山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

二つの忘年会

2007-12-16 05:27:43 | 宵宵妄話

このところ忘年会が二つ続いた。最近はあまりその機会がなかったので、珍しい出来事である。例年だとこの時期は、まだ旅先にあることが多く、声を掛けられても、不在であるため出席できなかったのである。今年は、秋の旅を早く切り上げたこともあって、お誘いへの参加が可能となったのだった。

忘年会というのは、そもそもいつ頃から誰が始めたのだろうか?江戸時代にもあったのだろうか?外国ではどんな様子なのだろうか? 等などとちょっぴり疑問も抱いたりするが、ま、1年に一度くらい有志が集まって一杯やりながら今年のあれこれや普段のご無沙汰を埋めるような話をするのは有意義のような気がする。

しかし、実際は名目だけの話であって、年などは最初から忘れているというのが現実の暮らしぶりなのだから、忘年会というのはその忘れていた今年を思い出すというのが本当の意味なのかもしれない。という言い方をすると、これまた現実を反映しない堅苦しい話となってしまう。

そのようなことではなく、要するに何にでも当てはまる酒飲みや宴会の口実のようなものなのではないか。それを年末に持ってきているのは、ボーナスなどを貰えるサラリーマンが普及させたに違いないように思う。「宵越しの金はもたねえ」などのやせ我慢の啖呵を切った江戸時代の町人の世界からの影響も多少は受けているのかもしれない。

ま、そのようなことは実(まこと)にもってどうでもいいことなのである。

サラリーマン時代は、結構多くの忘年会なるものがあって、毎日酒を食らっていないと気がすまない自分には、正直あまり嬉しいイベントではなかった。酒は外ではなく家で飲むというのが自分の主義だったので、宴会的なものは歓迎したい気持ちにはなれなかったのである。何故かといえば、酔ったら直ぐに寝られる環境が欲しいからなのである。せっかくいい気持ちになったのに、わざわざタクシーや電車を使って家まで帰るのを余儀なくされるのは、面倒なことだからである。せっかくの酔いが醒めることもあり、もう一度飲み直したりすることもあった。糖尿以来そのような無謀なことはしなくなったが、天国に届く眠りには酒は不可欠だった。

それが現役をリタイアしてからは、忘年会のお誘いなどは殆ど無くなった。お誘いが来ていても旅に出かけていて、知らん振りという結果になってしまうので、だんだんと忘れられた存在となっているのだと思う。それはそれでいいのだと思っている。いつまでも過去の柵(しがらみ)に縋(すが)ってウロウロしているのはいい加減止めにしなければならないと思うからだ。

ところが今年は二つもの忘年会のお誘いを頂いた。一つは元勤務先の同期会という奴で、入社年度の同じ者の集まりだった。こちらの方は今まであまり出席率が良くなかったので、今回は久しぶりに皆の顔を拝しようと出かけたのである。もうリタイアしてから上の方(自分は上の方)は7年、若い方も3年が経っており、その後の暮らしぶりなどの近況報告を各人が披瀝すれば良いのではないかと、事前に厚かましくも幹事さんにお願いしたのだったが、それを取り入れてくれたものの、真面目に受け止めて話を聴く者が少なく、せっかくの話にただ雑音を流すという現役時代からの悪い癖が抜けない人の方が多くて、少々がっかりしたのだった。この同期会というのは、一体に同じ会社で名前も顔も、大体の仕事ぶりも知っているという安心感というか、安易感が支配していて、楽しくやるというのは昔に戻ることなのだという考えがあるのかもしれない。そのような考え方があっても良いとは思うけど、最早仕事は終わってそれぞれが新しい人生をスタートさせているのだから、それを伝え合うというのも大切なのではと思うのだが、どうやらそれは難しいらしい。少しがっかりしながら、それでもいい話も聴くことも出来て、まあまあの気分で家に戻ったのだった。

その二日後、もう一つの忘年会のお招きに与った。こちらの方は地元に一大キャンピングカーの展示場を有し、キャンピングカーの製造、販売も幅広く手がけられているRVランドさんの阿部社長からのお声だった。自分の他に何人かの方がご一緒することになっており、(その方々のお名前は記さない)存知上げない方もいらっしゃるので、忘年会といってもやや緊張感を持っての出席だった。

RVランドさんは大変にスケールの大きい事業を展開されており、関東エリアのみならず日本全域レベルでのお客様に対処されておられるようで、ずいぶん遠い所からの来訪車が居られるのに驚いたのだった。この業界では、製造・販売・メンテナンスまでを手がける業者さんは多いが、それらの全ての領域でお客様の満足の行くレベルを達成しているところは少ないように思う。とくにメンテナンスに関しては、手が回らない所が少なくないように思う。その中でのRVランドさんの健闘ぶりには大いなるエールを送りたいし、更なる充実発展を祈念したいと思っている。

さて忘年会だが、これが実に野生的で、且つ家庭的だったので、こんなやり方もあるのかと驚き感嘆したのだった。1次会は展示場内に設けられているキャンプ場の中にある蒙古のパオのような形のアメリカ製ドームの中で、薪ストーブを焚いての夕食から始まった。今頃薪ストーブにあたられるというのは、古い時代を経験している自分などには懐かしくも新鮮さを感ずる嬉しい世界である。豚汁の夕食も野外料理の定番であり、それを中心に持参した惣菜などを出し合って、実にいい雰囲気だった。3家族と3人の集まりだったが、阿部さんのおしゃべりを中心に、様々な楽しい話題に話が弾んで、あっという間に2時間近くが過ぎてしまった。

その後は、カラオケルームに場所を移してカラオケ大会のようなものとなったのだが、これがなんとコタツの中なのである。コタツの中で最新のカラオケ装置を縦横に使いながら、全員(我が愚妻だけが歌わず)が歌を楽しんだのだった。カラオケがこんなに楽しいものだったと実感したのは久しぶりのことだった。本物の古酒久米仙を飲んだのも久しぶりで、密かに沖縄の一夜を思い出したりした。皆さんそれぞれに思い思いの歌を唄って、その後3時間近くをあっという間に過ごしたのだった。我々は持参した旅車の中で、たちまち爆睡の世界に突入したのだった。

忘年会というのは、新しい年を迎えるために、今年の終わりを目一杯楽しむイベントだと思った。楽しめないイベントは忘年会ではない。今年の最後は、いい形で締めくくれるように思った。阿部社長に深謝である。あわせて美味しい豚汁などの料理やその他の準備にご配慮頂いた、ご家族の方にもお礼申し上げたい。来年はきっと良いことがたくさんあるぞ、と本物の忘年会に出会った喜びを噛みしめたのであった。

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2 コメント

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定年になっても (Yama)
2007-12-16 10:52:07
>真面目に受け止めて話を聴く者が少なく、せっかくの話にただ雑音を流すという現役時代からの悪い癖が抜けない人の方が多くて、少々がっかりしたのだった

私はまだ定年前数年ですが、会社の同期会の雰囲気が目に浮かぶようです。「現役のあとの新・人生のステージを」みんなどういう気持ちで生きていこうとしているのか、聞いて分かち合いたいと思いますよね。

が、馬骨さんが、本で著しているような問題意識は正面きって考えている方は定年になっても少数派でしょう。ほとんどの方は死ぬ直前までそんなこと考えてもしょうがないと割り切っているのではないかと思います。無思索・無内省が悪いというのではなくて、全員がまじめに人生を考え始めたら集団ノイローゼになるでしょうから、これはこれで人間の生き続ける知恵なんでしょう。
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コメントありがとうございました (馬骨)
2007-12-16 17:59:45
おっしゃる通りだと思います。40年近くを一緒の企業で暮らしていれば、安堵感や安心感のもてない同期会などあるはずもなく、雑音もチャチもそれはそれでいいのですが、昔から離れ出している現実の様子をちょっぴりまじめに聞きたい気持ちは、皆持っているはずなのに、聞くよりも茶化す方に行ってしまうのは、まだ若いということなのでしょうか?ま、何年か後には、愚痴の言い合いになるのかも知れませんね。
他人(ひと)様の生き方にケチつける考えは毛頭ありませんが、新しい出会いの中のふれあいの方が、遥かに緊張感があって、生きる張り合いが強いのだということを実感しています。私は旅の中にそれをたくさん拾えるように思っており、その縁を大切にしたいと考えています。
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