山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第19回

2008-07-08 04:15:18 | くるま旅くらしの話

第19日 <5月17日()

道の駅:小川原湖 → (県道) → 七戸町役場(天王神社つつじ祭り他)→ 七戸町文化交流センター → (県道)→ 水明温泉(東北町)→ 道の駅:小川原湖(泊)  <45km

さて、今日から再びへのへのの旅の下見開始である。今日はここから最も近い七戸の探訪をしたいと思っている。いつものチエックや準備を終え、9時半ごろ出発。何時降り出すかわからないような危ない空模様である。今日は傘必携の日となりそうだ。

30分ほどで七戸の市街地に入る。まずは七戸城址を訪ねることにして、探したのだが、案内板はあっても途中からどこなのかが判らなくなってしまった。ウロウロしていると、天王神社つつじ祭りというのが行なわれており、小高い神社の境内の土手に植えられたつつじが満開で、見事に咲いているのに出くわした。まずはこれを見てからにしようと、所定の駐車場に車を入れようとしたら、そこで交通整理のようなことをしていた人が、大きい車は向こうの役場の駐車場の方へ入れて欲しいということなので、少し先の役場の方へ移動する。

傘を手に持ち天王神社の境内へ。100段ほどある急な石段を登って本殿に参拝する。その頃から降り出した雨は本降りになった。つつじは、どれもがかなりの大株で、花の色も朱に近い鮮やかさである。かなりの人出て、フランスからの女性観光客も混ざっていた。意味はわからなくても、フランス語であるくらいの判別は可能である。お恥ずかしい。写真を撮っている邦子どのとは別行動。小さな神社で、境内の土手も小さい。30分ほど楽しんで、下に降り、邦子どのと合流する。

  

  天王神社の境内のつつじ。見事な美しい景観が広がっていた。

神社の向い側に見える小高い丘が、多分七戸城の跡ではないかと見当をつけ、そこへ行くことにした。駐車場の中を歩いてゆくと、先ほどの駐車場で案内をしていた人が、この近辺の史跡等の案内図を配っておられ、我々も1枚頂戴した。それによると、やはりこの上の丘が七戸城跡だった。少し遠回りとなるが、反対側のほうから田んぼ跡の側道を歩いて城跡方面へとしばらく歩いた。

丘に上がって見ると、城跡が広大な公園になっており、その片隅に神明宮の古びた建物が残っていた。本丸跡の直ぐ下に役場の庁舎が建てられているというローケーションである。ここから俯瞰すると、七戸町の凡その地形などが見渡せる。

  

  七戸城址公園。ここからは七戸の町並みの殆どを見ることができる。その昔の城と町との在り様を偲ぶことができる静かな空間である。

このお城は、その昔七戸南部氏の居城であった所で、今は国指定の文化財として保存がなされているとのこと。しばらく散策を楽しんだ後、下に降りて役場を訪問。受付で「歴史などを含めて七戸町のことを知りたいのですが、何か資料等はありませんか?」と訊いたら、担当の人を呼ぶからしばらく待って欲しいとのことだった。ところがその人の所在の確認が出来ず、もし都合が良かったら午後になれば昼食で戻ってくるので、案内できると思う、とおっしゃって頂いたので、それではおことばに甘えて午後一番で再来しますということにした。役場の関係者の方たちはとても親切だった。

  

  七戸町庁舎。しかしこれは本庁舎ではなく支庁舎である。本庁舎は合併前の天間林エリアの方にある。違和感は拭えない。

昼食の後再訪すると、その専門の方が待っておられた。なんと、最初に駐車場で案内係をされていた方なのだった。小山さんとおっしゃるその方は、町の教育委員会の総括主幹という立場の方で、この町の歴史的な事項に関する専門家として活動されているらしい。挨拶を交わしたあと、早速、小山さんの車の先導で、町の文化交流センターという所にご案内頂いた。そこは普段は未公開の施設で、我々は特別に見せて頂けることになったのである。統合で廃校になった学校の校舎を利用した、2階建てのかなり大きな建物だった。

小山さんの案内で、考古学レベルの資料から中世、近世までのこの地の出土品や民俗資料等を見せて頂いた。教室を10室以上も使って、厖大な資料が収蔵されていた。これらの資料の区分整理や展示などの仕事の殆どを、小山さん一人で取り組んでおられるのだと聞いて驚いた。

見学の後、小山さんとの雑談の中でいろいろ有意義なお話を伺った。この方は、考古学がご専門で、発掘調査なども手がけられているとのことだが、素晴らしいと思ったのは、考古学というような古いものを対象とした仕事をしながらも、その学識経験を現在や未来のあり方につなげて活かしてゆこうとしている姿勢である。お話をしていると、実に若々しい新しい発想の話がどんどん飛び出してくる。歴史を通して、ものごとの本質をしっかりと捉えた見識の確かさが伝わってくる。又行動の人でもあるように思った。今日の天王つつじ祭りでは、ボランティアの人を除けば、町に出て人々に直接この町の良さをアピールしようとする町の職員は、この人以外には誰も居なかった。市の職員サイドから見ればそのような行為は異端に見えるのかもしれないけど、椅子に坐ってばかりでは下界のことは判らず、そのような人よりも、小山さんの方がこの町のために遙かに貢献しておられるのではないかと自分は思った。

新幹線の駅が造られることで、町の行政は期待ばかりを膨らませているようだが、しっかりと足元を見て取り組まないと、新幹線は必ずしもこの町に冨をもたらしはしないように思う。何より大切なのは、七戸町のアイデンテティ(主体性)を確立することであろう。そしてそれはこの町自体の歴史認識と確かな現状認識を確立することによって、初めて本物となるのだと思う。

七戸町は平成の合併で隣の天間林村と一緒になったが、驚いたことに役場の本庁舎は旧天間林村にあり、七戸は支庁舎だという。足して2で割るという妥協の結果が表れているのではないか。かつて七戸県までが存在した所に支庁舎というのはアイデンテティを示すどころか、とんだお笑いものではないかと思った。このような中途半端なコンセプトでは、真の七戸町の発展にはつながらないように思った。ついでだけど、隣の東北町と上北町の合併も上北町に本庁舎があり、東北町は支庁舎が置かれている。こちらの方はあまりその良否に拘泥はしないけど、七戸町のケースにはがっかりした。

小山さんにはいろいろお世話になったのに、このような批判をしてしまって申し訳ない。でも、この方の情熱を思うと、足して2で割るような行政の姿勢には不満を覚えずには居られない

雨は依然降り続いている。今日は小山さんと出会えたことで十二分に満足だった。頂戴した資料を持ち帰って見ることにしようと、今日の探訪はここまでにして、小川原湖の方へ戻ることにした。途中七戸ジャスコで飲料水や食材を補給する。ついでに平岩弓枝の御宿かわせみの第32巻を見つけたので購入。平岩弓枝先生の作品の昔からのフアンなのである。

今日も又は水明温泉に。八甲田温泉という所にも行ってみたのだが、駐車場が狭くて、何だか落ち着かない場所だったので、今回は敬遠することにした。入浴の後は小川原湖の道の駅へ。今夜で3回目の泊りである。ベッドの中で、今日の七戸探訪の感慨を繰り返し反芻しながら眠りに就く。

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