山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

マルベリージャムをつくる 

2020-06-15 22:00:00 | 宵宵妄話

 マルベリーというのは桑の実のことだと知ったのは、つい最近のことです。確かに桑の実はイチゴや木イチゴ、ラズベリーなどと同じように粒々の実の形をしており、ベリーと呼ぶにふさわしいのかもしれません。久しぶりに桑の実でジャムをつくったという話なのですが、つくり方について確認の意味でネットを調べたら、マルベリーと書いてあり、何だかこの呼び方の方がジャムには合っているなと思い使わせて貰ったという次第です。

 守谷市に越してから早や16年が経過しました。越して来た当初は何もかもが珍しくて、市の端から端まで歩きと自転車で見て回りました。たった36㎦しかない茨城県では一番小さい面積の市なので、2年も経つと市内の主な名所旧跡のみならず、どこに行けば何が手に入るかなども知るようになりました。自分は田舎育ちなので、自然界にあるものに興味があり、特に樹木や野草に関心があって、その中でも特に食べられるものに対しての懐古趣味のようなものがあるのです。戦後の貧しい暮らしの中で、食べざるを得なかった野草や木の実などに心惹かれるものがあるのです。

 越して来てから3年ぐらい経った5月下旬の頃、利根川の河川敷を探索している時、藪にまみれた中に何本もの桑の木があるのを発見しました。中にはかなりの大木もあり、それらの木々の枝には黒や赤の実が鈴なりに生っていました。「オッ、桑の実だ!」と興奮しました。子供の頃村の外れに忘れられた様に残って生えていた桑の木があり、その実を口に入れた時の感動を思い出したのです。童謡の「赤とんぼ」の詞の中に「山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか」とありますが、まさにその感じなのでした。

 利根川の河川敷はその昔は養蚕のための桑畑があったのかもしれません。戦後養蚕は廃れてしまい、桑畑はそのまま放置されて原野に戻ったかの様でした。現在大木となっているのはその頃の木が生き残ったのかも知れませんし、若木たちは鳥たちが蒔いた実生の苗が育ったものなのかも知れません。大木は実が採り難いので、若木を中心にボウルに実を集めました。勿論ジャムをつくる考えでした。その時藪(やぶ)こぎをしながら汗だくになって集めた桑の実は大型のボウルに溢れるほどでした。

 それを持ちかえって、その後は家内にジャム作りを頼んだのですが、初めての経験であり、桑の実を扱うにはかなりのしんどさがあったようでした。というのも桑の実には虫などが混ざっているし、また小さなヘタが粒ごとに付いているので、それを取り除くのに相当苦労したようでした。自分の方は収穫の満足の中で、ジャムは少なくとも10個(小さなガラス容器)以上はできるのではと、期待して待つだけでした。結果は期待の半分くらいだった様な気がします。家内には、ジャム作りの苦労の愚痴を聞かされましたが、あまり気にもしないままでした。

 その時から10年以上が経って、もうすっかり桑の実のことは忘れ果てていたのですが、今年のコロナ禍で歩きのコースを見直し、少し距離を増やすことにして、利根川の堤防を歩くことにしました。何回目かの歩きで、常磐道の守谷SAの上り線の側道を歩いていると、道脇に黒いものがたくさん落ちている箇所があり、何だろうと近づいてみると、何とこれが桑の実だったのです。木も比較的若くて、垂れ下がっている枝を持ちあげてみると、そこには熟れた実とまだ固い赤い実がびっしりと付いていました。以前の河川敷の状況とは格段の採り易さなのです。しかも桑の木は側道に沿って何本もあるのです。これを放置するわけにはゆかないなと思いました。老人となっており、調子に乗るのは危険なので、この種のイタズラ(?)には積極的にならないようにと自戒はしているのですが、この状況は明らかに桑の木の方が極めて好意的に自分を誘惑してくれているのです。それには応えなくっちゃ、と思いました。女性の誘惑には慎重だったのですが、この種の誘惑には超弱いのです。直ちに決断しました。よし、ジャムを作ろう!と。

     

桑の実。これはほんの一部だが、この樹には幾つもの枝があり、そのすべてに熟れた実がびっしりとついていた。

 歩きから戻って一休みの後、桑の実を採る準備をして現場に出掛けました。何人かの人が通りかかりましたが、桑の木も桑の実も知らないようで、関心を示すこともなく通り過ぎてゆきました。ライバルがいないということは、一人天下ということです。時々想うのですが、大地震や大洪水などの災害で食べる手立てが途絶えた時、現代人の多くはすぐ傍に食べられる草や木の実があっても、それを知らないがゆえに飢え死にするのではないか、と。現代人は自然界の中で生き残る知恵を喪失しているように思えるのです。

 一人で悠々とボウルに8分目くらい収穫して止めることにしました。今回は中型のボウルにしました。あまり作り過ぎても食べる人がいないかも知れず、先ず自分がジャムを食べるとしたらそれは旅先か気まぐれの時しかないからです。赤紫に染まった指を誇らしく思いながら、いそいそと帰宅しました。

 さて、その後が結構大変でした。というのも家内に頼むのは些か気が引けて、今回は自分で全工程をやってみようと思いました。先ずは採って来た実を、少し塩を入れた水に浸け、虫などを取り除くことにしました。白い砂糖の方がいいという家内のアドバイスに従い、スーパーまで買いに往復しました。その後が大変でした。ヘタ取りです。何しろ1個に1個のヘタがあるのです。実の数は2千個以上はあるのですから、それを一つずつ取り除くというのは超面倒なことです、そのままでもいいのではないかとも思いましたが、もし誰かにプレゼントするようなことになったら、その手抜き分がバレて不快感を与えるかもしれないと、正攻法で行くことにしました。1時間以上かかってようやく終了。痛いなと思って見てみたら、左手の人さし指の先に傷が出来ており血が滲んでいました。家内が苦労した10年前の愚痴が正当だったというのを、よくよく理解できた次第です。

 その後は、大鍋に実を入れ適量の砂糖を加え、火を入れてとろ火で煮るだけです。途中中断したりしながら2時間半ほどかけて完了。あとは煮沸して用意していたガラス容器に詰めて蓋をするだけです。何個できるか。容器は5個ほど用意したのですが、出来上がった結果は、たったの3個でした。容器に入れるにはコツがあって、これはいろんなジャムをつくっている家内からのしつこいアドバイスなのですが、ジャムは熱い内に容器に入れ、蓋をしたら逆さにして冷めるのを待つということなのです。言いつけを守って完成です。

     

出来上がったジャムはたった3個だった。後で冷凍庫から取り出したものを写したので、表面が白くなってしまった。このようなチョンボは日常のことである。

久しぶりに野に忘れられている自然の恵みを享受して思うのは、老人の過去の貧しい暮らしの経験を自慢するわけではありませんが、現代人はあまりにも自然を知らず、恵を受け止める知恵も磨かず、ただお金を出して得られたものだけで暮らしを営んでいるだけでいいのかということです。私はアウトドア派で、くるま旅もキャンプも暮らしの中に取り入れていますが、そこで知り合う人たちの中には、キャンプの暮らしと家庭の暮らしとが場所が違うだけで中身は変わらないというスタイルが結構多いのを寂しく思っています。キャンプは、不便さの中で自然を味わい、自然に学び知恵を磨くことに意義があるのではないかと思っています。

 最近は「災害に備える」ことの大切さが強調されていますが、その中で一番大切なことは、普段から自然と共生しながら知恵を磨くということではないかと思うのです。只の対策本位のあり方では、災害に遭遇した時、本当にその困難を乗り越えるのは難しいのではないか。そう思うのです。ジャム作りからはかけ離れた話の結論となりました。

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