山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

滝桜を見に行く(その1)

2013-04-21 21:31:55 | くるま旅くらしの話

久しぶりに三春の滝桜を見に行ってきました。2011年3月、東北の大震災があって、それまで毎年訪ねていた東北地方を巡る春の旅を、以降取り止めていたこともあって、滝桜もその旅の中に組み込まれていたため、3年ぶりの訪問となったのでした。花を観るといえば、やはり桜が第一であり、長い間厳しい冬の寒さに追い回され、春の到来を願っていたものたちにとって、桜の開花は一番そのことを笑顔で伝えてくれる証明なのです。

我が家の近くにも桜の名所は幾つかありますが、日本全国で桜の名所が皆無などという市町村はありえないような気がします。桜の名所といえば、大抵は多数の樹木が群れ咲いている場所をいうことが多いと思いますが、自分的には個体の、一本桜に惹かれます。実生の幼木が初めて花を咲かせたばかりの一本桜にもワクワクしますが、何といっても数百年を超え、千年を超えてなお美しい花を溢れるほど身にまとって咲かせる桜の老木には、興味や関心を超えた畏敬や尊厳を覚えるのです。全国には、何本かのそのような桜の老大木が存在しますが、その中で私が最も崇敬しているのが三春の滝桜です。日本三大桜というのがあって、その取り上げ方に幾つか差もあるようですが、この滝桜の他に山梨県の武川の神代桜、岐阜県の根尾の薄墨桜を挙げるのが一般的なようです。残念ながらまだ根尾の薄墨桜だけは見る機会を得ておらず、写真や映像で見るばかりですが、神代桜にはお目にかかったことがあります。この他にも山形県の久保桜や大明神桜など老大木に幾つかお目にかかっていますが、それらの中で群を抜く樹勢を持つのは三春の滝桜だと思います。

初めて滝桜を観たのは、花の季節ではなく葉桜から少し経った若葉の季節でした。新緑に彩られたその巨木の姿は、もうそれを観るだけで大感動でした。花の姿の時とは全く違った逞しさ、力強さに圧倒されたのでした。でも、やはり滝桜の心根は花の姿にあるような気がします。毎年花の季節には、たった一本で十万人以上もの人々を呼び集めるという、その力は尋常なものではありません。ただその傍にいるだけで多くの人々を癒す力をこの大樹は持っているのです。凄いことだと思います。

さて、その滝桜を見に行ったという話なのですが、今回は2泊3日の行程でした。何度か滝桜を訪れている内に、観桜のスタイルも決まってきました。いつもは前日に高速道の阿武隈高原SAに泊って、当日の早朝に滝桜近くの観桜用駐車場に出向くのですが、今年からはSAではなく、直接駐車場に前泊させて頂くことにしました。今日の観桜客の最後の人たちが帰られる頃に駐車場に入って車を留め、そこで一泊させてもらい、翌日じっくり桜を見物させて頂くというやり方です。泊っても良いかどうか掛かりの方にお訊きすると、問題ないということでしたので、あとは自己管理だけです。SUN号はトイレがありますので、夜間に小用にトイレを探す必要もなく、第1日目は、家内と二人軽く前夜祭をやって、そのまま就寝となりました。夜中に一時少し雨が降ったようでしたが、翌日は花曇り気味の温かい天気となり、絶好の花見日和となりました。

   

早朝の駐車場とSUN号。6時前の駐車場には、さすがにまだ殆ど車は入ってきていない。周辺至る所に桜の花が咲き乱れて、まさにこの地は春爛漫という世界だった。

滝桜を観るには、300円也の観桜料を支払いますが、駐車場は無料なのですから、決して高いとは思わず、むしろこんな良心的な観光地は滅多に無いと思います。800台以上も収容できる大駐車場は平日でも満車となるということですから、これはもう大変なことだなと思います。観桜の客は2時間くらいで観終えて移動する人が殆どであり、駐車場の車は日に3~4回転はするでしょうから、3千台近くの車をさばくことになるわけで、これらの車をガイドするのは大変な仕事だと思います。三春町の関係者の方たちは丁寧・親切に対応をされており、立派だなあと思いました。皆さんに感謝・多謝です。

さて、第2日目は観桜の本番です。我々の予定は、まず早朝の滝桜を拝し、その後車に戻って一息入れてもう一度じっくり桜と人ごみを観察して終りとするという考えで、それが終われば駐車場を他の車に譲って退散することにしています。今日のその後は、まだ歩いたことのない三春の町並みを散策することにしています。それが終わったら帰途につくわけですが、今夜は福島県南の道の駅:はなわ(塙町)か隣の茨城県北部の道の駅:奥久慈だいご(大子町)に泊ろうかなと考えています。どこに泊るかは成り行き次第です。

6時半頃には観桜の車が続々と入って来て、駐車場を埋め出しました。我々の方は6時前にはもう起き出しているのですが、朝は光が少ないためカメラの撮影には適した状況ではありません。我が家の旅の写真撮影は家内が主役であり、彼女は早朝は光が少ないからと1回目は手ぶらで出掛け、自分だけが小さなデジカメを持って滝桜観察に出発しました。滝桜に行く前に車を留めてある場所の裏手の土手の上にオオヤマザクラや桃の木が花を咲かせていました。よく見るとその隣にはミツマタが淡い黄色の花を咲かせており、さらに土手の上の方には辛夷の花が真っ盛りでした。それらの他にもレンギョウの黄色も目立ち、まぁ、三春の春は桜と桃と梅が一緒に咲くというけど、地面の小さな野草たちも含めれば、三春どころではなく百春といってもいいのではないかと思いました。土筆は今が最盛期ですし、蕗の薹だってまだ残っているのです。それらをカメラに納めながら滝桜の入り口をくぐりました。

       

滝桜に向かう参道沿いにある民家の景観。如何にも三春の町らしい春を告げる花の風情に溢れている。手前の黄色い花の木はサンシュユ、まん中の白っぽい小さな木は梅、そして奥の方の紅い花の木は桃、その奥の花は桜。この山里にはこのような景観が幾つも見られて、心が和む。

  

左は駐車場近くの丘に花を咲かせていたミツマタの木。右は駐車場脇の土筆の行列。守谷ではとっくに咲き終えた植物たちが、ここでは今を盛りと存在を主張していた。

早朝なので人通りはさすがに少ないのですが、それでももう既に300人くらいは歩いている感じでした。その大半、というより殆どといった方が正確かもしれません、闊歩しているのは我々と同世代と思われる現役をリタイアした人たちのようでした。混雑を避けて早朝に車を走らせて来られたのでしょう。皆さん、はやる心を内に籠めた表情で滝桜に向かって歩いておられました。5分ほど歩いて滝桜と対面しましたが、第一印象はあれっ、ちょっと顔色が悪いなという感じでした。いつもより色褪せて花びらが汚れた感じがしたのです。どうやら開花の最盛期を過ぎており、満開といってもその最終段階にあるという感じでした。丁度1週間前くらいが一番花の良い状態だったのかもしれません。花を見る時期というのは難しいものだなと改めて思いました。しかし、花の方は別として幹の方はガッシリと大地を捉えて、従前と少しも変わらない逞しい姿でした。家内とは別行動で、滝桜の周りをカメラを構えながら、ゆっくりと一回りしました。どこから見ても見る人を惹きつける偉大な存在だなと改めて思いました。一回りした後は、もう一度南側にある丘に登り、滝桜を俯瞰することにしました。桜の樹と花に近づくばかりが観桜の仕方ではないと思います。少し離れたところから全体を見渡してみることも、花の見方なのだと思います。丘の上からは、一本の花の蜜に誘われる蟻の行列のように、人々が列を作って動いているのが見えました。花も凄いけど、花を見ようとする人間という生きものの動きも凄いなあと思いました。滝桜を囲む小さな谷間には、大きな感動が膨れ上がって来ているように感じました。

   

滝桜の優雅な姿(西側からの景観) 満開なのだが、早や花は最盛期を過ぎて少し褪せた色となっていた。まさに滝桜とはよくもまあ名付けたものよと改めて感慨一入である。

   

滝桜の逞しき幹と根元の様子。千年以上の生命を保つ力瘤がごつごつと辺りを圧倒している。それは恐ろしさを覚えるほどの迫力だった。

第1回目の観桜を終えて車に戻り、しばらく休憩です。9時頃の駐車場には、もう観光バスも20台以上入っていて、一般の車もほぼ満車に近い状態になっていました。丘の向こうの道からは更に続々と車が入ってきています。今日も平日なのに、一目今年の滝桜を見ようとする人の、まあ、なんと多いことか!驚くばかりです。それにしても昨夜泊めさせて貰ったのは正解だなと思いました。間もなく家内も戻って来て、お茶など飲んで疲れを休めて一息入れてもう一度の観桜です。家内も今度は重いカメラをぶら下げて出掛けて行きました。

自分の方は、滝桜に直行することは止め、駐車場の上にある丘の向こうへ行ってみることにしました。一つには大山桜の花を撮りたかったのです。この桜が好きで、我が家の庭にも植えてあるのですが、今年も総数で20個くらいの花数でしたので、少し寂しく思っていたのです。この辺りの大山桜は我が家と同じくらいの大きさの木でも、皆溢れるほどの濃艶な花を咲かせているのです。やはり気象条件など育つ環境によって成長も花も違ってくるのかなと思いました。本来東北の地に咲く山桜を、関東の自宅の庭で見ようなどという考えが間違っているのかも知れません。ちょっぴり複雑な気持ちで大山桜の花を撮ったりしました。

   

大山桜の若木の花。葉が余り出ていないので、これはもしかしたら栽培種なのかもしれない。この花はやはり東北の山の中に、ひっそりと濃艶に咲いているのが一番似合うようだ。

さらに上の方へ行くと、急に視界が開け、反対側は何と湖になっていました。そういえば、ここは三春湖というダム湖のエリアだったなと気づきました。この辺りには辛夷の花が純白の輝きを放っていました。下の方にはレンギョウなどもあって、鮮やかな黄色が印象的でした。湖の方への道を少し下って歩くと、道端にはタンポポの花がたくさんあって、その殆どが日本タンポポだったのが何となくほっとさせてくれました。また、タンポポの花の合間にキランソウの紫が大地にへばりついてその存在を主張するかの如くに咲いていました。このような野草たちに少なからず感動を覚えます。キランソウとかキンモンソウなどといっても、殆どの人は名前を知らないかも知れません。しかし、実際はどこかで見ておられることが多いのではないかと思います。目立たない生命というのは、ともすれば見失われ忘れられがちですが、大地には目立たなくてもしっかりと息づいている野草が、随所に存在しているのです。この頃は何故かそのような野草たちに愛着を覚えるようになってきています。

  

左は関東タンポポの花。花の下のガクの部分が花びらにひっついているのがその証拠。右はキランソウの花。他の草に交じって、地面にへばりついて紫の花を咲かせている。

   

林の中に見つけたマンサクの花。早春に咲く花なのに、ここにはまだ咲き残ってくれていたのに思わず感激する。

再び滝桜に向かいました。先ほどの1回目とは大分に人混みの様子が変わって、滝桜に向かう左側の通路は引きも切らぬ人、人、人となっていました。もう少し陽差しが出るのかなと思っていたのですが、薄曇りの空で止まっており、ま、それでも写真の撮影には不足のない光の量だったのかもしれません。家内はどこをどう回っているのやら、時々変な写真を撮りたがる人なので、桜以外にも焦点を当てているのかも知れません。自分の方は、カメラよりも眺める方を優先して、もう一度滝桜の周りをじっくりと一回りしました。何回見ても飽きの来ないのは、先ほどと同じです。もの凄い人混みなのですが、それらの人たちの存在を忘れさせるほど、やはり滝桜の魅力は輝いていました。十二分に満足して10時過ぎに車に戻りました。かなり広い駐車場も、ほぼ満車に近くなっており、花見を終えて帰る車の列と、反対側にはこれから花を見ようと超渋滞の中をしずしずと近づいてくる長い車の列とが、滝桜の一回り外側を包んで動いていて、喧騒は一層膨らんでいました。間もなく家内も戻って来て、一息入れて次の目的地の三春の町並みに向けての出発となりました。(続く)

   

滝桜を囲んで群れる人々。この半月間は毎日早朝から夕暮れまで、そして週末中心にライトアップも行われて、これ以上の花見客が訪れるに違いない。大したもんだと思う。

 

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