしたいと考えており、このコースを選択しました。重伝建の大内宿も久しぶりに訪ねてみたいし、塔のへつりの奇景も眺めてみたいと思っています。会津若松は何時も素通りばかりで、しっかり探訪したことがありません。早乙女貢著「会津士魂」を読んで以来、いつかじっくり会津若松の探訪をしてみたいと思いながら、まだ実現していなかったのです。今回は下見のつもりで、城下町会津を訪ねてみたいと考えています。その後は、越後街道(R49)を新潟に向かいますが、会津と新潟は意外と近いのを知っており、戊辰戦争にゆかりのある各地を通過しながら、往時に思いを馳せたいと思っています。

 新潟港から佐渡に渡ってからは、今は能の鑑賞予定しか決めていませんが、一つだけぜひ訪ねたいと考えているのは、トビシマカンゾウの群生地のある大野亀です。佐渡の島の北端に近いここには、カンゾウの株が群生しており、前回訪ねた時にはまだつぼみも見られない時期でした。今回は丁度花の最盛期頃なので、大いに楽しみにしています。カンゾウは、日光キスゲの仲間で、全国各地にそれぞれの呼び名で群生して花を咲かせてくれています。佐渡のトビシマカンゾウの、そのありのままの姿をしっかり見ておきたいと思います。佐渡での、その他の予定は全く未定で、能の上演のない日はフリーなのですから、存分に動き、止まり、眠り、飲み、食べて時間を楽しみたいと思っています。

 さて、帰路ですが、6月の最後の能の上演が終わる20日を過ぎたなら、翌日にでも両津港から新潟に上陸することにします。その後は、往路と同じコースを戻るのは止め、燕市や三条市など長岡市近郊の道の駅などを訪ねた後、山越えで只見町に向かうか、それとも檜枝岐村を訪ねてみようか、などと思案中です。どちらも新緑に染まり上がった静かな景観が期待できそうです。檜枝岐村の農村歌舞伎というのが先日TVで紹介されていましたが、その神社を覗くのも面白そうです。

 山の生気を目一杯胸に吸い込んだ後は、下界に戻り我が家へ戻る考えです。帰着は何時になるのか未定ですが、6月以内には草鞋の紐を解くことになるでしょう。(今の世では、靴を脱ぐということになるのでしょうか。何とも情緒のない言い方です) ただ今、部屋の中には、関東・甲信越・南東北の高速道地図と佐渡市の全図が重ねて貼ってあり、それを交互に見ながら出発の日が来るのを待っているところです。佐渡行、前楽の一部披歴でした。

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