山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

出会いと人生(倅の結婚に寄せて)

2013-04-16 04:02:45 | 宵宵妄話

  このところ、なかなかブログの記事を書けないでいます。何しろどこへも出かけていないので、旅がらみの記事は書きにくいし、政治等の世情のことは、書き出せばきりがないし、大方は愚痴か嘆きか怒りの部類のテーマが多くなってしまいます。ま、しばらくはこのままの状況が続くのだと思っています。

 そんな中で、先日(4/14)倅(長男)たち夫婦の結婚式と披露宴がありました。挙式は明治神宮、披露宴は明治記念館でということでした。二つの場所は少し離れているので、移動はマイクロバスなどを使ってと、なかなか変化のあるイベントでした。明治神宮は東京では観光の有名地の一つでもあり、大都市の中には珍しい、うっそうと大木が茂る森の中にあります。二人の出発のためには、とても印象に残る良い場所だったと思います。

ところで、倅から結婚についてのメールがあったのは、昨年の北海道の旅から帰る途中でしたから、9月の初めの頃だったと思います。それまではさっぱり気配もなかったのに、突然だったので喜びよりも驚きの方が強かったのを思い出します。帰宅後に話を聞いて、それから後は、あれよあれよという間に話が進んで、10月には婚約、そして12月末には入籍し、二人は我が家の二世帯住宅の2階で新しい暮らしを始めたのでした。挙式と披露宴は、式場の目途がなかなか立たないため遅れることになり、ようやく4月のこの日にイベントを迎えたというわけです。

倅たちの結婚については、いろいろ思うことはたくさんありますが、その一端を披露宴当日の締めくくりの挨拶の中に吐露したつもりでいます。結婚式での新郎の父の役割は乏しく、最後にお礼の挨拶を任されるというくらいです。参考までに(何の?)、その挨拶のメモを紹介させて頂くことにします。

「両家を代表して一言御礼の挨拶を申し上げます。本日はご多忙のところを、二人と私どものために、ご来臨賜わりありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

冒頭から私事で恐縮でございますが、私はここ数年来、家内と二人で年間4カ月、計2万キロほどの、車での宝探しの旅をしております。宝探しとは何かと申せば、それは金銀財宝などではなく、「出会い」という人生の宝物を求めてなのです。

出会いには、人を初めとして、動物や植物、或いは大地の造形や自然現象など、様々なものがありますが、私は人生というのは、多くの出会いの積み上げによって出来ているものではないかと思っています。その中で、何といっても人との出会いが一番です。

その、人との出会いの中で最も大切な出会いの一つが、生涯を共にする伴侶との出会いではないかと思います。二人は、今、ようやくその嬉しい出会いに恵まれたようです。少し遅いタイミングなのかもしれませんが、そのようなことは問題ではありません。二人の出会いを、私どもも良かったなあと、心から嬉しく思っております。二人には、この出会いを大切にして、これから力を合わせて、新しい家庭を築いて行って欲しいと願っております。

ところで、二人のこれからの人生は、二人だけでつくり上げられるものではありません。今までお世話になった方々を初め、これから出会うであろう多くの方々のお力をお借りして、初めて成り立つものと思います。

 とりわけて本日ご来臨賜りました皆様のお力が、何よりも必要なのだと思っております。どうぞこの後も二人に対してより一層のご支援とご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。

本日はお忙しい中を本当にありがとうございました。」

以上が用意したメモの内容です。メモを用意したのは、私は話をし出すと冗長になる癖のようなものがあり、早く終わらせて欲しいという方のためにも、余計なことを話さないようにしたいからなのでした。実際にはメモを読み上げるのは失礼なので、紙などは見ないで話はしたのですが、この通りの話だったのかは自分でも定かではありません。何しろ宴会の終わり時でもあり、多少酔っていい気分にもなっており、直前まで挨拶のことは忘れていたという感じだったのでした。内容は、ごく当たり前のことばかりです。もっと砕けた内容の話の方が良かったかなとも思いましたが、ま、正直な気持ちをお伝えした方が良いと考えました。

一番伝えたかったのは、「人生と出会い」ということです。私は人生とは出会いの積み上げで出来上がっていると思っています。人は何かと、誰かと出会って、そこからプラス・マイナスのパワーを貰い、生きる力をものにし、時には絶望も手にしたりしながら生きているのだと思います。自分に何かが起こるというのは、全て出会いがもたらすものであり、何もないというのは、何の出会いも無いということなのだと思うのです。良きにつけ悪しきにつけ、人は出会いのもたらしたものによって成長して行くのです。より多くの出会いに恵まれ、より深い感動と教訓を得た人ほど、より大きな成長をものにできると考えてもいいように思います。

私はくるま旅くらしの目的は、出会いという宝探しなのだと思っています。真実そう思っています。旅に出ると、否応なしにたくさんの出会いを拾うことになります。宝物となるのもあれば、ガラクタもあり、時には拾うのを避けて逃げ出す毒物もあります。どれも皆出会いです。それらの中から大切と思うものを拾い上げ、保存し、時に取り出して磨き、手入れをするのです。ただ出会うだけでは、宝物にはならないからです。出会いというのは、自分が思いと力を込めて磨くことによって初めて自分の本物の宝物とすることが出来るのです。家内も私もそのような宝物を幾つも持っています。旅の最大の恵みなのです。

倅も嫁女も本当に良い出会いに恵まれたようです。特に嫁女は類稀なる心遣いの出来る女性で、倅には(私ども夫婦にとっても)天からの授かり物のような気がしています。いまどき2世帯住宅のジジババの親が住む家にニコニコ顔でやってきて、何のこだわりもなく親たちと付き合ってくれる女性が、この世にまだ残っていたんだと、しみじみありがたく嬉しく思っているところです。二人の出会いがどのようなきっかけだったかなどを詮索する気は全くなく、ただ、ただ、この出会いを大きく育てて行って欲しいと願っています。ようやく親戚や知人への披露目のイベントが終わって、今は安堵して一息ついているところです。新婚旅行なるものは追ってじっくり考えてから決めるそうで、今日から倅は平常勤務の出勤です。二人力を合わせて、ガンバレ!!

どうも、ブログに書くべきテーマではないように思うのですが、久しぶりの我が家の慶事でしたので、言い触らしたくなりました。失礼・多謝。

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