山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

年金くるま旅くらしに思う

2007-09-29 11:30:40 | くるま旅くらしの話

くるま旅くらしの提唱を始めたいと考えた当初は、「年金旅くらし」と名づけることを考えていました。この頃になって、やっぱりこのような呼び方の方が、リタイア後のくるま旅を論ずるには相応しいような気がしてきています。

というのも、一昨日のシンポジウム(JRVA主催の「よりよきくるま旅を目指して」)に参加して、くるま旅というものが、リタイア後の世代にとっては、キャンプ場めぐりをするようなものでは決してないということが、まだまだ世間の人には理解して貰えないのだということを感じたからです。

年金問題が今世上を賑わしていますが、既に年金暮らしに入っている者にとっては、現役の人たち以上に不安を抱かされる問題です。年金暮らしというのは、それ以外に大した収入源や蓄えを持たない普通人にとっては、いつでもどん底生活に入ってゆかざるを得ない危険性を孕んでいます。斯く言う私自身もその一人であることをしっかり自認しています。

それにも拘らず何故くるま旅のために大枚をはたいて旅車を買い、旅くらしをしたいと考えるのでしょうか。そのような決断というか思い切りを、多くの世間の人たちは贅沢というコンセプトで捉えているようです。派手なキャンピングカーなどをひけらかして旅などに出掛けるのは贅沢以外の何ものでもないと、「いいねえ!うらやましいねえ、」ということばの裏の、腹の底で思っている人が多いのではないかと思うのです。兄弟姉妹は勿論、もしかしたら我が子でさえもそう思っているのかもしれません。贅沢に対して同情するほど世の中は甘くはないことは重々承知しています。

しかし、私はくるま旅くらしというのは、決して贅沢ではないと思っています。だから少しは同情(=同じ心情になってその真実を理解すること)して欲しいと思っています。それは何故かといいますと、私の考えるくるま旅くらしというのは年金をベースとした質素で健康的な生き方なのだと考えるからです。一般的な旅のコンセプトには入らない旅のスタイルであり、くらしのスタイルなのです。その実態に贅沢などの入り込む余地はないように思います。確かに旅車だけは贅沢に見えるかもしれませんが、これがなければそもそもくるま旅くらしは生まれることも、成り立つことも無いのですから、ナンセンスな話となってしまいます。

何故それほど旅にこだわるのか?それは簡単です。老人というか、高齢化というのかその世代になっても、旅には残された人生を生きるための夢と希望が一杯詰まった時間と空間が用意されているからです。勿論旅に出なくてもそれは可能ですが、よほどに何か目指せるものを見つけていないと、未来よりも過去に浸る傾向が強くなってしまうのが普通人なのではないかと私は考えます。毎日昨日と同じ様なくらしの連続は、何時しか明日への夢を朧(おぼろ)にし、心と身体の倦怠はその浄化を置き去りにして、病の世界へと誘うようになるのではないか。少なくともいわゆる老後といわれる高齢化世代の医療への係わりはその様な暮らしぶりに端を発していることが多いように思うのです。

よりアクティブな生き方が実現できていれば、病に対する考え方も健康管理への取り組み方も違ったものとなるのではないかと思います。くるま旅くらしがその全てではないとしても、リタイア後の残された人生の活力源としての機能を果たすことは間違いないと思っています。病院を社交場とし、病の情報交換に毎日の大半を送るような生き方のほうが、そこに費やされる費用を較べれば、大して保険証も使わずにくるま旅くらしを楽しむ人たちよりも遙かに高額を要しているように思います。私から見れば病院を社交場としている同世代の人たちの方が、気の毒で贅沢な暮らしをしているように思えてなりません。私はこの1年間、健康保険証を一度も使ったことはありません。20年来の糖尿病なのですが、何としても旅がしたいので、食事を自制し、毎日10km近くを歩き、体調維持に気を配っています。糖尿病のお陰で旅が出来るのだと感謝しているほどです。

旅に出ると多くの人は元気になるのです。それは還暦を過ぎたばかりの人も80歳を超えられた人も皆同じです。そしてまともなくるま旅人は、年金暮らしでも充分に賄える質素なくらしを心がけています。その質素な暮らしぶりこそが生きる力を強めているのだと私は考えます。

先ほどのシンポジウムでは、くるま旅の中身や内容が区々であったため、議論が噛み合わない部分が多かったような気がします。私は、いわゆる団塊の世代といわれている方たちが、リタイア後に目指すくるま旅は、今日述べたような年金くらしをベースとした質素なものであると考えています。大枚の退職金などをはたいて購入する旅車は、これからの人生をよりよく生きるための旅くらしへの思い切った投資なのだと思います。

たった5万台程度の旅車を受け入れることが出来ないような旅の環境は、そのままでは社会問題を引き起こすのは当たり前でありましょう。どんなにマスコミがネガティブキャンペーンを行なっても、くるま旅の増加の流れは止まらないはずです。車の増加を止められないのと同じように、これからのくるま旅への願望の実現の流れは止まらないと私は考えます。だとしたら、環境整備に力を入れない限り、問題は続出し山積するのは自明のことのように思います。

シンポジウムでは、くるま旅を考える者は、社会資本の整備などに頼るべきではなく、何でもタダで旅をしようなどという甘えを捨て、それなりの覚悟を持って臨むべきだとのご意見もあり、確かにその通りだと思い、振返って自分自身もそのつもりでくるま旅くらしをして来たのだと思いましたが、それにしても現在のくるま旅の環境がこのままで良いのかについては、多大の疑問が残りました。大量の年金暮らしの者が構成するこれからの高齢化社会は、病院回避を目指して新たな暮らしをくるま旅に求める人が増えても、それを贅沢と拒否するニーズは殆ど無いのではないかと私はやっぱり考えるのです。日本RV協会だけが考える問題ではないように思えるのです。

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