山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第8回:その1/2

2008-06-24 00:15:39 | くるま旅くらしの話

第8日 <5月06日()

道の駅:中仙 →(R13R105)→ 角館・武家屋敷駐車場(仙北市) → (街中散策) → (県道他) → 八乙女温泉 → 道の駅:中仙(大仙市)(泊)  <60km

昨夜は良く寝た。眠るというのは、あの世へ行っているのだと思っている。人間は毎日(或いは不定期な時もあるが)あの世とこの世を往来しているのだ。そして誰でも、いつか必ずあの世に行きっ放しになる、とも思っている。生きている間のあの世との往来は、意識がないほど確実にあの世へ行った時ほど、この世に戻ってから元気が出るようだ。今日は元気である。

さて、今日は久しぶりに角館を歩いてみようと考えている。角館は去年の秋以来だ。本当ならこの季節は、もう少し早く来て武家屋敷の枝垂れ桜や桧木内川堰堤のソメイヨシノの桜のトンネルを楽しむのが一番だと思うけど、今回はそのようなことにこだわらないことにしている。町全体を楽しめばよい。

ところで、中仙の道の駅には、シンボルタワーのようなものがあり、そのてっぺん近くに米俵に腰を掛けたお爺さんのような人形があるのだが、あれは何だろうと気になった。今まで大して気にもしていなかったのだが、何だろうとふと気になった。塔の下に何やら銘板があるので行って見ると、どうやらあの人形はドンパン節(元唄)の作者の円満造(えまぞう)翁という方をモデルとしたものらしい。この道の駅は米どころとして、又ドンパン節の里としてアピールしているので、それをシンボルタワーとしていたのだった。何度もお世話になりながら、今回初めて円満造爺さまなどという方が居られたのを知り、恥じ入るばかりだった。

出発して少し走ると、元の役場があったらしい道端にちょっと変わった銅像が建っているのに気がつき、寄って見ると何とそれはあの円満造爺さまの銅像だった。円満造爺さまは、本名高橋市蔵という方で、明治時代を生きられ、活躍された方のようで、本業は東北の左甚五郎と呼ばれるほどの名人大工さんとか。本業の他にも多才ぶりを発揮され、ドンパン節も「円満造甚句」として地元の多くの人から愛され、更には全国的にも有名なものとなっているとか。銅像の下にその円満造甚句の元唄が書かれていたが、何のことかさっぱり意味が解らなかった。偉い人なのだなと思った。

     

   道の駅:中仙にある、円満造翁をモデルにしたからくり時計(左)と、旧中仙町役場近くにある円満造翁の銅像。円満造翁は、町の名を広めるための偉大な存在だったようである。

角館はこの時期特設のいつもの有料駐車場に車を入れる。8時半を過ぎたばかりなので、未だ車はパラパラで少ない。桜の花も殆ど終わっており、観光客は少ないのかも知れない。まずは桧木内川の堰堤を歩く。桜は殆ど散り、散った花びらが雨上がりの歩道を薄く白く染めている。歩道脇の草たちの緑も濃くなっていて、この地に確実に春が到来していることを証明しているようだ。堰堤から西宮家に向う。西宮家も武家屋敷の一つであるが、現在は明治・大正時代に造られた建物などが、レストランや土産売店、資料館などに使われており、中庭ではイベント等も行なわれている。我々がここを必ず訪ねる目的は、この蔵の一隅で布巻草履を手づくりされている千葉さんの顔を見たいためだ。今日は何の前触れもなく訪ねることにしている。

9時半ごろ到着。少し早や過ぎるかと思ったのだが、千葉さんは既に来ていて、作業に取り掛かっておられた。毎日ブログに1日遅れの旅の報告を書いているので、そろそろ近づいているなとは思っていたが、今日だとは知らなかったとおっしゃっていた。さほどびっくりさせることは出来なかったようだ。邦子どのはさっそく草履を手に入れていた。我が家では家の中での履物は千葉さんの作った草履と決めている。世の中にたくさんの同じような布巻草履はあるけど、1年履いても履き心地が持続できるものは、千葉さんの作品を置いて他に知らない。初期の作品には、欠点もあったが、それらを克服して、今は技術の面でも名人の域に到達しつつあるようである。併せてデザインや色合いについても、本当に思わず履いてみたくなるような、或いは勿体ないので飾っておきたいような作品が生まれている。その取り組みの真摯さには頭が下がるばかりである。

   

   布巻き草履つくりの名人千葉さんと歓談する邦子どの。蔵の中なので暗くて(?)うまく撮れませんでした。ゴメンナサイ。

今回は、健康志向の観点からの工夫の参考にと、大分前に自分が凝っていた惹石健康法という足裏のツボに関する解説書を持参し、プレゼントさせて頂いた。スリッパと草履の決定的な差は、全て足裏や足の指先などのツボの刺激のあり方に関わっていると思っている。千葉さんもご自分でその辺のことは研究されているようなので、余計なお節介だったようにも思うけど、多少は役立ってくれればと思っている。自分の場合は足裏健康法を始めて以来靴下はずーっと五本指に決めており、それ以外の靴下は基本的に使わないようにしているが、その成果なのか今は靴のサイズが約1センチほど大きくなっている。その分しっかり大地を掴めるようになったということなのかもしれない。しかし裸足になることは滅多にないので、真意はわからない。

千葉さんの話では、今日11時からここの中庭で、郷土芸能の一つであるこども手踊りがあるという。以前千葉さんと知合いになったきっかけは、同じ中庭で開催予定の子供手踊りの出番を待っていた可愛い秋田おばこの衣装姿の三姉妹に、写真を撮らせて欲しいと声を掛け、それを旅から戻ってプリントして送らせてもらった、その三姉妹のお父さんが千葉さんだったのである。ところが時間の都合でその時は肝心の手踊りは見ず終いだった。だから、今日は是非それを見させて貰おうと思った。千葉さんの娘さん達はもう上のお姉ちゃん達は中学生となっており、こども手踊りには出られなくなっている。

開始まで1時間以上時間があるので、邦子どのとは別れて町内を散策する。未だ行っていなかった神明社などに参詣する。境内に菅江真澄終焉の地という碑が建っていた。そうか、あの優れた紀行家はここで最後を迎えられたのかと、感慨に打たれた。

   

  角館の鎮守様神明社本殿(左)と右は、その近くにある江戸時代の旅の名人菅江真澄の終焉の地の碑(いしぶみ)

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