何だか忙(せわ)しないタイトルになってしまった。先月11日から25日まで15日間の旅の記録を、昨夜書き終えたという話である。旅から戻って半月もかかっているのだから、あまり早い仕事ぶりではないのだけど、気分的には急ぎの作成だったと思い込んでいるところがある。まだ年賀状も作成しておらず、何かと慌(あわただ)しい気分でこの頃を過ごしているからなのかもしれない。
旅の記録をまとめるのは、後楽のメーンイベントのようなものだ。15日間の出来事を、メモと地図とデジカメ日記と辞書と若干の資料などを見ながら、たっぷりと振り返ることが出来るのである。辞書を引くのが一番楽しい。旅の中で不確かだったことを辞書の説明で確認することが出来るからである。電子辞書なのだが、万能といってよい。日本人向けなのに、古語や仏教などに関するボキャブラリーが少ないのが残念であるが、それらは別の辞書や辞典を見ればよい。辞書を引くのを面倒くさがる人がいるが、何故なのか良くわからない。我が相棒などもその一人で、いつも自分で調べずに身近な人に訊くばかりである。そしてその多くは直ぐに忘れ去り、また同じことを訊くことになる。
今回の旅を急ぎ旅と名付けることにした。急ぎとは行為に掛ける時間の短いことを言う。トータルでは長くても、個々の行為が時間不足であれば、それは忙しいということになる。そして多くの場合、忙しいというのは何処か満足に欠けるものがある。今回は何人かの友人知人にお会いし、親交・旧交を温めたのだったが、心のどこかにもっとゆっくり共有する時間を持ちたかったなあという思いがある。欲張りなのかも知れない。
しかし実際はそんなに長居をしなくて丁度良かったのかもしれない。淡交とは、余韻を残すようなお付き合いを言うのだとすれば、満足に浸るなどというのは、誤ったイメージの部類に入るのであろう。思い入れは最小に止めることが淡交の極意なのかもしれない。
毎年この季節には、日本の西の方を訪ね、北陸・信州経由で戻ってくることが多いのだが、今回は関西止まりだった。四国や九州そして山陰地方にも会いたい人は何人か居られるし、新しい出会いも待ち受けていてくれるに違いないのだけど、今回はそれを諦めざるを得なかった。それゆえに欲張っての急ぎ旅となったのだと思う。
しかし、旅の中では結構ゆっくりした時間もあった。室生寺や明日香村、山の辺の道などの散策は天気にも恵まれて、存分に楽しむことができた。15日間の歩きの平均は1日12,800歩だったから、これを距離に換算すると少なくても毎日7km以上は歩いていたことになるはずだ。いつもよりは少し少ないのだが、旅先では歩けない日もあることを思えば、まあまあ良く歩いた方だといってもよいのではないか。ということはそれほどの急ぎ旅ではなかったということにもなる。
結局のところ人に対しての思い入れが強いため、自然とのふれあいの部分を忘れてしまうからなのだと思う。旅というのは、人も自然も飲み込んだ、ゆったりとした時間の流れの中で過ごすことが出来るのが、やっぱり理想なのではないかと思う。どんな種類の旅であれ、旅の楽しみは変わらないけど、急ぎの気持ちはなるべく少ない方がいいなと思った次第である。
但し、記録の整理の方は、これは急いだほうが良い。何事も仕事というのは迅速をモットーとすべきで、例え拙速であってもグズグズしていてタイミングを失うよりは、遙かに上策である。自分としてはその信念で現役を通してきたのだったが、この頃になってこの信念の土台が少し痛み出して来ているようだ。要注意である。
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