山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

CMの自粛に思う

2011-04-18 05:53:25 | 宵宵妄話

  この度の未曽有の大震災は、我が国のみならず世界の多くの様々な関係先に多大の影響を及ぼしています。改めて今の世の中が一国だけで成り立っていないのだということを実感させられています。そのようなグローバルの話だけではなく、国内という狭い視点の中でも、様々な出来事が生起していますが、その中で人々の日常の暮らしや考え方に大きく影響を及ぼしているCMについて、被災後の自粛の動向を通してあれこれと思うことがあります。

昨日の産経新聞の報道によれば、この度の大震災の直後から各民放局はCM無しの放送を行い、その時間は60~70時間にも及んだとのことです。この結果各局の広告収入は各局の業績に大きく影響を及ぼし、10億円を超えるほどの減収となった局もあるとのことでした。15日までにはCMの放映回数は元に戻ったということですが、その内容はスポンサー企業の自粛からACジャパン(=日本公共広告機構)のCMが全体の約8割を占める状況が続いているということです。

この記事を読むと、民放の経営というものが、如何にスポンサー企業に依存しているかということが良く解ります。70時間ほどのノーCMで10億円の収入減なのですから、1時間当たり1400万円強、1分間で25万円近くにもなり、これはもう相当に決断のいることでしょう。しかしあの大震災はそのノーCMという決断を余儀なくさせたのでした。民放によらずNHKにおいても被災者からの受信料の徴収は困難となるわけですから、広告収入とは無関係であっても、TV事業の経営にとっては甚大な影響を被っていることは変わりないことかと思います。

ところでCMの話に戻りますと、被災後しばらくのノーCMの時期を経て、ACジャパンのCMが登場しました。何種類かのCMが放映されたようでしたが、いつもの賑やかで度を過ごしたシッチャカメッチャカな、奇をてらって何としても印象付けようとするばかりの内容と比べれば、概ね妥当な内容だったと思います。金子みずゞの詩などは、その後再注目されて本の売り上げを増したとか。ずっと以前からこの詩人のファンだった私には思いもよらぬ嬉しい出来事などが生まれました。

しかし、大衆というのは飽きやすいというのか、常により強い刺激を求めるというのか、あるいは又変化を求めるというのか、どの局でもACジャパンの同じCMが何度も何度も繰り返し放映されると、次第に見えない不満を募らせ、やがて好感が薄れてしまい、その内に元々共感の少なかったCMに対しては、様々な批判から非難へとの感情を持つようになるようです。昨今のCMの乱れに対しては、元々否定的な受け止め方であった私でさえも、何だか息苦しくなるような感覚を覚えて、もう少し気のきいたというか、ホッとできるような内容のものが無いのかと不満を感ずるようになったのは、やはり私も又大衆の一人に過ぎないのだということでありましょう。

非常時や不祥事などでCMを自粛するような場合は、ACジャパンのCMに代替されることが多いようですが、それがどのようなものであっても、もう少しCMのメニューの中身を広げて本当に人々の心を元気づけられるようなものを用意して欲しいものだと思います。ACジャパンは、元々業界の行き過ぎた個性のCMの乱れなどを是正するために設けられた業界の機構であり、マナーや道徳などをテーマとしたCM作品づくりが中心だったのだと思いますが、今回はまさに想定外の出来事だったのだと思います。大惨事が起こって、世の中がCMに浮かれているどころではないという自粛状況の中で、代替役としての働きを求められる立場であるとするならば、この後は用意するCMの内容を工夫する必要があるように思います。真の意味で公共に資するCM作品をより多く用意して欲しいと思うのです。

また、放送事業が企業スポンサーなしでは成り立たないのであれば、スポンサーとしての力のある企業は、自社の製品の宣伝広告だけに専心するばかりではなく、このような時こそ自粛などの理由で逃げるのではなく、人々に生きる力を、生き続ける力をふり起こさせてくれるような内容のCMを放映するように、これからは用意して欲しいとも思いました。スポンサーに耐えられる状況でないほど直接の被害を受けられた場合は論外ですが、そうでない場合は、ACジャパンに頼らない自前の社会的な支援の材料としてのCM作品を用意すべきと思います。

もう一つ思うのは、有名人などの口頭での支援宣言CMや或いは文字による数秒のお見舞いと元気づけのことばなどのCMとも言えないようなものが多すぎるという感じがします。「頑張れ」「元気を出そう」「大丈夫」という励ましの言葉は決して虚しいものではなく、好きな有名人からのエールとして力になると思いますが、そればかりを繰り返されても、画面の向こうの人たちにはやがては虚しく消えゆくものとなってしまいかねません。一時的には良いと思うのですが、更に画面の向こうの人たちが自らを奮い立たせるようなメッセージや画像が大切であり必要なのだと思います。それはこれからのこの業界の課題なのかもしれません。たとえば、金子みすゞの詩が多くの人たちの心に届いたように、何か心に残る、残り続けるものを届ける努力をして欲しいと思います。

CMが許されない世界は絶対主義の世界です。そのような国も幾つか存在しますが、情報をコントロールし、人々を狭いエリアの中に閉じ込めておくのは物理的には可能に見えても、人々の心の世界までをコントロールすることは不可能です。コミュニケーションツールの発達、すなわち高度情報化社会の到来は、絶対主義国家の存在を根本から揺るがし、崩壊させてゆくに違いありません。

しかし日本はもはやCM抜きでは成り立たない国となってしまったようです。これはある意味では絶対主義国家よりもより多くの課題を抱えることになるように思います。CM業界が、銭さえ出せば己だけを目立たせる作品を形振り構わず作って放映しろ、というようなスポンサーの意のままに動いていたとするならば、この国はいずれは自堕落に崩壊するに違いありません。その意味でACジャパンの存在は大切だと思いますが、何よりも大切なのは、CMの内容、質そのものです。時には座興的なものも必要だと思いますが、最終的にはCMはスポンサーのためのものではなく、消費者であり受け手である一般大衆のための力となる何かを伝える努力を一層積み上げて欲しいと願っています。今回の大震災では、この業界の未熟さが露呈されたのではないかと私は思いました。

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