山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

軽井沢・越中おわら風の盆紀行(その4)

2017-09-19 05:07:26 | くるま旅くらしの話

第04日 <9月01日(金)> 

 <行程>

八尾スポーツアリ-ナ駐車場 →(シャトルバス)→ おわら風の盆会場 →(シャトルバス)→ 八尾スポーツアリ-ナ駐車場(泊) 

 いよいよ祭りの始まりの日となった。天気は上々の様だ。いつものように早く目が覚めてしまうので、相棒がもう一眠りするまでの間、外を散策することにする。昨日下見に出かけた八尾の旧町まで歩いて行くことにした。いつも家では早朝に8km以上は徒歩の鍛錬を行っているので、駐車場から旧町までの距離は、凡そ3kmくらいしかないように思われる。大した距離ではないと思っての出発だった。

昨日車で通った道を30分ほど歩くと天満町に着いた。ここは祭で踊りの行われる旧町の一つで、坂の一番下方に位置している。未だ夜の明けきらぬ町の通りは、それでも幾つものぼんぼりが灯って、すっかり風の盆の雰囲気になっている。そこから坂を登りながら、旧町の幾つかを通り抜け、昨日の諏訪町の通りに出る。少し明るくなり出して、写真を撮り易くなったのでその景観をカメラに収める。更に上方にある東新町まで行き、そこから養蚕の神様を祀ったという若宮八幡社の脇を通って、小高い丘の上にある城の山公園に行って見ることにした。5分ほど小道を登ると広場があって、そこから八尾の町並みが俯瞰出来た。細長い谷合の坂地に開けた町が甍を並べて連なっているのが見えた。ビルの様な建物が少ないのを見て、何だか少しほっとした。風の盆の雰囲気にはビルは無用の感じがするからである。今夜からこの町全体が踊りの雰囲気で膨れ上がるのだなと思いながら帰途に着く。帰りは来た道ではなく、別の道を選んで、少しでも多く八尾の町の造りを知りたいと思った。

早朝の諏訪町通りの景観。細長い坂道に沿って祭りの雪洞が並んでいる。この通りは日本のみち100選に選ばれており、風の盆では一番人気のある通りだとか。早朝6時前にはだれも見当たらず、独り占めの景観である。

朝の散策を終えて車に戻ると、すでに相棒も起き出していた。昨夜は良く判らなかったけど、とにかく周囲は車で埋まっていた。朝食後は何もすることがないので、しばらく周辺をぶらぶらする。昨日はよくわからなかったが、スポーツアリーナの北西側には井田川という川が流れていて、その河川敷も駐車場になっていて、そこにもかなりの車が駐車していたが、まだ余裕はありそうだった。シャトルバスの方にも行ってみたが、こちらの方は15時からの運行開始というので、まだバスなどは見られなかった。一回りして車に戻る。

その後午前中はとにかく手持無沙汰なので、近くを歩き回る。この駐車場に滞在中の食料などを補給するには、スーパーなどで買い物をする必要があり、昨日車で寄ったスーパーはどれくらい離れているのかと歩いて行ってみたら、何と10分足らずで行くことが出来るのが判った。遠くにあるように思えても、実際歩いて見ると思いの他近い場所にあると知って安堵した。駐車場内のトイレは少しレベルが低いので、スーパーまで行けば大丈夫だということもも判った次第。午後も昼寝やTVなどを見ながら時を過ごす。とにかく風の盆は夜にならないと始まらないのである。一昨日までは踊りの練習をする場所などがあったらしいのだけど、昨日は休養日だったし、今日の本番までは何もイベントなどは無く、只待つことしかない様になっているらしい。本番は19時からだというので、それまでの時間を過ごすのには本当に苦労した。

15時を過ぎると、再び車が続々と入って来た。既に駐車場は満車になっており、皆河川敷の方へ向かうのだが、自分たちの横を通って行くので何やら煩わしい。その内に状況を見に行った相棒が、シャトルバスが長い列をつくり出したと言って戻って来た。時計を見たら17時を少し過ぎた時刻だった。19時にはまだ間があると思っていたのだが、長蛇の列が出来ていると聞くと、何だか遅れを取ってはならない様な気分になり、俺たちも行って見るかということとなってしまった。

20分ほど並んで待って、シャトルバスに乗り込む。10分ほどで終点に到着し、近くにある東町の方の通りへ向かう。東町は坂の中間あたりにある比較的道幅の広く長い町筋である。そこから入って、昨日下見をした諏訪町の方へ行ってみた。踊りが始まるまでにはまだ1時間以上もあるのだが、とにかく大変な人出で、狭い道は行き交う人で溢れていた。しばらくその人混みの中をさ迷って、坂を登り少し下って、広い通りの上新町の方へ出る。広いと言っても歩道無しで車が離合通行できる程度なので、道幅は10mほどしかない。諏訪町よりは多少余裕がありそうだが、混雑は変わらない。

掲写真と同じ諏訪通りの、風の盆踊りの開始30分ほど前の様子。坂の下方まで人が溢れている。開始となると、もう身動きができなくなる。(危険なので自分たちは見物を敬遠した)

そうこうしている内に19時となり、上新町公民館の辺りで踊り開始の案内放送があった。とにかくそれらしき場所へ急いで向かう。他の通りでも開始されているのかもしれないけど、一度に両方を見ることはできないので、とにかく先ずはこの町の踊りを見ることにした。せめて写真でも撮っておこうと前の方へ出ようとするのだが、押し合う人の波の力は凄まじく、とても無理である。幸い相棒は仕切り線の近くに出て、しゃがんで見ているようなので、写真は任せることにして、自分は通りの店の軒下の方に身を寄せて、伸び上がりながら、ちらちら目に入る踊りの一団を覗き見る形となった。踊りの流しの一団は、前方が浴衣風の着物を着た女性が鳥追いの深編み笠を被って踊り、その後に何人かの子供や編み笠なしのグループが続き、その後ろを音曲関係の三味線や胡弓それに太鼓、唄い手のグループが歩き、最後尾を男踊りの編み笠を被った黒っぽい衣装のグループが踊りながら移動するといった構成のようだった。音曲の方はまさに風の盆の雰囲気十分なのだが、踊りは寸断されてしか見えないので、何だか楽しくない気分が膨らんだ。

上新町の風の盆の踊りの様子。上は女踊りの一場面。下は男踊りの一場面。いずれも相棒が最前列で撮ったもの。

帰りのこともあるので、今夜は相棒のボディガードを務めることにしようかと気持を切り替える。上新町の踊りの一団が二度ほど流すのを見た後、別の町内の様子を見ようと移動する。今町という所では、道が曲がった角の所で、流しではない少しベテラン風の一団が小人数だが味のある演奏と踊りを披露していた。ここはその様子を少し見ることが出来たが、人だかりが多くてどうも落ち着きがない。その後も人混みの動きに揺られながらしばらく踊りの一団を探しながらさ迷うこととなった。

20時が過ぎる頃になると混雑は一層ひどくなり、もはや動き回るのには嫌気がさして来た。それでもしばらくは何とかしようと追いかけたりしていたのだが、とうとう限界が来て、もう見物は止めて車に戻りたくなった。相棒はもう少し見ていたような感じだったが、自分が不快な顔をしているので、急に疲れを覚えたらしく、帰るのに同意したようだ。このような調子で動き回っていたら、体調がおかしくなってしまう危険性もある。ということでシャトルバスに乗って戻るべく乗り場の方に向かったのだが、そこにはこれも又かなり長い行列が出来ていて、結局乗車するまでに40分ほど並ぶ結果となった。

とにかく初めての体験だったので、この人混みの酷さには呆れるばかりで、肝心の風の盆らしさを味わうという気持ちからは遙かに遠いというのが正直な所感だった。同時に反省もあり、やはり本当の本番は21時を過ぎてからだというのに、早やまって出掛けてしまったことが失敗だったように思った。ま、明日もう一日見る予定なので、今度は出掛けるタイミングを急いて誤らないようにしようと、心に決めた。

それにしても例年3日間で20万人~30万人もの人出があると聞いているけど、僅か2㎢ほどの細長い狭い通りに一度に10万人近い人が押し掛けるのだから、超混雑となるのは当然のことなのであろう。町の人たちも既に受け入れの限界を超えていることは承知されているのではないか。こんな状況ではゆっくり楽しみながら踊ることも困難なのではないかとも思った。それに安全上もいろいろな問題を内包しているようにも思えた。折角楽しみにして来た風の盆だったが、初めての一夜は嬉しい興奮ではなく、何だか一敗地にまみれた感じでの車への戻りとなった。

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