山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第20回

2008-07-09 00:45:32 | くるま旅くらしの話

第20日 <5月18日()

道の駅:小川原湖 → (県道) → 小川原湖民俗博物館(三沢市)→ 六戸町郷土資料館 → 六戸町役場 → (R45) → 八戸市立博物館 → (R45R338・県道)→ 玉勝温泉(東北町)→ 道の駅:小川原湖(泊)<112km

今日の下見は六戸町、八戸市方面の予定である。朝起きて見ると、天気はまあまあのようである。地図を見ながら大体のコース取りを考える。まずは邦子どのの要請で三沢の古牧温泉の中に在る小川原湖民俗博物館を訪ねることにする。良くわからないけど、ここには彼女の知りたいこの辺りの織物などに関する民俗資料が揃っているのだとか。コギンザシなどの資料も展示されているとか。とにかく逆らわずに出発。どうせ暇なのだ。

その博物館は、三沢市郊外の古牧温泉の中にあった。知らなかったのだが、古牧温泉というのは立派なホテルなども幾つか建っており、この地では一大テーマパークのような体(てい)をなしていた。ようやく博物館を探し当て辿り着いたのだが、何と只今休館していて閉鎖中とのことだった。これではどうしようもない。それならばと次の目的地である六戸の町を訪ねてみようということにした。

県道をしばらく走ると、偶然六戸町郷土資料館の案内板が目に入ったので、行ってみることにした。何ともわかりにくい案内板で、直ぐ傍にあるのにしばらく迷って到着。ところが開館は月に5、6回しかないらしく、今日は休みだという。何だかとって付けた施設のような感じがした。建物の脇に「通商産業省所管 工業再配置促進費補助事業施設」と陶板の札が貼り付けられていた。何だい、これは?と思わずには居られない。こんな妙な建物が郷土資料館だなんて、どういうことなの?お役所仕事と行政の馴れ合いの感じがした。この町の郷土史料館の扱いについては、その運営に関して町の誠意が殆ど感ぜられないような気がした。恐らく、大した資料も集めていないのではないか、と何だか腹が立ってきた。(これは思い過ごしかも) 仕方がないので、六戸の町役場に行くことにした。

行ってみて、立派な建物なのに驚いた。近くに大きな体育館のような福利厚生施設も建っている。先ほどの施設との落差を思いながら役場の中に入って行くと、町政が中央官庁などから表彰された額などがきれいに飾られていた。そのようなものを自慢げに飾っているが、果たしてそれが町民の誇りとなるものなのか少し疑問に思う。

  

  六戸町役場庁舎。立派な建物である。付近には町のメイン施設が幾つか設けられていた。

何といってもこの役場の建物と先ほどの郷土資料館との落差があまりにも大きすぎるのだ。聞くところによると、この町はこの辺では最も早くコンピューターの導入を図った所だという。なるほど、効率化の中心が経済活動促進に向っているのだなと思った。だから大して利用者も居ない郷土資料館などは形だけ作って置けばよいという発想なのであろう。何だか貧しい発想だなと思った。

役場の方に町勢要覧を頂戴しようと訊ねたら、名前などの確認を求められたので、旅くらし人の名刺を渡した。最近は情報の悪用などが問題化しているので、確認を取っているらしい。しっかりしているなと思った。町勢要覧には資料編も付いていて、大変解り易い内容だった。

六戸町は奥入瀬川流域に展開する農業中心の町のようだが、データを見ると1次産業は次第に減ってきていて、3次産業のウエイトが大きくなってきているのがわかる。しかし、その中身は良くわからない。それほど詳しく研究するのが目的ではないので、この町がどんな町だったのか、今どうなのかをざっと知るだけでよい。わかったのは、六戸という所は、歴史的には南部藩の中でも拠点的な位置づけではなく、農業生産力の場だったということ。即ち五戸に置かれた代官所の管轄下にあったということで、町としては新しい所だということである。現在はメイプルくんとかいうイメージキャラクターを起用して町のPRに努めている様だが、町内にあまり楓(かえで=メイプル)の木は見当たらないような気がした。又この町の特産品として、農産物の他に青森シャモロックという鶏を売り出しているようである。

六戸を出た後は、八戸の市立博物館を目指す。ところが、手元の地図の表示が間違っており、市役所脇の見当違いの所へ行ってしまった。しばらく迷った後、ようやく郊外にある市立博物館の駐車場へ。

ここの駐車場で昼食を済ませた後、博物館の中へ入る。さすがに青森県の大都市だけあって、立派な建物だった。博物館はその昔、根城南部氏の居城のあった場所のすぐ傍に建てられていて、一帯は史跡「根城の広場」となっており、構内には隣接してその昔を復元した建物が造られていた。根城南部氏というのは、もともと八戸に居城していた南部氏なのだが、秀吉の時代に南部宗家の家臣となり、遠野へ移った一族である。八戸南部氏というのは、そのずっと後に宗家の方から分家されて新しく八戸藩が作られたのを言うらしい。

  

  博物館の前に建てられている、根城南部氏の藩祖、南部師行公の銅像

博物館を3時間ほどかけてじっくり見て廻ったので、八戸の歴史についてはかなり詳しくなった気分である。いろいろ参考になったが、面白かったのは、前日読んだ「青森県の歴史散歩」という本の中に、「なにゃら、どやら」という唄があるという紹介があり、それはどのような唄なのか一度聴いてみたいものだと思っていたのだが、博物館の中にちゃんとそれを聞かせてくれるコーナーがあって、思いを叶えてくれた。でも何のことかさっぱり解らず、又レコーダーを持ってこなかったので、繰り返して聴くことも出来ず、直ぐに忘れてしまった。それにしても、何が何だかさっぱりわからない唄だった。

邦子どのは、館を出た後、ボランティアの方にお願いして根城跡の復元された建物を見に行ったが、こちらはその気も起きず車の中で写真などの整理をした後、しばらく転寝(うたたね)をして時を過ごす。

16時過ぎ邦子どのが戻ってきたが、この頃から空が怪しくなり、強風が吹き出してきて、今にもザッと来そうな空模様となった。急いで小川原湖の道の駅に戻ることにして出発。一時間半ほどかかってようやく到着。雨にはセーフだった。

小川原湖に戻る途中、姉戸川温泉というのがあり、入ってゆこうかと思い寄ったのだが、駐車場を見ると何となく寂しい感じがするので、入るのを止めてしまった。結局道の駅に戻る前に、先日の玉勝温泉に行くことになった。温泉に入るのも、単なる気まぐれというわけにはゆかない。たっぷり汗を流して、汗も乾かぬままに道の駅に戻って、今夜も泊まりはこことなる。夜中にLPガスが無くなり、ボンベを交換する。今回は、5kg入りボンベ1本が約半月の使用状況である。もう1本予備があるので、帰宅するまで充填は必要ないと思っている。夜半から雨となったようだ。

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