山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 秋の関西方面への旅レポート <第6回>

2013-11-01 05:09:33 | くるま旅くらしの話

【今日(11/1)の予定】 

  道の駅:宇陀路大宇陀 →(R370・R24)→ 五條市・重伝建エリア散策 →(R24・R42・R480)→ 道の駅:明恵め畏敬ふるさと館(泊)

【昨日(10月31日)のレポート】     

<行程>

道の駅:伊勢本街道御杖 →(R369・R165・R169)→ 大神神社駐車場 → 山の辺の道散策 → JR柳本駅 → JR三輪駅 → 大神神社駐車場 →(R169・R165・R166・R370)→ あきのの湯(宇陀市)→ 道の駅:宇陀路大宇陀(泊)

<レポート>

御杖(みつえ)の道の駅の夜は騒音ゼロの快適な静夜だった。温泉に浸かって、極上の鯖のなれ寿司を味わって後の爆睡は、日本シリーズの結果など問題にもせず、ラジオのスイッチを切るのと眠りに就くのとが競り合って、タッチの差で切る方が勝利したという具合だった。その後の眠りも快調で、19時過ぎに寝床に入ったのに、目覚めたのは4時少し前だった。8時間を超えての眠りは久しぶりのことだった。ブログを書き終えてカーテンを開けると、朝の光が飛び込んできた。今日も晴れの天気らしい。御杖村はかなりの山の中にあるので、もう紅葉も始まっており、明け方の冷え込みは結構なレベルとなっていた。14℃くらいにはなっていたのではないか。ここはTVが全く映らず、ナビのワンセグも全く機能しなかった。朝ドラを見るのは諦めて、少し早目に出発することにした。道の駅の構内にはたくさんの案山子の作品が展示されていて、無人に近い構内を賑やかに盛り上げていた。昨夜の暗がりの中では、些か不気味さを感じたりしたのだけど、明るい朝の光の中では、そのような雰囲気はすっかり消し飛んでいた。相棒が是非見ておけと騒ぐので、行って見ると優秀作品に選ばれた案山子があり、それがゴムのパチンコ銃で悪さをする烏を懲らしめようとしているスタイルのお百姓の姿を作っており、その様が自分にそっくりだと哄笑しているのだった。確かに、自分も烏を懲らしめようとゴムのパチンコ銃を作って持っているのだけど、まだ使ったことはない。この案山子さんは、球を入れるのを忘れたと説明に書いてあり、なかなかユーモアのある奴だなと思った。それにしても、この制作者の意図は、まったく自分に似ているなあと、拍手をしたい気分になった。

      

自分の格好にそっくりだと相棒が哄笑する案山子君。このようなダイナミックなスタイルの案山子を見るのは珍しい。制作者に拍手。

今日の予定は、山の辺の道を歩くことである。当初は奈良市の方へ行き、平城宮や興福寺などを訪ねようかなどと考えていたけど、ごちゃごちゃ細かい時間の使い方になるので、それらの訪問は又次の機会にして、山の辺の道をミカンを頬張りながら歩く方を優先させることにした。歩き終わったら、あとは大宇陀の道の駅に行って寝るだけである。今日も無理をせず、年寄りの半日仕事を守ることを優先させることにした。

8時40分出発。途中隣村の曽爾にある屏風岩というのを見ようと寄り道をしたのだけど、行って見ると道が狭くてSUN号では無理だと判断し、行くのを諦めて引き返す。朝の山道は気持ちがいい。離合する車も殆どなく、快適なドライブをしばらく楽しんだ。榛原を経由して桜井市に入り、間もなく大神(おおみわ)神社の駐車場に到着する。途中、新しいバイパスが出来ており、長谷寺の方から来るときは、大神神社へはあっという間の時間となっていた。いつもの駐車場に車を置き、出発の準備をする。いつもは大神神社から石上神宮までの歩きなのだけど、歳もとって来ているので、無理をしないことにして、今日は大神神社から長岳寺辺りまで歩くことにし、そこからは歩いて引き返すのではなく、バスかJRなどの交通機関を利用して戻ることにした。地図を見る限りでは、国道まで近い距離にあり、それが一番無難だと思った次第。

10時を少し過ぎた頃出発する。先ずは、大神神社に参拝する。今日は特段のイベントもないようで、参拝者は少なかったが、時期とあってか、七五三の参拝者が何組か散見された。親子だけの組もあれば、祖父母も一緒の組もあって、微笑ましい風景だった。自分たちもあと何年かたったら、何処かの神社に孫と一緒に参拝が叶うのかもしれない。だけど、それまで耄碌しないで生きておられるのか、先ずはそのことを神頼みしなければならないなと思ったりした。

      

大神神社境内の様子。平日なので、参拝者は少なかった。七五三の参拝で記念写真を撮る家族も見られた。

大神神社に参拝した後は、山の辺の道の歩きを開始する。今日は天気も良く、何組もの中高年、というよりも高老年と思われる世代の元気人たちがリュックを背負ったりして歩いていた。歩けるというのは真にありがたく、幸せなことである。この当たり前の動作をありがたく思う気持ちは年を追うごとに強くなり、このような素晴らしい道を歩くときはそれが層倍になって感じられるのだ。この頃は相棒もそのことを口に出すようになって来ている。奈良のこの辺りに来た時は、生きて元気に歩ける限りはこの道を歩きたいと思っている。

      

林間を行く山の辺の道。いつもここへ来ると自動的にというくらい必ずカメラを構えてシャッターを切ってしまう。代表的な景観の一つである。

しばらく歩くと、汗が滲んで来た。坂を登り終えると、少し展望が開けて、そこに奈良の青垣と書かれた説明板がある場所を通過する。「大和は国のまほろば たたなずく青垣 やまごもれる大和し 美わし」と古事記に書かれた景観を展望できる場所だということである。時代が1300年以上経って、さて今は青垣はどうなっているのだろうか。  

      

大和の時代には、ここから青垣の見られる眺望が広がっていたという場所。樹木の向こうに奈良平野が広がっている。今は青垣の姿もすっかり変わってしまったようだ。

少し歩くと、ミカン畑が広がるエリアに入る。道端に取り立てのミカンが置いてある無人販売所が随所に設けられており、ここでそれを買って頬張りながら歩くのを楽しみに来ている。今は早生のミカンの時期であり、一袋100円のミカンは、大きさによって個数が違うのだけど、自分が選んだ袋には、小粒のミカンが9個も入っていた。味もGOOD!である。大和は日本のミカンの発祥の地であり、この近くにそのことを書いた碑が建っていた。ミカンの他にも柿や野菜などいろいろなものが並んでいた。ついついどの販売所にも立ち寄って覗いてしまい、ミカン、万願寺トウガラシ、里芋、柿、枝豆などを買い込んでしまった。どれも皆100円なのが嬉しいのである。自分という奴は、百均向きの性格なのかもしれない。

      

ミカン山を過ぎると、傍らにコスモスの花咲く小道が続いていた。山の辺の道は、変化があって、疲れ知らずに歩けるのが嬉しい。

1時間ほど歩いて、長岳寺近くにある休憩所に到着する。ここで休憩して、引き返すことにした。持参した大福とお茶を飲んでの休憩だったが、自分は大福は半分だけに止めた。栗が入っており、これはかなりハイカロリーだなと思った。昼食は車に戻ってからにすることにした。休憩所には観光案内所もあり、そこの方に訊くと、すぐ近くにバス停があり、次の停車時刻までは約1時間の待ちがあるという。JRだと、ここから歩いて20分足らずで、こちらの発車時刻はバスよりも20分以上早いということなので、JRの駅まで歩くことにした。駅の名前も知らずに行ったのだが、そこは柳本という駅で、この辺りはその昔小田信長の弟の小田有楽斎という人の何番目かの子供が治めた土地で、明治に至るまで続いていたなどと書かれている案内板があり、その藩邸跡などが残っているようだった。不用意に来た見知らぬ土地でも、いろいろと見つけものがあるものだと思った。10分ほど待って、2輌編成の気動車がやって来て、たった二駅先までだったけど、久しぶりに乗ったローカル線にちょっぴり興奮した。この頃は偶につくばエキスプレスに乗るだけで、こんなに揺れまくるローカル線に乗ったのは久しぶりだった。長時間は疲れるけど、二駅なら揺れを存分に楽しめていいなあと思った。三輪駅で降りて、車に戻り、昼食にうどんを作って食べ、しばし休憩する。13時近くになっていた。

相棒はその後、すぐ近くにある参道脇の知り合いの店へ、いそいそと出かけて行った。古布などを扱った着衣や民芸品などを扱っているらしいお店で、ここに来るとそこの経営者の女性の方と会うのを楽しみにしているのである。これを妨げるほどの悪趣味は持ち合わせていないので、どうぞいつまでもごゆっくりと送り出す。当方は、その後ブログの記事書きなどで、いくらでも時間は必要いなので、解放された気分なのであった。それから15時半過ぎに相棒が戻るまで、あれこれと書きものなどの整理をした。あっという間の時間だった。

終わりかけた頃に携帯が鳴り、誰かなと思ってみたら、親友のKさんからのメールだった。彼は、2~3か月前、腰を痛めて動けなくなったという話を聞いており、その後どうなったか時々思い出しては気になっていたのだが、ただの腰痛だということだったので、ま、大丈夫だろうとは思っていたのだった。メールによれば、それがとんでもない故障の様で、何と背骨のどこかが壊れかけたのが原因での腰痛だったとのこと。それに眼底出血にも見舞われて、好きな酒もずっと禁酒だったとのこと。体重も5kgも減ったと書かれていた。ようやく少しは歩けるようになり、背骨の方は手術をするほどには至っていないとのことで、それでも温めたり引っ張ったりの治療の継続は大変だなと思った。

TVのコマーシャルで、男性は8の倍数、女性は7の倍数の年次に、何かしら体調の変化が起きるといっていたけど、それは当っているように思う。自分たちの場合は、72歳がその時で、Kさんは元勤務した会社の同期であり、彼は早や生まれなので、自分よりも少し遅い誕生日である。もちろん個人差はあるのだろうけど、彼の場合は自分より少し遅れて災厄がやって来たということなのかもしれない。自分も老化というのを実感させられたのが昨年だった。病には至らなかったけど、活力の減退を実感し、これじゃあまずいなと思っていたところに、三浦さんのエベレスト登頂へのチャレンジの話を聞き、刺激とヒントを頂戴して、4月から鍛錬を始めたのだった。これは着実に効果を上げて、今はもう少しは頑張れるなとの感触を得ている。この先も鍛錬は続けたいと思っている。

この次の体調トラブルの時期は80歳であり、そこまで生きていて、トラブルを乗り越えられれば、念願の88歳までくるま旅が叶うのかもしれないなどと考えている。何しろ自分の旅車には「88-55」のナンバーをつけており、88歳までくるま旅にゴーゴーというのが念願なのである。Kさんには、何としても現在の逆境を乗り越えて、二人で乾杯が出来るようになって欲しいと願っている。旅の途中でのショッキングな情報だった。

今日の宿は宇陀市の道の駅を予定している。ここは奈良を訪ねる際の定宿の感じでお世話になっている場所で、桜井市の大神神社からは10km足らずの近い距離にある。途中で給油をしながら向かう。桜井市内でL当り125円で軽油を入れることが出来て、満足する。守谷市のスタンドよりも高いけど、旅に出てからでは、一番の納得を得た給油だった。25分ほど走って、道の駅:宇陀路大宇陀に到着。ここで夕食用の柿の葉寿司を買ってから、近くにあるあきのの湯という温泉入浴施設に向かう。相棒が歩きで大汗をかいたので、どうしても入りたいとのことだった。自分の方は大して汗もかかなかったので、連日の入浴は敬遠した。行って見ると、温泉の機械が故障していて、水道水の風呂となっていた。少しがっかりしたようだが、料金が200円安くなっていたので、銭湯に入るつもりで相棒は入ったようである。戻るまでの間、自分は枝豆を茹で、里芋を塩茹でし、鯖のなれ寿司を切って、夕食の準備をする。1時間ほどで戻って来て、道の駅の方に移動して夕食乾杯。相棒もしっかりビールを手に入れて来ていた。自分は勿論日本酒と次は焼酎。辺りはすっかり暮れて、夜となっていた。

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